ロシアの作曲家。ロシア5人組の中心人物。1837年、ヴォルガ川中流域の地方都市で生まれた。地方貴族の家で音楽訓練を受けた。ペテルブルクで病床のグリンカに会い、ロシア音楽の後継者と認められた。そしてキュイ、ムソルグスキー、リムスキー・コルサコフ、そしてボロディンを仲間に5人組を結成した。バラキレフは5人組の中では唯一音楽教育を受けた人物である。1862年にペテルブルク音楽院を創設。1867年ロシア音楽協会音楽監督。 1910年5月29日没。
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ミリイ・バラキレフ |
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[ミリイ・バラキレフ 人物情報]
Wikipediaの人物情報
Image:Balakirev1860s_CuiIP_73_600.jpgミリイ・アレクセエヴィッチ・バラキレフ(Mily Alekseyevich Balakirev, Милий Алексеевич Балакирев, 1837年1月2日 - 1910年5月29日)はロシアの作曲家。作品よりも、おそらく「ロシア五人組」の統率者として有名。
略歴
ニジニー・ノヴゴロド出身。少年時代に、ロシアにおけるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの伝記作家ウーリビチョフから、さまざまな有益な音楽教育を受けた。18歳でサンクトペテルブルクに上京、大学で数学を専攻した後、ミハイル・グリンカの面識を得る。バラキレフを中心にツェーザリ・キュイらが集まって、1862年に無料音楽学校が設立される。1869年にバラキレフは、帝室宮廷礼拝堂の監督と、帝国音楽協会の指揮者に任命される。指導者やロシア音楽のまとめ役としての発言力から、新たな運動の発起人という役割を得た。「五人組」ばかりでなく、ピョートル・チャイコフスキーもいくつかの標題音楽や《マンフレッド交響曲》の作曲に、バラキレフの助言や批評を仰いでいる。
他の「五人組」の同人と同じく、サンクトペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー大修道院のチフヴィン墓地に埋葬されている。
作品
一時的に音楽界から身を退いていたこともあり、残された作品はあまり多くないが、ロシア民謡の要素に基づき、作品は親しみやすい。代表作のピアノ曲「イスラメイ」は、難曲として有名だが、それ以外のピアノ曲は、理想として思い描いていたフレデリック・ショパンやロベルト・シューマン、フランツ・リストの影響を鮮明に示している。2曲の交響曲を残している。さまざまな音楽理論やドイツ・ロマン派音楽に精通していたことがかえって自発的な創造力を阻害したのか、「五人組」の指導者でありながら、同人のうち最も遅筆で、最初の交響曲は完成まで33年の歳月を要した。作曲の中断や改作も頻繁に繰り返された。
世俗曲と同様に作品数は限られているが、無伴奏(正教会の聖歌は無伴奏声楽が原則である)の正教会聖歌も作曲している。
近年、「ケーネマン出版社」(総代理店はMELBAY)から出版されたバラキレフピアノ作品全集(全5巻)は、内容の良さと破格の安価であったことから予想外の注文が殺到し、一時期入手不可能になるほどのベストセラーとなった。2004年現在は、MELBAYのWEBサイトから入手可能である。
作品一覧
- 管弦楽曲・協奏曲
- 交響曲第1番 (バラキレフ) (1864-66年、再開1893-97年)
- 交響曲第2番 (バラキレフ) (1900-08年)
- 組曲 ロ短調 (1902-08年、セルゲイ・リャプノフにより完成)
- タマーラ (バラキレフ) (1867-82年)
- ルーシ (バラキレフ) (1884年、「3つのロシアの主題による序曲 第2番」の改作)
- 3つのロシアの主題による序曲第1番 (バラキレフ)(1858年、1881年改訂)
- 3つのロシアの主題による序曲 第2番 (1863-64年)
- チェコの主題による序曲 (1867年)
- 交響詩「ボヘミアにて」 (1905年、上記の改作)
- スペインの行進曲の主題による序曲 (1857年)
- スペイン序曲 (1886年、上記の改作)
- ピアノ協奏曲 第1番 (バラキレフ) 作品1 (1855/56年)
- ピアノ協奏曲 第2番 (バラキレフ) (1861/62年, 再開1909/10年、セルゲイ・リャプノフにより完成)
- ピアノと管弦楽のためのロシアの主題による大幻想曲変ニ長調 作品4 (1852年)
- ピアノ曲
- ピアノ・ソナタ第1番変ロ短調 作品5 (1855/56年)
- ピアノソナタ 第2番 (バラキレフ) (1900-05年):現在バラキレフのソナタとして有名なもの
- イスラメイ(東洋風幻想曲)(1869年、改訂1902年)
- 7つのマズルカ
- 7つのワルツ
- 3つの夜想曲
- 3つのスケルツォ
- 薗にて(1884年)
- トッカータ嬰ハ短調(1902年)
- 室内楽曲
- フルート、オーボエ、ホルン、弦楽四重奏とピアノのための八重奏曲ハ短調 作品3 (1850-56年)
- チェロとピアノのためのロマンス ホ長調(1856年)
- 声楽曲
- カンタータ「ペテルブルクのグリンカ記念祭に」(1902-04年)
- 民謡編曲
- 正教会聖歌(無伴奏)
- 諸預言者は預告せり()
外部リンク
- 2012年02月02日のツイート - 失われた何か はてな営業所@ohagi23: 【けいおん実写化決定】 平沢唯役:ミリイ・バラキレフ 秋山澪役:ツェーザリ・キュイ 田井中律役:モデスト・ムソルグスキー 琴吹紬役:アレクサンドル・ボロディン 中野梓役:ニコライ・リムスキー=コルサコフ 他のキャストは随時公開 ...
- 半ピアノオタの俺が淡々とあまりメジャーでないクラ曲を紹介していく ...喜びの島もいいね. 73:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/02/02(木) 09:31:08.65 ID:7w//u6rj0. スカルボを紹介したからにはこれを。 ミリイ・バラキレフ いわゆるロシア五人組の作曲家の一人 ピアノ好き的には、この人の ...
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