フランスの画家。1832年パリの法務省の高官と外交官の娘の間に生まれる。幼少より絵画に興味を持ち、16歳で画家になる決心を父に申し出たが、厳格な父によって反対され、海軍士官になるため船員の試験を受けたが不合格。その後父の妥協によって1850年歴史画家クチュールに師事することができた。イタリアなどへの旅行によって16世紀スペインのヴェネツィア派等の影響を受ける。1859年から毎年サロンに出品したが、1861年以外は毎年落選した。「1863年にナポレオン3世の名により開催された「落選展」に「草上の昼食」が出品され、風紀上はげしい批判を浴びたがボードレールやゾラ、ピサロやモネ、ドガなどの弁護によって印象派運動が巻き起こった。このためマネは「印象派の父」と呼ばれることとなった。1882年レジオン・ド・ヌール勲章を受章。代表作は他に「笛を吹く少年」「オランピア」など
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エドゥアール・マネ |
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[エドゥアール・マネ 人物情報]
Wikipediaの人物情報
エドゥアール・マネ(Édouard Manet, 1832年1月23日 - 1883年4月30日)は、19世紀のフランスの画家。
人物
ギュスターヴ・クールベと並び、西洋近代絵画史の冒頭を飾る画家の一人である。マネは1860年代後半、パリ、バティニョール街の「カフェ・ゲルボワ」に集まって芸術論を戦わせ、後に「印象派」となる画家グループの中心的存在であった。しかし、マネ自身が印象派展には一度も参加していないことからも分かるように、近年の研究ではマネと印象派は各々の創作活動を行っていたと考えられている。
生涯
ファイル:Carolus-Duran - Portrait of Edouard Manet.jpgマネは1832年、パリのセーヌ川左岸の一角で対岸にルーブル宮殿を望むボナパルト街で、謹厳なブルジョワジーの家庭に3人兄弟の長男として生まれた。父は法務省の高級官僚でレジオンドヌール勲章も授与されており、母ウジェニーはストックホルム駐在の外交官フルエニ家の娘であった。1844年名門中学コレージュ・ロランに入学。この頃から画家になることを考え始め、美術好きの伯父フルエニ大佐に連れられ、ルーブル美術館などで古典絵画作品に親しく接する。特にルイ・フィリップ (フランス王)がルーブル宮内に開設していた「スペイン絵画館」(1838~48年)で、当時一般には余り知られていなかった17世紀スペイン絵画の真摯なリアリズムに触れ、決定的な影響を受ける。
1848年両親の意向で海軍兵学校を受験するも早々に落第。再試験を待つ間練習船に見習い船員となり、南アメリカへ半年間航海に出る。帰国後の翌年、再試験を受けるがまたもや失敗。両親はマネの希望を受け入れ、17歳の時に本格的に画家への道に邁進出来るようになった。翌1850年に当時のアカデミスムの大家、トマ・クーチュールに弟子入りし、1856年まで学んだ。この6年間、マネは精力的に過去の巨匠たちの作品を模写、研究した。1859年、初めてサロン・ド・パリ(官展)に出品した『アブサンを飲む男』が落選したが、審査員を務めたウジェーヌ・ドラクロワや、詩人のシャルル・ボードレールからは高く評価された。1861年、『スペインの歌手』と『オーギュスト・マネ夫妻の肖像』をサロンに出品し、2作とも初入選する。マネの画風は、ディエゴ・ベラスケスを始めとするスペイン絵画やヴェネツィア派、17世紀のフランドル・オランダ黄金時代の絵画の影響を受けつつも、明快な色彩、立体感や遠近感の表現を抑えた平面的な処理などは、近代絵画の到来を告げるものである。
1863年の落選展に出品した『草上の昼食』は物議をかもし、2年後の1865年のサロンに展示された『オランピア』は、さらに大きなスキャンダルとなった(その理由については#評価の節を参照)。
1870年代以降は、自らが示唆を与えた印象派から逆に影響を受け、戸外での制作を積極的に行い、作風も印象派に特有の素早い筆致が目立つようになった。ただし上記の通り、印象派展には一度も参加せず、あくまでも(芸術運動としての)印象派とは一定の距離を置き続けた。
1878年から体調が不安定になり、1880年代に入ると左足が壊死にかかり歩行困難となった。1882年、晩年の代表作である『フォリー・ベルジェールのバー』をサロンに出品した。翌1883年に左足を切断したが、同年4月30日に死去した。
評価
(1862-63、オルセー美術館)(1863、オルセー美術館)『草上の昼食』と『オランピア』はいずれも激しいスキャンダルを巻き起こした作品として知られる。『草上の昼食』では、戸外にいる正装の男性と裸体の女性を描いたことから、不道徳であるとして物議をかもした。また、『オランピア』に描かれた裸体の女性は、部屋の雰囲気や道具立てなどから、明かに当時のフランスの娼婦であることがわかり、それが当時の人々の反感を買った。
西洋絵画史において裸婦像は数多く描かれてきたが、それらはあくまでもただの「裸婦」ではなく、ヴィーナス、ディアナなど神話の世界の「女神」たちの姿を描いたものであった。あるいは寝室や浴室など、描かれた女性が裸でいる事が自然なシチュエーションを選んで描いていた。しかし『草上の昼食』は着衣の男性と全裸の女性の組み合わせという明らかに不自然なシチュエーションを選んだ事、そして『オランピア』では娼婦を描いたため、「不道徳」だとされたのである。しかし、マネの絵画の抱える問題は、そのような社会的なものに留まらず、むしろ造形的な問題へと発展する。
マネは他の近代画家の大多数と異なり、古典絵画を非常に尊敬し、その伝統を踏襲しつつ、西洋絵画を解体していった。写実主義から受け継いだ思想は、マネを「近代」の画家へと導いた。研究が高度に進んだ現代においても、最も謎を残す画家の一人である。なぜ彼がそれまでの伝統を打ち壊し、近代の画家となりえたのか。あるいは彼が描く絵画そのものに隠された謎のモチーフの数々の意味するところは何か(『草上の昼食』における蛙や鳥、『オランピア』における黒猫など)。これらの謎も、マネの大きな魅力の一つでもある。
交流
マネは画家仲間のみならず詩人、作家との交流もあり、近代詩人の祖であるシャルル・ボードレール、エミール・ゾラ、そしてステファヌ・マラルメなどと深い親交があった。ボードレールはエッチング、ゾラとマラルメは油彩による肖像画がマネによって描かれている。
クロード・モネとは、1866年のサロンにモネが出品した海景画がマネの作品と間違えられたのを切っ掛けに交際するようになった。マネは7歳年下の画家がもつ卓越した水の描写力をいち早く見抜き、モネを「水のラファエロ・サンティ」と讃えている。また、ドガに描かれた室内画を「妻の顔が太りすぎている」という理由で一部を破り捨て、その後ドガとは一時険悪な関係になった。しかし、その喧嘩も長くは続かず、マネの死後ドガはその作品を数多く購入している。なおこの絵は現在、北九州市立美術館で見ることが出来るhttp://kmma.jp/collect/_dega01/dega0101.html。
女性画家エヴァ・ゴンザレスはマネに師事し、マネ唯一の弟子と言われる。
日本の美術館が所蔵する主なマネ作品
- サラマンカの学生たち (ポーラ美術館) 1860年
- 腕白小僧・犬と少年 (茨城県近代美術館) 1868~74年
- バラ色のくつ(ベルト・モリゾ) (ひろしま美術館) 1872年
- オペラ座の仮面舞踏会 (ブリヂストン美術館) 1873年
- 花の中の子ども (国立西洋美術館) 1876年
- 自画像 (ブリヂストン美術館) 1878~79年
- *肖像画を得意としたマネだったが、自画像は生涯2点しか描かなかったうちの1枚。ちなみにもう一枚は「パレットを持った自画像」(個人蔵、1879年)。
- ブラン氏の肖像 (国立西洋美術館) 1879年
- スペインの舞踏家 (村内美術館) 1879年
- ベンチにて (ポーラ美術館) 1879年
- 散歩 (東京富士美術館) 1880年
- 黒い帽子のマルタン夫人 (メナード美術館) 1881年
- 薄布のある帽子をかぶる女 (大原美術館) 1881年
- メリー・ローラン (ブリヂストン美術館) 1882年
- 灰色の羽根帽子の夫人 (ひろしま美術館) 1882年
ギャラリー
関連項目
作品- 草上の昼食
- オランピア
- 笛を吹く少年
- 皇帝マキシミリアンの処刑
- エミール・ゾラの肖像
- すみれの花束をつけたベルト・モリゾ
- フォリー・ベルジェールのバー
- 印象派
- トリビアの泉(クロード・モネと勘違いされ絶賛されたことがあるエピソードが紹介された)
参考資料・画集
- 高橋明也 『もっと知りたいマネ 生涯と作品』 東京美術〈アート・ビギナーズ・コレクション〉、2010年 ISBN 978-4-8087-0867-2
- アントナン・プルースト著/野村太郎訳 『マネの思い出』 美術公論社、1983年
- アンリ・ペリュシュ著/河盛好蔵・市川慎一訳 『マネの生涯』 講談社、1983年
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