フランスの画家。1819年オルナンの裕福な農家に生まれる。パリで法律を学んだ後、画家を志してルーブル美術館での模写で絵画を学んだ。1844年サロンに入選。1855年パリ万国博のサロンへ「画家のアトリエ」と「オルナンの埋葬」を出品しようとするが落選。そのため、自らの作品展を博覧会のすぐ近くで行った。当時は自分の作品のみを展示する展覧会はなく、これが世界初の「個展」といわれる。 また、クールベは古典絵画の模倣ではなく、生きた芸術を主張。労働者や農夫こそが主題にふさわしいと主張した。その後ナポレオン3世の勲章を拒否したことから民衆はとみなされ、1871年のパリコミューンでは委員に選ばれた。しかしコミューンの失敗で莫大な罰金を課され、スイスに亡命したものの、この負債に苦しみ1877年スイスで没。
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ギュスターヴ・クールベ |
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[ギュスターヴ・クールベ 人物情報]
Wikipediaの人物情報
ギュスターヴ・クールベ(クルベ) (, 1819年6月10日 - 1877年12月31日) は、フランスの写実主義の画家。
生涯
- 1819年、スイス国境に近いフランシュ=コンテ地域圏の山の中の村、オルナンに、裕福な地主の子として生まれる。
- 1831年、オルナンのカトリック系中学校に入学し、そこで基本的なデッサンを学ぶ。
- 1837年、王立の高等学校に入学する。そのかたわら画家フランジューロのもとで学ぶ。
- 1840年、21歳の時にパリへ出てソルボンヌ大学法学部に入学するが、本人を法律家にさせたかった父親の意図に反し、彼自身は画家を目指してアカデミー・スイスに通い、ルーヴル美術館で巨匠たちの作品を模写した。
- 1844年、『黒い犬を連れた自画像』がサロン・ド・パリに入選しているが、これは当時の画家としては非常に遅いデビューである。
- 1845年、『ギタレロ』がサロンに入選。
- 1846年、『革のバンドをした男』がサロンに入選。
- 1849年、『オルナンの食休み』がドミニク・アングル、ウジェーヌ・ドラクロワの二人に評価され、それがもとで国家が買い上げることになり、リール市立美術館に所蔵された。
- 1851年、『オルナンの埋葬』を出品するが、批判をうける。
- 1853年、サロンで批判をうけた『水浴びする女たち』、『眠る糸紡ぎ女』が美術愛好家のアルフレッド・ブリュイヤスに購入される。以後、彼はクールベの後援者となる。
- 1855年、パリにおいて世界で2番目の万国博覧会が開催された。クールベは、この万国博覧会に大作『画家のアトリエ』と『オルナンの埋葬』を出品しようとする。しかし他の作品は審査を通過したにも関わらず、これらの大作は落選してしまった。そこでクールベは後援者ブリュイアスに資金を仰ぎ、博覧会場のすぐ近くに小屋を建て、「ギュスターヴ・クールベ作品展。入場料1フラン」という看板を立て、1855年6月28日から公開した。当時、画家が自分の作品だけを並べた「個展」を開催する習慣はなく、このクールベの作品展は、世界初の「個展」だと言われている。また、この個展の目録に記されたクールベの文章は、後に「レアリスム宣言」と呼ばれることになる。「レアリスム宣言」において、クールベは「自分は生きた芸術をつくりたいのだ」と言っている。
- 1858年、ドイツに数カ月滞在し、『フランクフルトの夫人』などを制作する。
- 1870年、パリ・コミューンに参加し、反乱に荷担したことで投獄される。
- 1873年、スイスに亡命する。
- 1877年、亡命先で58歳の生涯を閉じた。なお、オルナンの生家は現在クールベ美術館になっている。
代表作『オルナンの埋葬』と『画家のアトリエ』
今ではクールベの代表作とされている、大作『オルナンの埋葬』も、発表当時の評判はさんざんであった。この絵にクールベが付けた題名は『オルナンの埋葬に関する歴史画』というものだった。当時のフランスの人々にとって「歴史画」とは、古代の神々、殉教者、英雄、帝王などを理想化された姿で描いた格調高い絵画のことであった。これに対し、オルナンという、山奥の田舎町の葬式に集まった名もない人々という主題を、まるで歴史上の大事件のように扱い、このような巨大な画面(縦約3.1メートル、横約6.6メートル)に表して「歴史画」と称するのは当時としては常識はずれのことだった。
もう一つの代表作『画家のアトリエ』も大作である(縦約3.6メートル、横約6メートル)。この作品には「私のアトリエの内部、わが7年間の芸術的な生涯を要約する現実的寓意」という長い副題が付せられている。「寓意画」とは、たとえば「愛」「真実」「信仰」「死」のような目に見えないもの、形のないものを擬人化したり、静物画で表したりする、西洋絵画の伝統的な主題の一つであるが、クールベは、アトリエで制作する自分自身の姿と、周囲に集まる30人ほどの人々を描写したこの絵を「寓意」だと言っている。画中に描かれた人物たちは、全員が何らかの「寓意」を表しているとされ、おおむね画面の向かって右半分はクールベのレアリスム絵画を理解し支持する人々のグループであり、画面左側の人々は、クールベの芸術を理解しない不幸で悲惨な人々だと理解されている。
クールベは、上記2作品のようなグループ肖像画のほか、森の中の動物を主題にした風景画や、官能的な裸婦像などにも傑作を遺している。
代表作
- 『オルナンの埋葬』(1849年)(オルセー美術館)
- 『画家のアトリエ』(1855年)(オルセー美術館)
- 『世界の起源』(1868年)(オルセー美術館)
- 『こんにちは、クールベさん』(1854年)(モンペリエ、ファーブル美術館)
- 『女とオウム』(1866年)(メトロポリタン美術館)
- 『石割り人夫』(第二次大戦中ドレスデン爆撃で焼失)
脚註
ギャラリー
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