ロシアの作家。1828年トゥーラ県ヤスナヤ・ポリャーナで伯爵家の四男として生まれる。8歳までに両親を失い、親戚に育てられた。カザン大学を中退し、故郷に帰った後、1851年将校としてカフカスの軍隊に入った。軍隊ではクリミヤ戦争に従軍。戦後は軍務を退いた。そして自伝「幼年時代」「少年時代」「青年時代」からなる3部作を相次いで発表し文壇にデビューした。 1864年からロシア社会の実像をナポレオン戦争時代のモスクワを中心に描いた傑作「戦争と平和」を著した。また、1873年からの「アンナ・カレーニナ」では特権階級のモラルを痛烈に批判し、この2作で世界的名声を獲得した。 1900年、「生ける屍」で上流社会の腐敗、宗教的虚偽を描いたが、教会への体制批判などから破門された。 社会的矛盾と自己の虚偽生活に悩んで家出し、肺炎にかかってアスタポヴァの駅で死去。 代表作は他に「懺悔」「イワン・イリーチの死」「闇の力」「クロイツェル・ソナタ」「何をなすべきか」「復活」など。
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レフ・トルストイトルストイ |
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[レフ・トルストイ 人物情報]
Wikipediaの人物情報
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(ロシア語:, ラテン文字表記:Lev Nikolajevich Tolstoj, 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕- 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕)は、ロシア帝国の小説家・思想家。ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並んで19世紀ロシア文学を代表する巨匠。代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活 (小説)』など。文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる。
生涯
トゥーラ (ロシア)郊外の豊かな自然に恵まれたヤースナヤ・ポリャーナで伯爵家の四男に生まれる。祖先は父方も母方も歴代の皇帝に仕えた由緒ある貴族だった。富裕な家庭ではあったが、2歳のとき母親を、9歳のとき父親をなくし、親戚の女性たちに育てられる。カザン大学に入学するが、成績はふるわず、2年足らずで中退。このころジャン=ジャック・ルソーを耽読し、その影響は生涯続いた。
1847年、広大なヤースナヤ・ポリャーナを相続し、農地経営に乗り出し、農民の生活改善を目指すが、農民に理解されず失敗。モスクワとペテルブルクで放蕩生活を送ったのちコーカサスの砲兵旅団に志願して編入される。1852年24歳のとき、その地で執筆した『幼年時代』がニコライ・ネクラーソフの編集する雑誌『同時代人』に発表され、新進作家として注目を集める。クリミア戦争では将校として従軍し、セヴァストポリで激戦の中に身をおく。軍での体験は『セヴァストポリ物語』(1855)や『コサック』(1863)などに結実し、のちに非暴力主義を展開する素地ともなった。
退役後、)と結婚し、これ以降地主としてヤースナヤ・ポリャーナに居を定めることになる。夫婦の間には9男3女が生まれた。
幸福な結婚生活の中で書かれたのが、世界文学史上に残る傑作『戦争と平和』(1864-69)と『アンナ・カレーニナ』(1873-77)である。前者はナポレオン軍の侵入に抗して戦うロシアの人々を描いた歴史小説であり、500人を越える登場人物がリアリズムの手法によってみな鮮やかに描き出されている。後者は当時の貴族社会を舞台に人妻アンナの不倫を中心に描く長編小説であり、前者に比べより調和に富み、構成も緊密である。一方『アンナ・カレーニナ』の執筆とほぼ並行して、初等教育の教科書作成にも力を注いでいる。
がヤースナヤ・ポリャーナで撮影したトルストイ。世界的名声を得たトルストイだったが、『アンナ・カレーニナ』を書き終える頃から人生の無意味さに苦しみ、自殺を考えるようにさえなる。精神的な彷徨の末、宗教や民衆の素朴な生き方にひかれ、山上の垂訓を中心として自己完成を目指す原始キリスト教的な独自の教義を作り上げ、以後作家の立場を捨て、その教義を広める思想家・説教者として活動するようになった。その活動においてトルストイは、民衆を圧迫する政府を論文などで非難し、国家を否定したが、たとえ反政府運動であっても暴力は認めなかった。当時大きな権威をもっていたロシア正教会も国家権力と癒着してキリストの教えから離れているとして批判の対象となった。また信条にもとづいて自身の生活を簡素にし、農作業にも従事するようになる。そのうえ印税や地代を拒否しようとして、家族と対立し、1884年には最初の家出を試みた。
上記の「回心」後は、『人生論』(1887)、『神の国は汝らのうちにあり』(1893)など宗教や道徳に関する論文が多くなる。『芸術とは何か』(1898)では、自作も含めた従来の芸術作品のほとんどが上流階級のためのものだとして、その意義を否定した。小説も教訓的な傾向の作品が書かれるようになる。『イワン・イリイチの死』(1886)、『クロイツェル・ソナタ』(1889)などがそれにあたる。その中でも最大の作品は、政府に迫害されていたドゥホボルの海外移住を援助するために1899年に発表された『復活』であり、堕落した政府・社会・宗教への痛烈な批判の書となっている。また大衆にも分かりやすい『イワンのばか』(1885)のような民話風の作品も書かれた。ただ作品の出版は政府や教会の検閲によって妨害され、国外で出版したものを密かにロシアに持ち込むこともしばしばであった。
作家・思想家としての名声が高まるにつれて、人々が世界中からヤースナヤ・ポリャーナを訪れるようになった。1891年から93年にかけてロシアを飢饉が襲ったときは、救済運動を展開し、世界各地から支援が寄せられたが、政府側はトルストイを危険人物視した。1890年代から政府や教会の攻撃は激しくなり、1901年には教会はトルストイを破門にしたが、かえってトルストイ支持の声が強まることになった。1904年の))で下車した。1週間後、11月20日に駅長官舎にて肺炎により死去。82歳没。葬儀には1万人を超える参列者があった。遺体はヤースナヤ・ポリャーナに埋葬された。遺稿として長編『ハジ・ムラート』(1904)、戯曲『生ける屍』(1900)などがある。
影響
トルストイは存命中から人気作家であっただけでなく、ソビエト連邦時代もソビエト連邦共産党から公認され、その地位は揺るがなかった。レーニンが愛読者であったことは知られている。トルストイはガルシン、アントン・チェーホフ、コロレンコ、イヴァン・ブーニン、クプリーン、およびロシア革命後ソ連で活動したショーロホフ、アレクセイ・ニコラエヴィッチ・トルストイ、ボリス・パステルナークをはじめ多くの作家に影響を与えている。ただし、宗教思想について本格的に論じられるようになるのはペレストロイカ以降である。また、トルストイの教科書をもとにした教科書がペレストロイカ後に出版されている。
西欧においては1880年代半ばには大作家としての評価が定着した。またロマン・ロラン、トーマス・マンらがトルストイの評伝を書き、ロジェ・マルタン・デュ・ガールが1937年ノーベル賞受賞時の演説でトルストイへの謝意を述べるなど、その影響は世界各国に及んでいる。一方トルストイの非暴力主義にはロマン・ロランやマハトマ・ガンディーらが共鳴し、ガンディーはインドの独立運動でそれを実践した。
2002年にノルウェー・ブック・クラブ(Norwegian Book Club)が選定した「世界文学最高の100冊」()に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『イワン・イリッチの死』が選ばれている。2007年刊行の『トップテン 作家が選ぶ愛読書』“The Top Ten: Writers Pick Their Favorite Books”においては、現代英米作家125人の投票により、世界文学史上ベストテン。文学者・宗教者・社会主義者など広範な人々が影響を受けている。初めて作品が翻訳されたのは1886年(明治19)であり、森鷗外や幸田露伴といった一流作家も重訳ながら短編を翻訳した。徳富蘇峰・徳富蘆花らはヤースナヤ・ポリャーナで直接面会している。森鷗外や島崎藤村も文豪の作品に親しんだ作家である。日露戦争反対の論文『悔い改めよ』(1904・明治37)は、幸徳秋水、堺利彦らの『平民社』に掲載されて社会主義者を鼓舞し、与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』執筆の契機となった。『平民新聞』の関係者であった木下尚江や中里介山も以後トルストイと関わっていくことになる。同じころ賀川豊彦は作品を読んで反戦思想を形成しつつあった。1914年(大正3)から島村抱月によって悲恋物語に脚色された『復活』が松井須磨子主演で上演され、大評判となる。大正期にはトルストイの思想が白樺派の文学者を中心に大きな影響を及ぼしている。武者小路実篤の「新しき村」の運動や有島武郎の農地解放はその例である。宮沢賢治も文豪に関心を寄せた作家としてあげられる。また最初の全集も大正期に出版されている。
逸話など
トルストイは、小説作品に自らの生きた社会を現実感をもって描写しようと努めた。1863年の『コサック』では、ロシア貴族とコサックの娘の恋愛を描きながら、コサックの生活を描写している。『アンナ・カレーニナ』では、社会慣習の罠に陥った女性と哲学を好む富裕な地主の話を並行して描くが、地主の描写には農奴とともに農場で働き、その生活の改善を図ったトルストイ自体の体験が反映している。トルストイはまた社会事業に熱心であり、自らの莫大な財産を用いて、貧困層へのさまざまな援助を行った。援助資金を調達するために作品を書いたこともある。『戦争と平和』の主人公ピエール・ベズーホフにもトルストイ自身の思索が反映している。『戦争と平和』で、トルストイはロシアの貴族社会のパノラマを描き出した。また『イワン・イリイチの死』では、死を前にした自身の恐怖を描き出している。
トルストイの影響は政治にも及んだ。ロシアでの無政府主義の展開はトルストイの影響を大きく受けている。ピョートル・クロポトキン公爵は、ブリタニカ百科事典の「無政府主義」の項で、トルストイに触れ「トルストイは自分では無政府主義者だと名乗らなかったが……その立場は無政府主義的であった」と述べている。
トルストイは(1871年–1942年?)を通してルドヴィコ・ザメンホフと親交を結び、エスペラントを知って熱心な信奉者になった。トルストイは、エスペラントについて「学習を始めて二時間で読み書きができるようになった」と評価している。
晩年の作品『復活』はロシア正教会の教義に触れ、1901年に破門の宣告を受けた。社会運動家として大衆の支持が厚かったトルストイに対するこの措置は大衆の反発を招いたが、現在もトルストイの破門は取り消されていない。一方で、存命当時より聖人との呼び声があったクロンシュタットのイオアン神父(のち列聖される)は正教会の司祭でありながらトルストイとの交流を維持しつつ、正教の教えにトルストイを立ち帰らせようと努めたことで知られる。またトルストイと交流していた日本人瀬沼恪三郎は日本人正教徒であった。瀬沼恪三郎やイオアンとも会っている事にも見られる通り、必ずしもトルストイと正教会の関係は完全に断絶したとは言えない面もある。
映像および肉声が残されており(映像の世紀で見ることができる)、文学者の映像・音声として最古のものの一つである。その中には死の3週間前のものと死後の映像が含まれている。
主要作品
- 幼年時代 (1852年)
- セヴァストポリ物語 (1855-56年)
- コサック (1852-63年)
- 戦争と平和 (1864-69年)
- アンナ・カレーニナ (1873-77年)
- 教義神学研究 (1879-80年)
- 懺悔 (1878-82年)
- イワンのばか (1885年)
- イワン・イリイチの死 (1886年)
- 闇の力 (1886年)
- 人生論 (1889年)
- クロイツェル・ソナタ (小説) (1889年)
- 神の国は汝らのうちにあり (1891-93年)
- 芸術とは何か (1897-98年)
- 復活 (小説) (1889-99年)
- 生ける屍 (1900年)
- ハジ・ムラート (1896-1904年)
脚注
関連項目
- アナキズム
- 徳富蘆花 面会した
- 中村白葉 全集の個人訳、河出書房
- 瀬沼夏葉
- ヤースナヤ・ポリャーナ駅
- 終着駅 トルストイ最後の旅
外部リンク
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