Verlaine, Paul Marie

ポール・ヴェルレーヌ

ヴェルレーヌ
Verlaine, Paul Marie
1844年03月30日~1896年01月08日
[フランス] [詩歌]

[ポール・ヴェルレーヌ 人物情報]

フランスの詩人。1844年軍人の子としてメッツに生まれる。 14歳のとき、ヴィクトル・ユーゴーに自作の詩を送る。大学を卒業する頃には酒浸りで放蕩無頼の生活を送るようになっていた。 市役所に勤めながら詩を発表していたが、パリ・コミューンのさなか失職。詩人ランボーとの同性愛によって妻とも離婚、ランボーとの関係も愛情のもつれから、ランボーを狙撃するという事件を起こすに至る。事件によって1873年?75年を獄中で過ごし、出獄後も新婚と病気に苦しんだ。 ヴェルレーヌはナポレオン3世の時代から普仏戦争に至る時代のフランスの陰の部分を抒情味豊かに謳った。また、象徴派の始祖とされる。 日本では上田敏や堀口大學らの訳が有名。代表作は詩集『艶なるうたげ』『言葉なき恋歌』『叡智』など。

Wikipediaの人物情報

ポール・マリー・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine)(1844年3月30日 - 1896年1月8日)は、フランスの詩人。ポール・ヴェルレーヌ、あるいは単にヴェルレーヌとも呼ばれる。ステファヌ・マラルメ、アルチュール・ランボーらとともに、象徴主義といわれる。多彩に韻を踏んだ約540篇の詩の中に、絶唱とされる作品を含みながら、その人生は破滅的であった。

日本語訳では上田敏による「秋の日のヰ゛オロンのためいきの……」(落葉=秋の歌)、堀口大學による「秋風のヴィオロンの附節ながき啜泣……」(秋の歌)、「巷に雨の降るごとく……」などの訳詩で知られる。

生涯と作品

彼の一生には、酒・女・神・祈り・反逆・背徳・悔恨が混在した。晩年には文名を高めデカダンスの教祖と仰がれたが、初期の作品の方が評価されている。以下で、箇条書きの部分は文学的事項である。

生い立ち

1844年-1864年

ドイツに接するモゼル県のメス (フランス)に生まれた。父は、ベルギー生まれのフランス軍人。母は、パ=ド=カレー県アラス近郊の生まれ。経済的な環境は恵まれていた。父の退役後一家はパリに出(7歳)、ポールは小学校の寄宿舎に入り、次いでボナパルト中学(Lycée Bonaparto)(現在のコンドルセ中学(Lycée Condorcet )に、さらに修辞学級に進むが卒業には至らなかった。大学入学試験に合格し(18歳)、パリ市役所書記になる(20歳)。
  • 1858年(14歳):習作をヴィクトル・ユーゴーに送る。このころ、シャルル・ボードレールの『悪の華』などの詩集を乱読する。
  • 1863年(19歳):雑誌に匿名の投稿をする。パリの文人らを知る。

青年期

1865年-1871年

父を喪う(21歳)。マチルド・モーテ(Matild Mauté)と婚約し(25歳)、翌年挙式。間もなく普仏戦争(1870年7月19日 - 1871年5月10日)に召集された。1871年のパリ・コミューン鎮圧(5/20 - 28)の騒擾を、パリのパンテオン (パリ)近くの自宅で避けた。失職した。長男ジョルジュ誕生(27歳)。
  • 1866年(22歳):詩人らが稿を持ち寄った第1次「現代高踏詩集」(Le Parnasse contemporain)に、7篇を寄稿。
  • 1867年(23歳):サテュルニアン詩集(Poèmes saturniens)を従姉の費用で処女出版。ブリュッセルで女の友達(Les Amies)を匿名で刊行(後に「雙心詩集」に収録)。
  • 1868年(24歳):文壇の知人を増やす。「女の友達」で、軽罪裁判所に処罰される。ブリュッセル在のユーゴーを訪問。
  • 1869年(25歳):「よき歌」の数篇を書く。艶なる宴(Fêtes galantes)刊行。
  • 1871年(27歳):第2次「現代高踏詩集」に、5篇を投稿。

アルチュール・ランボー

、L・ヴァラード、E・デルヴィリィ、C・ペルタン、後列左よりP・エルゼアル・ボニエ、E・ブレモン、J・エカール。アンリ・ファンタン=ラトゥール筆1871年-1875年

結婚1年後、ランボーと会い、妻に乱暴を繰り返した上、彼と同棲し、イギリス・ベルギー・北仏を転々した。母と妻が説得に来ても、置き去りにして逃げ、妻に絶縁状を書いた。ユーゴーに妻との交渉を懇願した。ロンドンで病臥し、母を呼んだ(28歳)。転々するブリュッセルで、ランボーにピストルを撃ち、収監された(29歳)。妻の別居請求(この時点では離婚はしていない)が認められたことを獄中で知り、落胆し、カトリックに帰依した(30歳)。一年半後出獄し、元妻との和解をはかる一方、旅先でランボーと格闘した(31歳)。
  • 1872年(28歳):婚約時代のマチルドを歌った優しき歌(La Bonne chanson)、戦乱に遅れて発行。
  • 1874年(30歳):言葉なき恋歌(Romances sans paroles)が友人の手で刊行され、獄中の著者に届けられる。
  • 1875年(31歳):第3次「現代高踏詩集」への投稿を忌避される(このとき、マラルメも同様)。

教職と美少年

1875年-1885年

イギリスの中学に教職を得た(31歳)。アルデンヌ県の学校に転じ、生徒中の美少年リュシアン・レチノアに惚れ(33歳)、授業をおろされ、リュシアンと英国へ渡り、教職を得た。元妻との和解をまたはかり、黙殺された(35歳)。リュシアンを伴い帰国し、その郷里に滞留(36-37歳)。母と暫くパリに住み、市役所への復職をはかり果せず、西郊の学校に就職した(38歳)。リュシアンが死に(39歳)、その故郷で堕落放浪の日を送った(-40歳)。泥酔して母の頸を絞め、入牢。出獄後またリュシアンの故郷を放浪した(41歳)。
  • 1881年(37歳):叡智(Sagesse)刊行、売れ行き振るわず。
  • 1882年(38歳):雑誌に、「昔と近頃」の数詩篇と、獄中作の詩法(Art poétique)を発表(「詩法」は後に「昔と近頃」に併載)。
  • 1884年(40歳):評論、呪われた詩人たち(Les Poètes maudits)刊行。

栄誉と窮乏

1885年-1896年

パリへ戻り、無一文。ホテル住まいした。左膝を患い、一時慈善病院へ(41歳)。経済的援助をした母死亡、葬儀には病気で不参。ホテルを追い出され(42歳)、以降慈善病院を転々(42歳-)。慈善病院から娼婦ユージェニー・クランツの家へ転じ、情夫となった。生活費のため、オランダへ講演旅行(48歳)。ユージェニーに駆け落ちされ、慈善病院入院。娼婦フィロメーヌ・ブーダンに連れ出された。国内およびイギリスへ講演旅行をした(49歳)。ユージェニーと和解しまた同棲した。入院2回(50歳)。文部省から救済の500フランを受け取る。パンテオン近くの自宅歓楽街として名高いRue Mouffetardと繋がり、名門高校のアンリ四世校の裏手にあるRue Descartesにある。この建物は現在『ヴェルレーヌの家』と呼ばれるレストランになっているが、内装はヴェルレーヌ関係のものは一切なく映画俳優らの写真を並べたもので、価格も同じ通りのほかのレストランに倣い旅行者向けの手ごろな値段である。またこの建物の左隣には辻邦生が在住したと記した、ヴェルレーヌのものより一回り小さい記念プレートがある。で、娼婦に看取られて死去。遠からぬサン・テチエンヌ・デュ・モン教会で葬儀。)ほか参列者多数。ただし、入営し病中の息子ジョルジュは不参。パリ市17区のに埋葬(51歳)。

日本では、東大生の上田敏が、「ポオル・ヴェルレエヌ逝く」(1896)を発表した。
  • 1885年(41歳):漸く文名を世に知られる。昔と近頃(Jadis et naguère)刊行。
  • 1886年(42歳):雑誌に「パルジファル」(Parsifal)掲載。
  • 1888年(44歳):愛の詩集(Amour)刊行。
  • 1889年(45歳):雙心詩集(Parallèlement)刊行。
  • 1890年(46歳):献書詩集(Dédicaces)予約出版。
  • 1891年(47歳):文名ますます高まる。「人さまざま」(Les Une et les Autres)上演。幸福(Bonheur)、「ヴェルレーヌ選集」、女に捧げる歌(Chansons pour elle)刊行。
  • 1892年(48歳):我が病院(Mes hôpitaux)、内なる祈祷の書(Liturgies intimes)刊行。
  • 1893年(49歳):プリューム(La Plume)誌の第8回饗宴の座長を勤める。アカデミー・フランセーズの会員に立候補し、取り消す。哀歌(Élégies)、その名誉を讃える歌(Odes en son honneur)、獄中記(Mes prisons)、オランダ15日(Quinze jours en Hollande)刊行。
  • 1894年(50歳):奈落の底(Dans les limbes)刊行。ルコント・ド・リールの後任として、「詩王」(Prince de Poéte)に選ばれる。エピグラム(Épigrammes)刊行。
  • 1895年(51歳):懺悔録(Confessions)刊行。「失意」Désaooiubtenebt執筆。

日本語文献

おもな日本語訳
  • 「海潮音」、上田敏訳、本郷書院(1905) → 新潮文庫(改版2006)ISBN 9784101194011
  • 「珊瑚集」、永井荷風訳、籾山書店(1913) → 岩波文庫(改版1991)ISBN 978-4003104163
  • 「ヴェルレエヌ詩集」、鈴木信太郎 (フランス文学者)訳、創元社(1947)(詳細な年譜あり) → 岩波文庫(改版2004)ISBN 9784003254714 → 「全集. 2巻 訳詩編」、大修館書店
  • 「叡智」、河上徹太郎訳、芝書店(1935)→ 新潮文庫(復刊1994)ISBN 9784102171028 → 「全集.7巻 翻訳編」、勁草書房
  • 「ヴェルレーヌ詩集」、堀口大學訳、新潮社 世界詩人全集8 (1937) → 新潮文庫(改版2007)ISBN 9784102171011 → 「全集.3巻 訳詩編」、小澤書店 
  • 「ヴェルレーヌ詩集」、野村喜和夫訳編、思潮社「海外詩文庫」 (1995) 新書版
おもな伝記作品研究
  • 『堀口大學全集.5巻 「ヴェルレーヌ研究」』、小澤書店(1983) 
  • ピエール・プチフィス、『ポール・ヴェルレーヌ』、平井啓之、野村喜和夫訳、筑摩書房(1988)
  • アンリ・トロワイヤ 『ヴェルレーヌ伝』 沓掛良彦、中島淑恵訳、水声社、(2006)
  • 野内良三 『ヴェルレーヌ 人と思想』 清水書院 (1993) 新書版

歌曲

以下の作曲家がヴェルレーヌの詩による歌曲を作曲している。
  • ガブリエル・フォーレ - 『艶なる宴』から4篇、『言葉なき恋歌』から2篇、『優しき歌』から9編、他
    • 「月の光」Op.46-2(1887年)
    • 「憂鬱」op.51-3(1889年)
    • 歌曲集『5つのヴェネツィアの歌』Op.58(1891年、5曲)
    • : 「マンドリン」「ひめやかに」「グリーン」「クリメーヌへ」「やるせない夢心地」
    • 歌曲集『優しき歌』op.61(1891年 - 1892年、9曲)
    • : 「後光を背負った聖女」「暁の光は広がり」「白い月影は森に照り」「私はつれない道を歩む」「私は本当に恐ろしいほど」「暁の星よ、お前が消える前に」「それはある夏の明るい日」「そうでしょう?」「冬が終わって」
    • 「牢獄」Op.83-1(1895年)
  • クロード・ドビュッシー - 『艶なる宴』から9篇、『言葉なき恋歌』から6篇、『叡智』から3篇
    • 「操り人形」(1882年)
    • 「ひめやかに」(1882年)
    • 「マンドリン」(1882年)
    • 「パントマイム」(1882年)
    • 「月の光」(1882年)
    • 歌曲集『忘れられたアリエッタ』(1886年 - 1889年、6曲)
    • : 「やるせない夢心地」「巷に雨の降るごとく」「木陰にて」「木馬」「緑」「憂鬱」
    • 歌曲集『艶なる宴』第1集(1891年、3曲)
    • : 「ひめやかに」「操り人形」「月の光」
    • 歌曲集『3つの歌曲』(1891年、3曲)
    • : 「海はさらに美しく」「角笛の音は悲しく」「垣根のつらなり」
    • 歌曲集『艶なる宴』第2集(1894年、3曲)
    • : 「無邪気な人たち」「牧神」「感傷的な対話」
  • モーリス・ラヴェル - 『艶なる宴』から1編、『叡智』から1篇
    • 「暗く果てしない眠り」(1895年)
    • 「草の上で」(1907年)

肖像画

File:Courbet - Paul Verlaine.jpg画File:CarrierePortraitVerlain.jpg|1890年ウジェーヌ・カリエール画File:Paul Verlaine-Edmond Aman-Jean mg 9503.jpg画File:Paul Verlaine-Edouard Chantalat mg 9502.jpg|1898年

関連項目

  • 太陽と月に背いて

脚注

外部リンク


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