フランスの文学者。駐仏スウェーデン大使スタール・ホルシュタイン男爵夫人であったので、スタール夫人と呼ばれる。本名アンヌ・ルイズ・ジュルメーヌ。シャトーブリアンとともにフランスロマン主義の先駆者といわれる。フランスの財務長官ネッケルの娘。
代表作は『文学論』など。
![]() |
スタール夫人スタールフジン (別名:アンヌ・ルイズ・ジュルメーヌ) |
|---|
[スタール夫人 人物情報]
Wikipediaの人物情報
アンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ド・スタール(Anne Louise Germaine de Staël,1766年4月22日 - 1817年7月14日)は、フランスの批評家、小説家。多く、スタール夫人(Madame de Staël)の名で知られる。文芸評論、政治思想などで才能を発揮し、フランス・ロマン派の道を開き、後のフランスのみならずドイツなどの文学論に影響をあたえた。また、フランス革命からナポレオン・ボナパルトの君臨に至る時代、多くの政治評論も行い、ナポレオンと終生対立する運命となる。彼女の正式な名前は、スタール=ホルシュタイン男爵夫人アンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ネッケール(Anne-Louise Germaine Necker, baronne de Staël-Holstein)。フェミニズムの先駆者でもある。
生涯
スイスの政治家・財政家ジャック・ネッケルの娘として、パリで生誕。幼くして、両親に連れられて、百科全書派の哲学者や文学者の集うサロンに足を運び、彼らから、その才能ぶりを絶賛される。1786年にパリに住むスウェーデン大使のエリック・マグヌス・スタール・フォン・ホルシュタインと結婚(しかし2年後には、別居状態になる)。
1788年に書いた『ルソーの性格および著作についての手紙』で文壇に認められた。フランス革命時は、積極的に参加。外国大使の妻という身分を活かし、革命が過激になる中、生命の危険にさらされた友人たちの身の安全の確保にもつとめた。モンモランシー、ナルボンヌ、シャルル・モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールらとはこの頃、特に親しかった。特にナルボンヌとは、一線を超えた関係となったという。革命に対する穏健的な政治姿勢がやがて反感を買い、父の領地でもあるスイスのコペに亡命。パリとの往復を繰り返す。この頃に、バンジャマン・コンスタンを知る。
1795年には、『小説論』を発表。これは、ドイツの文豪・ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテから絶賛され、ゲーテ自ら独訳を行い、ドイツ文学にも大きな影響をあたえた。次いで『個人と国民に及ぼす情熱の影響について』(1796年)は、モラリスト的な立場から書かれた熱情と愛についての大作であるが、大きな反響を呼び、フランス文学にロマン主義の道を開いた。やがて、フランス革命が彼女の考えた穏健で平和的な立憲君主主義とは程遠く過激になっていくのを憂い、マリー・アントワネットの助命を懇願する論文なども手がけた。なお当初から別居状態が続いていた夫のスタール=ホルシュタイン男爵とは、1799年に正式に離婚し、男爵は1802年に死去している。因みにタレーランをフランスの政界に売り込んだのも、当時愛人であった彼女であった。
革命終結後、歴史はナポレオンの独裁政治へと変質していくにつれ、やがてナポレオンに異常なまでの好意を寄せることになる。しかし、スタール夫人の礼を失するほどの大胆な行動にナポレオンの反応は一貫して冷ややかであった。やがてその冷たい態度が、彼女の気持ちを反ナポレオンへと変化させていく。この頃発表した『文学論』(1800年)では、文学者の反専制的使命と文学者の自由を強調しすぎたため、ナポレオンから不快感を買う。さらに、カトリック教会の宗教観を取り扱った小説『デルフィーヌ』(1802年)が出るに及んで、ナポレオンは激怒し、ついに彼女はパリから追放される(この時、ナポレオンはカトリック教会との和解にこぎつけていた)。
その後、スタール夫人はドイツに旅行。フランクフルト・アム・マイン、ヴァイマル、ベルリンなどを訪問。父の死を挟んで、イタリアへと旅立った。その後、コペーで、サロンでの活動に熱中し、多くの人と批評を行い有名になった。この頃、多感な女性の姿を綴った小説『コリンヌ』(1805年)を発表。さらに、ドイツ・オーストリアへと旅立つ。この旅で、彼女は周辺諸国の反ナポレオンの人々を味方につける事になる。この2回のドイツ旅行と家庭教師に雇ったアウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルの援助の元、ドイツ人の民族性とロマン主義とを綴った『ドイツ論』出版のため、パリに着たが、内容がまたしてもドイツを称賛する内容でナポレオンの怒りを買い、発禁の処分が出る。彼女は、危険人物と目され、監視の下に置かれる。1812年には、20歳年下の士官と再婚、オーストリア、ロシア、スウェーデン、イギリスへと赴き、1813年にドイツ論を発刊する。
1814年にナポレオン体制が崩壊しパリに舞い戻った。ナポレオン包囲網への結集とナポレオンの政敵であるスウェーデン王太子カール14世ヨハン (スウェーデン王)を擁立し、立憲君主制の成立のために欧州諸国を巡りベルナドットを売り込む画策を行なうためであった。ロシア皇帝アレクサンドル1世の支持も得た。しかし結果はブルボン家によるフランス復古王政であった。1816年には、『逃亡の10年』『フランス革命についての考察』を出版。しかしこの頃、既にサロンにおいて昔日の彼女の姿はなかったという。
スタール夫人はナポレオンに対抗したことで、ナポレオンに似てしまったと言われている。ブルボン家の復位による失望や、ナポレオンなど闘争の対象を失って人生の張り合いを失い、晩年にはアヘンも常用するようになった。ほどなく脳出血で倒れ、半身不随になり、その後、51歳で政治的だった生涯を閉じた。亡くなったのはパリである。
子孫に、1929年にノーベル物理学賞を受賞したルイ・ド・ブロイ(第7代ブロイ公爵)がいる。
作品
邦訳では、ドイツ論など数編の著作が近年、出版されているが、邦訳されていないものの方が多い。
- Lettres sur les ouvrages et le caractère de Jean-Jacques Rousseau (1788),(ルソーの性格および著作についての手紙)
- Essai sur les dictions(1795)(小説論)
- De l'influence des passions sur le bonheur des individus et des nations (1796)(個人と国民に及ぼす情熱の影響について)
- Des cironstances actuelles qui peuvent terminer la Révolution et des principes qui doivent fonder la République en France(1799頃)(革命を終結せしめうる現下の情勢とフランに共和国を樹立する原理について)
- De la littérature considérée dans ses rapports avec les institutions sociales(1800)(社会制度とその関係でみた文学)
- Delphine (1802)(デルフィーヌ)
- Corinne ou l'Italie (1805)(コリンヌ)
- De l'Allemagne (1810)(ドイツ論)
- Les considérations sur la Révolution française(1817)(フランス革命に関する考察。死後出版された)
語録
- 二人の天才が結ばれることは、フランスの国益に合致する。
- 天才に性差はない。
- 私は自分を賢いと思っているが、ボナパルトは私ほど賢いでしょうか。
- カール14世ヨハン (スウェーデン王)は現代の英雄である。彼こそは真面目な人々のためのナポレオンである。
外部リンク
- スタール夫人 - Arm aber Sexy作者: スタール夫人; 出版社/メーカー: 鳥影社・ロゴス企画部; 発売日: 2000/07; メディア: 単行本; クリック: 1回; この商品を含むブログ (3件) を見る. 予想していたよりもずっと正攻法な内容だったので驚いた。てっきり、アンチフランスでドイツ ...
- フランス男との愛に満ちた暮らし : ロマンチシズム偏見というわけでではないですが どのひともあまり堅実な伴侶向けでは なさそうな気が、、、(※スタール夫人をぬく) こっちがやや援助しなきゃいけなそうな気配が、、、、 でもこういう風潮や思想や芸術を愛する人間の姿勢、 みたいなものは ...
- キリスト教と仏教の死生観の違い 詩篇から死篇を学ぶ 詩篇23篇vs般若 ...... ですが、そのような終わりではなく、一つのすばらしい誕生の始まりなのです。」(M・ロバン 1902-1981 フランスの聖痕受容者) 「異教徒は生を至上のものとし、キリスト者は死を至上のものとした。」(スタール夫人 1766-1817 フランスの作家) ...
- 悪の天才 タレイラン 年表(これだけコピーしておけば忘れないだろう ...9/07、タレイラン、ダントンの許可を得て渡英。さらに、投機に失敗して無一文。スタール夫人と関係。 スタール夫人、ネッケルの娘、駐仏スウェーデン大使スタール・ホルスタインと結婚。ジェルメーヌ・ド・スタールを名乗る。スイス・コペの父の下に ...
- すべてを納得すれば 心はきわめて寛大に:エンジョイ マナー らいふすべてを納得すれば心はきわめて寛大になる』 スタール夫人1766〜1817 フランスの作家 とても うなずける言葉ですね 今朝の体重測定… 昨日より マイナス 0.1 順調です 後一週間で マイナス0.4 で 今回目標の マイナス2.5クリアします ...
- 同情。 女心。 運・不運。: K-ヘルススタール夫人. ☆運・不運はナイフのようなものだ。その刃をにぎるか、柄をにぐるかで、われわれを傷つけたり、役にたったりする。 男女の結びつきも、きっとそういえるでしょう。愛し合っている二人でも、ひとつのことばで、永遠の仲違いをして ...
- 蒼風日々徒然 【QMA】文系学問キューブ覚え書き63,フランス、ロマン派の作家スタール夫人の代表作→デルフィーヌ 64,モンゴル人民共和国の建国に尽力→スヘバートル 65,かつて現在のシリア西部に存在した古代都市国家です→ウガリット 66,ドストエフスキーの小説『白痴』の主人公→ ...
- スタール夫人 文学者 満州っ子 平和をうたう/ウェブリブログ満州っ子 平和をうたうのスタール夫人 文学者に関する詳細記事。(Powered by BIGLOBEウェブリブログ)スタール夫人(1766~1917)7月14日、この日死んだフランスの文学者。その熱烈な自由主義思想は、ナポレオンににくまれて追放 ...
- 大摩邇(おおまに) : 「高利貸しロートシルト その2」ナポレオンを口撃するスタール夫人、シャルル・タレイランと実懇。タレイラン、無心の代償に、ジェームズ・ロスチャイルドをフリーメーソン最高監査役に任命。 パリ占領時代、ピエール・ブロソレット、フリーメーソンの組織とロスチャイルドの財力を ...
- エコな家づくり、エコな暮らしを実現する渡辺ハウジングの「やすらぎの家 ...-2012(平成24)年1月28日(土) -赤口-. ・初不動、・コピーライターの日、・にわとりの日 ・すべてを納得すれば心はきわめて寛大になる (スタール夫人 1766~1817 フランス作家). ***************************やすらぎ*************************** ...
ニュースはありません。
人名辞典ではこのページで使用している画像の著作権は消失しているものと認識し ているか、許可を得て掲載しております。 万一、画像が許可を得て掲載されていない場合は速やかに画像を外すか、正式な許可を得る手続きをいたしますのでご連絡下さい。

