フランスの詩人。作品は15歳から19歳にかけてつくったものであるため「早熟の天才」と称される。 1854年フランス北東部シャルルヴィルに陸軍の軍人の子として生まれる。幼少期は優秀さ知られたが普仏戦争が勃発して生活が激変すると、家出を繰り返し学業を放棄した「反抗の時代」を迎えた。1871年パリに出てヴェルレーヌと出会って同性愛の関係となり、ブリュッセルやロンドンを共同生活を送った。二人の関係が破綻した1873年ヴェルレーヌにより発砲され負傷。ヴェルレーヌは逮捕される。この後、代表作の『地獄の季節』を執筆。そして1874から75年頃『イルミナシオン』を最後に文学から離れた。その後はヨーロッパ各地やアラビア・アフリカを放浪し、貿易の職に就いた。1891年骨肉腫により右足を切断したが、ガンが全身に転移して死去。
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アルチュール・ランボーランボー (別名:ランボオ) |
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[アルチュール・ランボー 人物情報]
Wikipediaの人物情報
、ランボー、L・ヴァラード、E・デルヴィリィ、C・ペルタン、後列左よりP・エルゼアル・ボニエ、E・ブレモン、J・エカール。アンリ・ファンタン=ラトゥール筆
ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー(Jean Nicolas Arthur Rimbaud, 1854年10月20日 - 1891年11月10日)は19世紀のフランスの詩人。ランボオとも。主な作品に散文詩集『地獄の季節』、『イリュミナシオン』など。
生涯
- 1854年、フランス北東部アルデンヌ県シャルルヴィル(現在のシャルルヴィル=メジエール市)に生まれる。父は陸軍の軍人、母は小さな農地主の長女。ランボーは2人目の子で、2男であった。
- 1870年、家出。普仏戦争下のパリへ辿り着くが、無賃乗車のために逮捕され、家に送り返される。以後、家出を繰り返す。
- 1871年、パリへやって来る。ヴェルレーヌに出会う。以後、共にブリュッセル、ロンドンなどを放浪する。ヴェルレーヌは妻子を捨てての放浪だった。
- 1873年、ヴェルレーヌとの別れ。ヴェルレーヌはランボーに拳銃を2発発砲、うち1発がランボーの左手首に当り、ランボーは入院、ヴェルレーヌは逮捕される。この別れの後に『地獄の季節』を記す。
- 1875年、この年に書いた詩が彼の最後の作品とされる。以後、兵士、翻訳家、商人など様々な職業を転々とし、ヨーロッパから紅海方面を放浪、南アラビアのアデンでフランス商人に雇われ、アビシニア(現在のエチオピア)のハラール_(エチオピア)に駐在する。
- 1886年、自立して武器商人となったランボーはエチオピアの王侯メネリク(後のエチオピア皇帝メネリク2世)に武器を売り込みに行くが、足元を見られてかえって損を蒙った。しかし、この経験からエチオピア通となったランボーはその後ハラールで商人として比較的成功する。
- 1891年、骨肉腫が悪化してマルセイユへ帰り、右足を切断したが、癌は全身に転移しており死去。臨終は妹のイザベルが看取った。
評価
「早熟の天才」としばしば評される。詩人ポール・ヴェルレーヌに出会い、『地獄の季節』、『イリュミナシオン』でその才能を見せた。ステファヌ・マラルメはボードレールから始まる象徴詩の系譜に属しながらも、そこに止まらない、という意味で「おそるべき通行人」と彼を評している。若いうち(20歳代前半)に詩作を放棄したが、ダダイスム、シュルレアリスムら、20世紀の詩人たちに影響を与えた。パブロ・ピカソによるランボー像が有名。ジャン=リュック・ゴダールの「気違いピエロ」(1965) のエンディングは『地獄の季節』に収められた韻文詩「永遠」の朗読で終わっている。また、ジル・ドゥルーズは1980年代後半になって「カント哲学を要約しうる4つの詩的表現」(『批評と臨床』収録)において、ランボーの1871年のいわゆる「見者の手紙」の中の「私は他者である」「詩人は長期間の、破壊的で計算された錯乱によって見者(ヴォワイヤン)になる」という言葉などをとりあげ、カントの可能性の中心を担う「調和し得ない緒力の束」を体現するものとして、ランボーを挙げている。
日本での研究
- 金子光晴も翻訳をおこなっている(『イリュミナシオン ランボオ詩集』角川文庫、1999年)。
- 吉本隆明も1949年、25歳のとき『ランボー若しくはカール・マルクスの方法についての諸注』という短い論考を著している。
- 中上健次・浅田彰も エッセイなどでしばしば唐突に、核心的な部分でランボーの文を引用している。
- 現行の『ランボー全集』は中地義和らにより青土社(2006)より刊行されている。これは1994年同じく青土社から刊行された『ランボー全詩集』のテキストクリティークに、さらにランボーのアフリカ時代の手紙の校訂を加え全集にしたものである。1994年の『ランボー全詩集』はフランスにおけるランボー研究、特に1985年アンドレ・ギュイヨーの『イリュミナシオン』校訂、1987年ピエール・ブリュネル『地獄の一季節』校訂など、1960年代のいわゆる「フランス現代思想」にも通ずる文学研究の刷新を踏まえたものである。
- 宇佐美斉訳注『ランボー全詩集』(ちくま文庫、1996年)もある。こちらも1990年代までのランボー研究をふまえた文庫のための新訳である。
- 鈴木創士訳注『ランボー全詩集』(河出文庫)が2010年2月出版された。訳者解説によれば、「アカデミックな読者」のためにではなく、「まだランボーを読んだことがない若い読者」のための新訳である。
作品
- Poésies
- Le bateau ivre(1871年)、『酔いどれ船』
- Une Saison en Enfer(1873年)、『地獄の季節』
- Illuminations(1874年)、『イリュミナシオン』
- Lettres、手紙
その他
- ランボーの作品に「母音のうた」というものがある。これはフランス語の基本母音である「A(アー)、E(エー)、I(イー)、O(オー)、U(ウー)」を主題として、これらの母音の音から連想される色についてうたっている。
関連創作物
による似顔絵1872年(ランボーとモダンカルチャー)も参照小説
- アラン・ボレル:「アビシニアのランボー」
- : エチオピア(アビシニア)におけるランボーの後半生を扱った小説、邦題は「地獄の季節」とも。
- コードウェイナー・スミス:「酔いどれ船」Le bateau Ivre (Drunkboat)(「インストルメンタリティ」シリーズ)
- デイヴィッド・マレル:「一人だけの軍隊」
- : ランボーに触発され、彼を主人公(ジョン・ランボー)に擬して書いた。冒頭には詩句が引用されている。
- 村上龍:「69」
- 岸田るり子:「ランボー・クラブ」
- 山田正紀:「イリュミナシオン 君よ、非情の河を下れ」
映画
- アニエスカ・ホランド監督:『太陽と月に背いて』(1995年、英仏伊ベルギー合作)
- : レオナルド・ディカプリオがランボーを演じた。
音楽
- ベンジャミン・ブリテン:「イリュミナシオン」(歌曲)
- B'z:「HOT FASHION-流行過多-」(「RISKY (アルバム)」収録)
- 大塚博堂:「私はもう女です」(「もう少しの居眠りを」収録)
- 筋肉少女帯:「労働者M」(「サーカス団パノラマ島へ帰る」収録)
- 人間椅子 (バンド):「東京ボンデージ」(「桜の森の満開の下 (アルバム)」収録)
- 原由子:「Rimbaud(ランボオ)」(「Miss YOKOHAMADULT」収録)
- ALIPROJECT:「地獄の季節」
- ART-SCHOOL:「汚れた血」(「Sonic Dead Kids収録)
関連項目
- 太陽と月に背いて
- 小林秀雄 (批評家)
- 永井荷風
- 清岡卓行
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