オーストリアの画家・建築家。 1953年、25歳のときに見た映画『狂気のイメージ』に影響を受けて「人間が素直に発散する形」として渦巻きを描いた。 若い頃からカラフルなデザインで、近代建築を批判し、合理性を廃し生態学に基づいた建築デザインを提唱した。 オーストリア美術賞、同文化賞、フランス芸術文化賞など数々受賞。晩年ニュージーランドに移住。2001年ニュージーランド沖の船内で死去。日本でも大阪市環境事業局舞洲工場(ごみ処理施設)などを手がけている。
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フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーフンデルトヴァッサー (別名:フリードリッヒ・シュトーヴァッサー) |
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[フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー 人物情報]
Wikipediaの人物情報
フリードリヒ・シュトーヴァッサー(Friedrich Stowasser)、より一般的にはフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(Friedensreich Hundertwasser, )も親戚である。
日本では「フンダートヴァッサー」「フンデルトワッサー」という呼び方も多く用いられる。日本語での号は姓を直訳した「百水」。色鮮やかな外見の建築でよく知られる。
来歴
ウィーンのエルンスト(Ernst Stowasser)とユダヤ系の母エルゼ(Else)の家庭に生まれた。幼い頃、森で花を摘み、押し花にするのが好きだった少年であったフンデルトヴァッサーは、花の色をきれいなまま残したいと絵を描き始めた。しかし、10歳になったとき、その小さな幸せは踏みにじられた。1938年、ドイツがオーストリアを併合。ヒトラー率いるナチスドイツ軍の支配が始まった。彼の母親はユダヤ系チェコ人であった。父は既になく、親子はユダヤ人街へ追いやられ、その地下室で暮し始めた。フンデルトヴァッサーは当時をこう振り返った。「午前2時になると恐ろしい親衛隊の男たちが警報を鳴らし、何度もドアのところにやって来た」。フンデルトヴァッサーは誰にも見つからないよう、家の奥底に潜り込んだ。家は彼を守ってくれる最後の砦であった。
戦争が終わり、フンデルトヴァッサーは画家を志した。閉じ込められていた時間を取り戻すかのようにスケッチブックを手に旅に出た。訪れたのは北アフリカの広大な台地、彼を惹きつけたのは床も壁も赤い土で出来た伝統的な土の家であった。自然と共に暮す、そんな生き方に共感し、夢中になって自らの思いをキャンバスにぶつけた。しかし、ひとたび都市に戻ると戦後の建設ラッシュが始まっていた。新しい建物はみな角ばっていて、灰色。無機質で画一的。それは人を閉じ込める刑務所のように見えた。現代の建築はみな病んでいる。そんな思いから生まれた作品「血を流す建物」(1952年)。四角い高層建築の壁は赤く染まり、傷つき血を流しているようであった。
そしてある時、彼の作品に渦巻きが登場する。「円に流れる血 私は自転車を持っている」(1953年)ではどこまでも果てしなく続く曲線。一方で断固拒否したのは定規で引いたような直線であった。「自然の中に唯一存在しないものが直線である。社会や文化が存在しないこの直線に基づいているとすれば、やがてすべては崩壊するだろう」。彼にとって無機質な直線に比べ、渦巻きは植物のように成長する命の象徴であった。自然への畏敬の念をこめた作品「わたしはまだわからない」(1968年)は次第に世界で高い評価を受けるようになった。
ウィーン美術アカデミーで学んだ彼は1981年から母校の教授をつとめた。
自然を愛した彼は、建築でも自然への回帰を唱え、曲線を多用した独自の様式を編み出した。晩年をすごしたニュージーランドへ向かう客船上で死去した。
日本での作例に、TBSテレビの「21世紀カウントダウン時計」(東京都赤坂 (東京都港区)、1992年)、キッズプラザ大阪の「こどもの街」(大阪市北区 (大阪市)、1997年)や、大阪市環境局舞洲工場(大阪市此花区、ごみ処理場、2001年)、大阪市舞洲スラッジセンター(大阪市此花区、下水汚泥処理施設、2004年)がある。
作品
- 1948年 母の肖像
- 1951年 緑の屋根と庭のある家々
- 1952年 血を流す建物
- 1953年 円に流れる血 私は自転車を持っている
- 1968年 わたしはまだわからない
- 1982年 ローゼンタール社陶器工場(ゼルプ)
- 1982年 レーベン通りの第三の皮膚
- 1983年 ミルーカ穀物倉庫(クレムス)
- 1986年 フンデルトヴァッサー・ハウス(オーストリア、ウィーン)
- 1987年 銀の渦巻き
- 1988年 聖バーバラ教会(オーストリア、ベルンバッハ)
- 1988年 インテグレイティブ・スクール(オーストリア、フランクフルト)
- 1990年 モーターウェイ・レストラン(オーストリア、バート・フィッシャウ)
- 1991年 ウィーン美術館改修(オーストリア、ウィーン)
- 1991年 シュピッテラウ焼却場(オーストリア、ウィーン)
- 1994年 プロヒンゲン集合住宅(ドイツ、プロヒンゲン)
- 1997年 ブルマウ温泉村(オーストリア、ブルマウ)
ギャラリー
外部リンク
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