Böhm, Karl

カール・ベーム

ベーム
Böhm, Karl
1894年08月28日~1981年08月14日
[オーストリア] [指揮者]

[カール・ベーム 人物情報]

オーストリアの指揮者。1894年グラーツで生まれる。
グラーツ大学で法律も学ぶ傍ら、ウィーンで音楽も学ぶ。法律学で博士号を取得後、1916年グラーツ歌劇場の練習指揮者となる。1917年同歌劇場で指揮者デビューを果たした。
1921年ブルーノ・ワルターの招きでミュンヘンに赴き、バイエルン国立歌劇場指揮者となる。ワルターに認められ、その後ハンブルグやドレスデンなどドイツの主要な歌劇場で指揮を務める。1933年33年ウィーン国立歌劇場とウィーン・フィルにデビュー。1943?45、1954?56年、ウィーン国立歌劇場音楽監督を務める。56年以降はフリーの指揮者として客演指揮を続けた。
ベームの演奏はカラヤンなどの派手な演奏とは違って楽譜に忠実で実直な演奏で、師とも言えるブルーノ・ワルターのスタイルを受け継いでいる。

Wikipediaの人物情報

{{Infobox Musician とされた。ベルリン・フィルを指揮してのヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの交響曲全集とウィーン・フィルを指揮してのルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲全集はベームの大きな業績である。(エーリヒ・ラインスドルフによる全曲録音が先行していたとは言え)ベームによるモーツァルトの交響曲の全曲録音はクラシック音楽界に大きな衝撃をもたらした。

近年では聴衆のいないスタジオ録音より、放送局などに残ったライヴ録音が高く評価され、火のように激しく燃え上がり、それでいて音楽的には一分の隙もない充実しきった名演の数々がCDとなり、ファンの耳に届くようになった。

ベームと日本

ベームの名が日本に知られるようになったのは早く、1930年代半ばには小品のレコードが発売されていた。1937年11月26日には、ロベルト・シューマンの遺作・ヴァイオリン協奏曲 (シューマン)の初演を含む日独交歓放送に、ゲオルク・クーレンカンプらとともに出演した。もっとも、この放送はあくまでシューマンの遺作を聴く演奏であり、クーレンカンプのヴァイオリンを聴く演奏であって、決してベームが主体の演奏ではなかった。程なく、第二次世界大戦勃発によって原盤の供給も途絶え、ベームの名はしばらく日本では聞かれなくなった。ベームの人気や知名度が飛躍的に高くなるのは戦後のことであった。ベームが亡くなる際にも、危篤の段階から新聞やテレビ・ニュースで報じられていたほど、日本人に深く親しまれていたと言える。ベームの来日は1963年、1975年、1977年及び1980年の4回。1979年にも来日の予定(読売日本交響楽団の招聘)であったが、体調不良のためキャンセルされている。

初来日

1963年に開場した日生劇場のこけら落しのためにベルリン・ドイツ・オペラを率いて初来日(同行:ロリン・マゼール、ハインリヒ・ホルライザー)。ベームはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの「フィデリオ」とヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの「フィガロの結婚」、特別演奏会の「交響曲第9番 (ベートーヴェン)」を指揮した。両オペラともディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、クリスタ・ルートヴィヒ、ヴァルター・ベリー、グスタフ・ナイトリンガーらの名歌手が多数出演し絶賛を博した。第九演奏会では、あまりにも感動したファンに足に抱きつかれ、身動きできなくなったこともある。

70年代の名演

日本でのベームの人気に一気に火がついた1975年の公演は、大変有名である。ウィーン・フィルを率いての公演であったため、前評判からして非常な盛り上がりを見せ、それに違わぬ演奏が大きな反響を呼んだ。あまりの反響の大きさにベームは感激し、時期こそ決めないものの再びの来日を即断したとも言われる。わずか2年後の1977年に再来日が決定したのは、その他に来ていた話をベームがすべて断り最優先で時間をつくったからだった。両公演は日本放送協会やエフエム東京によって多数録音され、一部はCDやDVDとして販売されている。

最後の来日

1980年にはウィーン国立歌劇場の引越し公演に同行したが、老いと病気による衰えがはなはだしく、ホルスト・シュタインら多数の同行指揮者を伴っての来日となった。ベームは「フィガロの結婚」3公演(東京および大阪)と十八番であったリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」の1公演、昭和女子大学人見記念講堂でのウィーン・フィルとの演奏会(1980年10月6日。人見記念講堂の杮落とし記念演奏会だった。CD・DVD化されている。なお、2007年には「フィガロ」の公演もDVD化された)だけを指揮し帰国した。このウィーン・フィルとの演奏会は、日本でのベーム最後のオーケストラ演奏会だったのみならず、彼自身も1938年以来続いたウィーン・フィルとの最後の演奏会だった。なお、この時の「フィガロ」上演での第3幕はオリジナルではなく、ロバート・モウバリー&クリストファー・レイバーン提唱版(1965年。第7場、第8場を第4場、第5場の間に挿入する)によるものである。

ベームは晩年日本での人気が過熱気味となり、カラヤン嫌いの聴衆からこれに対抗するドイツ正統派の雄として神格化されたこともあり、死後その反動が来た傾向もある。それは、音楽雑誌での人気投票などに極端に反映されている。ただし、録音に出来不出来があることは生前から指摘されており、優れたものに限っても多数の量が残されているため、死後二十数年を経て、乱高下する一時的人気とは別に真価が徐々に見定められつつある。


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