日本の作家・翻訳家。1909年相場師の子として東京に生まれる。
旧制成城高等学校時代にはフランス語の家庭教師として小林秀雄から指導を受けた。小林を通じて中原中也らとも知り合い、文学の世界に惹かれていった。
1932年京都帝国大学文学部仏文学科卒業後、国民新聞社に入社。1年後には同社を退職し、スタンダールの研究に取り組んだ。
1928年神戸の日仏合弁会社、帝国酸素に翻訳係として入社。第2次大戦中の1944年に召集され、1兵士としてフィリピン戦線に出征。1945年に米軍に捕らえられ10ヶ月間捕虜となる経験をした。
終戦後の1948年、捕虜の経験を『俘虜記』として発表し、第1回横光利一賞を受賞。作家としての地位を確立し、安部公房、武田泰淳、堀田善衛らと共に「第二次戦後派」と呼ばれ活躍した。
代表作はほかに『武蔵野夫人』『野火』『レイテ戦記』など。
大岡昇平 |
[大岡昇平 人物情報]
Wikipediaの人物情報
大岡 昇平(おおおか しょうへい、1909年(明治42年)3月6日 - 1988年(昭和63年)12月25日)は、日本の小説家・評論家・フランス文学の翻訳家・研究者。
略年譜
- 1909年(明治42年)
- 1919年(大正8年)
- 従兄洋吉に勧められ「赤い鳥」に童謡を投稿、入選『新潮日本文学アルバム 大岡昇平』104頁。
- 1921年(大正10年)
- 4月 - だったことを知った大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、98頁)。
- 1925年(大正14年)
- 1926年(大正15年・昭和元年)
- 1927年(昭和2年)
- 9月 - アテネフランセの夜学でフランス語を学ぶ。
- 1928年(昭和3年)
- - 村井康男を通じて小林秀雄 (批評家)を紹介され、小林からフランス語の個人教授を受ける。詩人中原中也とも小林を通じて知り合った。
- 1929年(昭和4年)
- 1932年(昭和7年)
- 3月 - 京都帝国大学卒業『新潮日本文学アルバム 大岡昇平』105頁。
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年)
- 1935年(昭和10年)
- 1938年(昭和13年)
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 1月 - 米軍の捕虜になり、レイテ島タクロバンの俘虜病院に収容される。
- 8月 - 敗戦。同年12月、帰国し、家族の疎開先の兵庫県明石市大久保町に着いた『新潮日本文学アルバム 大岡昇平』106頁。
- 1949年(昭和24年)
- 1952年(昭和27年)
- 1961年(昭和36年)
- 5月 - 『花影』を中央公論社より刊行『新潮日本文学アルバム 大岡昇平』107頁。
- 11月 - 『花影』により毎日出版文化賞、新潮社文学賞を受賞。
- 1964年(昭和39年)
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)
- 1974年(昭和49年)
- 1976年(昭和51年)
- 1月 - 朝日文化賞を受賞『新潮日本文学アルバム 大岡昇平』108頁。
- 1978年(昭和53年)
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 2月 - 『小説家夏目漱石』により読売文学賞を受賞。
人物像・逸話
旺盛な好奇心
今日では『俘虜記』『レイテ戦記』といった戦争ものが最もよく知られるが、創作のバックボーンであった仏文学にとどまらず、幅広い分野に強い関心を抱き続け、文壇を代表するディレッタントだった。手がけた作品のジャンルも多様である。
推理小説の愛読者でもあり、1950年代には海外推理小説『赤毛のレドメイン家』(イーデン・フィルポッツ作)や『すねた娘』(E・S・ガードナー作)を翻訳、自らも推理小説を執筆して、とりわけ『若草物語』の題で連載し、後に『事件』と改題した作品は日本推理作家協会賞を受賞し、映画やテレビドラマになるなど、高い評価を受けている。
『武蔵野夫人』は『ボヴァリー夫人』に倣って書いた姦通小説で、ベストセラーとなったが、1980年代、ポルノ小説にこの題が使われたため抗議した。また、河上徹太郎、小林秀雄らの愛人で、白洲正子の友人だった坂本睦子の自殺後、これをモデルに『花影』を書き、新潮社文学賞と毎日出版文化賞を受賞した。しかし高見順は、肝心の大岡自身の苦悩が描かれていないと批判。この小説は睦子を救えなかった青山二郎を指弾するものではないかという解釈があるが、大岡自身は、限定版『花影』のあとがきにおいて「ヒロインはその生れと性情の自然の結果として自殺するのですが、そのきっかけは、彼女の保護者で、父代わりである高島が黄瀬戸の盃を二重売りして、彼女を裏切ったためでした。(中略)あとは私が作った物語ですが、もし高島にモデルがあるなら、私の想像はその人を傷つけることになるでしょう」と述べているだけで、大岡自身が青山二郎を指弾する目的で書いたと言及しているわけではない。
後述のように歴史小説を巡って多くの論争を引き起こしたが、自身でも『将門記』『天誅組』などの歴史小説を書いた。これらは、事実に対して強いこだわりを持っていた大岡らしく、小説というより史伝に近いものである。
また、若い頃から演劇にも関心を示し続け、舞台「赤と黒」の台本を書いたりした。しかしこの際、演出の菊田一夫と対立し、初演を愛知での「レイテ同生会」への出席を理由に欠席した。また後年、仲代達矢の演じる「ハムレット」には、「未熟」との厳しい評価を下している。
好奇心の対象は芸術の外にもおよび、50歳を過ぎて本格的に始めたゴルフにのめりこんだあげく、『アマチュアゴルフ』なるゴルフ指南書を出版したほどである。なお、腕前はハンディ22。
旺盛な好奇心は晩年になっても変わらず、1980年(昭和55年)から『文学界』に約5年間『成城だより』を、二回の中断をはさみ連載。この中では、記号論や不完全性定理、さらに漫画(萩尾望都、高野文子「じゃりン子チエ」など)、ロック(村八分 (バンド)、ザ・クラッシュ、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズなど)、ポップス(中島みゆき、ABBAなど。当人は「残念ながら、音楽は洋楽種の方がいいようなり」と述べている)、映画(フィリピンをロケ地とした地獄の黙示録など)などに言及した。これらのセレクトには、長男の貞一の影響が大きい。またYMOの坂本龍一が自分の担当編集者であった坂本一亀の息子であることを知り、「『げっ』と驚くのはこっちなり」とも述べるまでの若々しい関心を示す様が、カリスマ的な人気を呼んだ。
論争家
「ケンカ大岡」と呼ばれるほどの文壇有数の論争家であり、言動が物議を醸すことも少なくなかった。井上靖の『蒼き狼 (小説)』を史実を改変するものとして批判し、歴史小説をめぐって論争となった。同じく史実を改変するものとして、海音寺潮五郎の『二本の銀杏』や『悪人列伝』等を批判し、これに反論する海音寺と『群像』1962年(昭和37年)8月号上で論争した。松本清張の『日本の黒い霧』等の作品を謀略史観に基づくものとして批判したり、中原中也の評価について、篠田一士と論争したこともあった。
また江藤淳の『漱石とアーサー王伝説』が出た時もこれを厳しく批判し、次いで森鴎外の『堺事件』は明治政府に都合のいいように事実を捻じ曲げていると批判し、国文学者と論争になった。そして自身で『堺港攘夷始末』の連載を始めたが、その中で鴎外が依拠した資料に既にゆがみがあったことが明らかになった。本作が未完のまま大岡は急逝し、ほぼ九割は完成していたため、中央公論社から刊行された(のち中公文庫に収録)。
賞を巡って
『レイテ戦記』は日本の代表的な戦記といえるが、野間文芸賞を辞退した。これは選考委員の舟橋聖一との軋轢による。のち『中原中也』で同賞を受賞するが、選評で舟橋は難癖をつけた。
1972年(昭和47年)、日本芸術院会員に選ばれたが「捕虜になった過去があるから」と言って辞退した。皮肉をこめた国家への抵抗との見方もある。しかし最晩年に昭和天皇の重態に際して「おいたわしい」と書いた(どちらも波紋を呼んだが、ともにウラを読まなければ普通の発言という見方もできる)。
(昭和28年)10月、神奈川・大磯の自宅庭にて、妻・春枝と
受賞歴
- 1949年『俘虜記』で横光利一賞
- 1952年『野火』で読売文学賞
- 1961年『花影』で毎日出版文化賞、新潮社文学賞
- 1972年『レイテ戦記』で毎日芸術賞
- 1974年『中原中也』で野間文芸賞
- 1976年『全集』刊行ほかで1975年度朝日文化賞
- 1978年『事件』で日本推理作家協会賞
- 1989年『小説家夏目漱石』で読売文学賞(歿後)
家族
- 妻・春枝(旧姓上村)
- 長女・長田鞆絵(児童文学者)
- 長男・貞一
系譜
- 大岡家(和歌山市、東京都)
- 大岡家のが駿河国にいた頃からの家臣で、元和 (日本)5年(1619年)和歌山移封にいっしょに随いて来たが、後、帰農したと伝える。
- 大岡家には系図はないが、菩提寺の松島聞光寺の過去帳は寛文8年から始っている大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、59頁)。
- 『南紀徳川史』第八巻に曽祖父大岡利兵衛が、天保12年(1841年)金20両を献金して、「地士(郷士)」に取り立てられたてられたとの記事(「松島新田村、年頭お目見得の節のしめ者、1841年、地士に、大岡利兵衛」)がある。なお年頭御目見得節慰斗目着用御免」は献金地士の中で一番安い口で、「代々同断が」40両、御代官支配がこれと同額、勘定奉行支配が70両「平地士」100両以上である大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、60頁)。
- 祖父弥膳は三十町持ちの寄生地主制で、陸奥宗光の有力な後援者であり、鷺宮の本願寺別院の檀家だった。弥膳は「利兵衛の代には二町しかなかった田地を、自分の代に三十町にした」と威張っていたという。弥膳は1889年(明治22年)和歌山県海草郡四箇郷村の初代村長、20年代の未詳の年に郡会議員となった大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、62頁)。
- 祖母ゆうは那賀郡畑毛の寄生地主制吉村家の出身で、当主吉村角次郎は多額納税貴族院議員、父貞三郎の従兄に当る吉村友之進も貴族院議員で、吉村製糸社長だった、。
┏大岡董一 ┃ ┣大岡哲吉大岡利兵衛━━大岡弥膳━━┫ ┣大岡貞三郎━━━大岡昇平 ┃ ┗大岡叢
- 高村家(和歌山市)
- 母の実家高村家は和歌山市の商家だった。高村家の戸籍は混乱している大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、109頁)。
- 祖母くには安政5年(1858年)生まれ、大叔母友枝は1873年(明治6年)生まれで16も年が違う。戸籍上は姉妹になっているが、実は親子だといううわさがあった。しかし友枝が1952年(昭和27年)死亡するまで身辺に付添っていた姉は、そのうわさを否定している。
- 曽祖父高村平助は和歌山市の湊方面のかなりの材木商いだったそうだが、明治10年代(1877年-1886年)に没落した。
- くにと友枝の姉妹は芸事で身を立てることになった。くには料亭の仲居に、友枝は芸妓になった。くにには1884年(明治17年)私生児として、母つるを生んだほかに子はない。戸籍上は妹になっている。そのうち友枝が和歌山市内のある工業会社の社長の庇護を受けて丸の内十一番丁に置屋兼お茶屋「明月」を出し、くにとつるを養った。母はやがてそこから内娘として出た大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、109-110頁)。
- 大岡昇平によれば〔私は「明月」がただの料理屋ではなく講談や時代小説にあるような芸妓屋であることを疑うことができなくなったのである。“大将、大将”といって卑(いや)しく男を取巻く慣習を、初枝さんだけでなく、祖母が持っているのである。…私はそのような卑(いや)しい母から生れたことを情なく思った。〕という大岡昇平著『少年─ある自伝の試み』(1975年、筑摩書房、103頁)。
- 父と馴染んで姉文子を生んだのは、上京は姉をは昇平の生まれる3ヶ月前の1908年(明治41年)12月である。
┏高村平助 ┃ 高村平助━━╋友枝 ┃ ┗くに ┣━━━━━つる 男 ┣━━━━大岡昇平 大岡貞三郎
著作
- 俘虜記 (1949)のち新潮文庫、角川文庫、講談社文庫
- サンホセの聖母 (作品社、1950)のち角川文庫
- 武蔵野夫人 新潮社(1950)のち新潮文庫
- 来宮心中 (新潮社、1951)のち集英社文庫
- 妻 (池田書店、1951)「妻・母」角川文庫
- 野火 (小説) (1952)のち新潮文庫、角川文庫
- 母 (文藝春秋新社、1952)
- 詩と小説の間 (創元社、1952)
- わが師わが友 (創元社、1953)
- 化粧 (新潮社、1954)
- 酸素 (新潮社、1955)のち新潮文庫
- 振分け髪 (河出書房、1955)
- ザルツブルクの小枝 新潮社、1956)のち中公文庫
- 雌花 (新潮社、1957)
- 作家の日記 (新潮社、1958)
- 朝の歌 (角川書店、1958)
- 夜の触手 (光文社 カッパ・ブックス、1960)のち集英社文庫
- 扉のかげの男 (新潮社、1960)
- 真昼の歩行者 (角川書店、1960)
- アマチュアゴルフ (アサヒゴルフ出版局、1961)のち潮文庫
- 花影 (中央公論社、1961)のち新潮文庫、講談社文芸文庫
- 常識的文学論 (講談社、1962)のち講談社文芸文庫
- 逆杉 (新潮社、1962)
- 現代小説作法 (文藝春秋新社、1962)のちレグルス文庫
- 文壇論争術 (雪華社、1962)
- 歌と死と空 (光文社、1962)のち中公文庫
- 文学的ソヴィエト紀行 (講談社、1963)
- 将門記 (中央公論社、1966)のち文庫
- 遥かなる団地 (講談社、1967)
- 在りし日の歌 (角川書店、1967)のち文庫
- 昭和文学への証言 (文藝春秋、1969)
- ミンドロ島ふたたび (中央公論社、1969)のち文庫
- 愛について (新潮社、1970)のち文庫、講談社文芸文庫
- レイテ戦記 (中央公論社、1971)のち文庫
- コルシカ紀行 (中公新書、1972)
- 私自身への証言 (中央公論社、1972)
- 凍った炎 (講談社、1972)のち文庫
- 幼年 (潮出版社、1973)のち文春文庫、講談社文芸文庫
- 萌野 (講談社、1973)のち文庫
- 作家と作品の間 (第三文明社、1973)
- わがスタンダール (立風書房、1973)のち講談社文芸文庫
- 中原中也 (角川書店、1974)のち角川文庫、講談社文芸文庫
- 天誅組 (講談社、1974)のち講談社文庫、文芸文庫
- 作家の体験と創造 (潮出版社、1974)
- 歴史小説の問題 (文藝春秋、1974)のち再編「歴史小説論」同時代ライブラリー
- 富永太郎 (中央公論社、1974)
- 少年 (筑摩書房、1975)のち新潮文庫、講談社文芸文庫
- わが文学生活 (中央公論社、1975)-インタビュー集、のち文庫
- 文学における虚と実 (講談社、1976)
- ※堺事件、「漱石とアーサー王伝説」などに関する評論を収める
- わが美的洗脳 (番町書房、1976)のち講談社文芸文庫
- 桜と銀杏 (毎日新聞社、1976)
- ゴルフ酒旅 (番町書房、1976)
- ある補充兵の戦い (現代史出版会、1977)のち徳間文庫、岩波現代文庫
- 事件 (大岡昇平) 新潮社(1977)のち文庫、双葉文庫
- 無罪 (新潮社、1978)のち文庫
- 雲の肖像 (新潮社、1979)のち文庫
- 最初の目撃者 (集英社、1979)のち文庫
- ハムレット日記 (新潮社、1980)のち「野火・ハムレット日記」岩波文庫
- 成城だより 1-3 (文藝春秋、1981-86)のち講談社文芸文庫.上下
- 青い光 (新潮社、1981)のち文庫
- 明日への遺言 (新潮社、1982)のち文庫、角川文庫
- 姦通の記号学 (文藝春秋、1984)
- ルイズ・ブルックスと「ルル」 (中央公論社、1984)
- 小説家夏目漱石 (筑摩書房、1988)新版ちくま学芸文庫
- 大岡昇平音楽論集 (深夜叢書社、1989)
- 堺港攘夷始末 (中央公論社、1989)のち文庫
- 昭和末 (岩波書店、1989)
「全集」
- 『大岡昇平全集 (全16巻)』 中央公論社、1973~76年
- 『大岡昇平集 (全18巻)』 岩波書店、1982~84年
- 決定版『大岡昇平全集 (全23巻別巻1)』 筑摩書房、1994~2003年
翻訳
- スタンダアル (エミール=オーギュスト・シャルティエ、創元社、1939年/改訳 創元選書、1948年)
- フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (スタンダアル、創元社、1941年、新版1948年)
- スタンダール伝 (アルベール・ティボーデ、青木書店、1942年)
- スタンダール論 (オノレ・ド・バルザック、小学館、1944年)
- 小説論--パルムの僧院をめぐって (バルザック/スタンダール、創元社、1947年 /「小説について」 創元文庫、1951年)。
- 恋愛論 (スタンダール、創元選書 上下、1948年、新潮文庫、1956年)
- パルムの僧院 (スタンダール、思索社、1948年、新潮文庫、1951年)
- 恋愛論ノート (スタンダール、小山書店、1949年)
- ユリアンの旅 (アンドレ・ジッド、新潮文庫、1952年) - 『ユリアンの旅 他一篇』に収録。
- 赤毛のレッドメーン (イーデン・フィルポッツ、東京創元社、1956年、創元推理文庫 1959年)
- クラクラの日記 (マリアンヌ・ベッケル、人文書院、1956年)
- すねた娘 (エール・スタンレー・ガードナー、東京創元社、1957年、創元推理文庫 1959年)
- 赤と黒--19世紀年代記 (スタンダール、古屋健三との共訳、世界文学全集:講談社、1971年、新版1974年、講談社文庫、1972年)
関連人物
- 小林秀雄 (批評家)
- 中原中也
- 中村光夫
- 福田恆存
- 吉田健一 (英文学者)
- 埴谷雄高
- 武田泰淳
- 三島由紀夫
- 大江健三郎
- 正岡忠三郎
- 天野太郎
関連項目
- 神奈川近代文学館
- 神戸文学館
- 鉢の木会
- 日本近代文学館
- レイテ沖海戦
脚注・出典
外部リンク
- 『大岡昇平全集 22 』 | 馬券人生ひとりぼっち大岡昇平全集 22 』(筑摩書房)、読了。 晩年の作で日記形式のエッセイである『成城だより』がおさめられた巻。自らの老いを語る言葉がよく出てくるが、文学・音楽・映画・思想・歴史・スポーツ・政治等、あらゆることにむけられた知的探究心に ...
- アドリアティコ(ビバ エルコンダ) レイテ レイテ 大岡昇平ティコ! アドリアティコ! マニラにしますか、セブですか。 セブにしましょう アドリアーノ ボンジョヴィーノ 楽園はエトリ -ノ リタアラーナ!
- 大岡昇平|文春写真館 あのとき、この一枚|文藝春秋文藝春秋写真資料部にストックされた約25万点の写真データの中から毎週1点ずつえりすぐりの写真をコラム形式で紹介していきます。
- 今日のデザート読書: 『大岡昇平全集14~評論~』 - livedoor Blog(ブログ)大岡昇平全集14~評論~』 4. 2012年01月23日12:22. 筑摩書房 1996 ワーグナーの評論を読むため。 「仮に治癒が不可能であるにしても、せめて病気を聖ならしめる道は残されている」 「僕は小説家になろうと思ったことは一度もない男である。少年期に雑誌 ...
- 現代小説作法(大岡昇平) - 絶体絶命 Between the devil and the deep ...作者: 大岡昇平; 出版社/メーカー: 第三文明社; 発売日: 1972/11; メディア: 新書; クリック: 6回; この商品を含むブログを見る. なぜ日本人の書くこういう本って役に立たないのだろう。 どうも「虎の巻なんぞあるもんか。そもそも作法なんか人に聞く ...
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