日本の浮世絵師。本名、安藤重右衛門。1797年(寛政9年)代々定火消同心をつとめる武家の子として江戸に生まれる。13歳で両親を失い、家督を継いだ。
15歳で歌川豊広に入門し、浮世絵を学ぶ。27歳で火消同人を引退。家督を養子に譲って浮世絵師として独立した。1833年「東海道五拾三次」により人気絵師となり、葛飾北斎とともに風景浮世絵師とし不動の地位を確立した。62歳でコレラにより死去。
代表作は他に「木曾街道六十九次」「近江八景」「名所江戸百景」など。
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安藤広重アンドウヒロシゲ (別名:歌川広重) |
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[安藤広重 人物情報]
Wikipediaの人物情報
歌川 広重(うたがわ ひろしげ、やクロード・モネなどの画家に影響を与え、世界的に著名な画家である。
略歴
歌川豊広の門人。広重は、江戸の下級武士・八代洲河岸、定火消屋敷の同心、安藤源右衛門の子として誕生、幼名徳太郎、のち鉄蔵、重右衛門また徳兵衛とも称す。文化 (元号)6年(1809年)数え13歳の時、2月に母を亡くし、同月父が隠居、広重が同心職を継ぐ。同年12月には父も死去。幼い頃から絵心が勝り、文化 (元号)8年(1811年)(15歳)頃、はじめ初代歌川豊国の門に入ろうとしたが、門生満員でことわられ、歌川豊広(1776年-1828年)に入門、翌文化9年(1812年)に師と自分から一文字づつとって歌川廣重の名を与えられた。
11年後の文政6年(1823年)には、祖父方の嫡子仲次郎に家督を譲って、鉄蔵と改名、後見となった。家業の火消同心を辞め、絵師を専門の職業にした。
天保元年(1830年)一幽斎廣重と改め、花鳥を描いていたが、文政11年(1828年)師の豊廣の死の後は風景画を主に制作した。天保3年 (1832年)、一立齋(いちりゅうさい)と号を改めた。また一遊斎、立斎とも号した。広重は始め役者絵から出発、やがて美人画に手をそめたが、南宋画も学んで、天保3年(1832年)、36歳の時に正式に職を仲次郎に譲ってから浮世絵師として独立した。この年、公用で東海道を上り、翌年から「東海道五十三次」を発表、風景画家としての名声は決定的なものとなった。以降、種々の「東海道」シリーズを発表したが、各種の「江戸名所」シリーズも多く手掛けており、ともに秀作をみた。また、この間、花鳥画においてもすぐれた作品を出し続け、晩年には美人画3枚続も手掛けている。さらに狂歌本の挿絵も多く残している。
安政5年没。享年62。死因はコレラだったと伝えられる。墓所は足立区伊興町の東岳寺。法名は顕功院徳翁立斎居士。友人歌川国貞の筆になる「死絵」(=追悼ポートレートのようなもの。本項の画像参照)に辞世の歌が遺る。
東路へ筆をのこして旅のそら 西のみ国の名ところを見ん
「西方浄土の名所を見てまわりたい」と詠っている。
ヒロシゲブルー
・クロード・モネの構図の類似例
歌川広重の作品は、ヨーロッパやアメリカ合衆国では、大胆な構図などとともに、青色、特に藍色の美しさで評価が高い。
この鮮やかな青は藍(インディゴ)の色であり、欧米では「ジャパンブルー」、あるいはヨハネス・フェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて「ヒロシゲブルー」とも呼ばれる。
ヒロシゲブルーは、19世紀後半のフランスに発した印象派の画家たちや、アール・ヌーヴォーの芸術家たちに大きな影響をあたえたとされ、当時ジャポニスムの流行を生んだ要因のひとつともされている。
東海道往復旅行
天保3年(1832年)秋、広重は幕府の行列(御馬進献の使)に加わって上洛(京都まで東海道往復の旅)する機会を得たとされる。天保4年(1833年)には傑作といわれる『東海道五十三次 (浮世絵)絵』が生まれた。この作品は遠近法が用いられ、風や雨を感じさせる立体的な描写など、絵そのものの良さに加えて、当時の人々があこがれた外の世界を垣間見る手段としても、大変好評を博した。
なお、つてを頼って幕府の行列に加えてもらったとの伝承が伝わるが、実際には旅行をしていないのではないかという説もある。また、司馬江漢の洋画を換骨奪胎して制作したという説もある(元伊豆高原美術館長・對中如雲が提唱した)。(外部リンクに、これに対する否定説を述べた『司馬江漢作で、広重の「東海道五十三次」の元絵と称する絵について』あり。)
甲州日記
江戸時代中期には生産力の向上から都市部では学問や遊芸、祭礼・年中行事など町人文化が活性化し、幕府直轄領時代の甲斐国甲府城下町(山梨県甲府市)でも江戸後期には華麗な幕絵を飾った盛大な甲府道祖神祭りが行われており、甲府商人の経済力を背景に江戸から広重ら著名な絵師が招かれて幕絵製作を行っている。広重は天保12年(1841年)に甲府緑町一丁目(現若松町)の町人から幕絵製作を依頼され、同年4月には江戸を立ち甲州街道を経て甲府へ向かい、幕絵製作のため滞在している。この時の記録が『甲州日記』(「天保十二年丑年卯月日々の記」)で、江戸から旅した際に道中や滞在中の写生や日記を書き付けられており、現在の八王子市から見た高尾山、甲府市内から見た富士山や市内の甲斐善光寺、身延町の富士川など甲州の名所が太さの異なる筆と墨で描かれており広重の作品研究に利用されているほか、甲府での芝居見物や接待された料理屋の記録など、近世甲府城下町の実態を知る記録資料としても重視されている。
日記によれば広重は同年4月5日に甲府へ到着し、滞在中は甲府町民から歓迎され句会や芝居見物などを行っている。日記は一時中断して11月からはじまっており、この間には暮絵は完成し、手付金は5両であったという。幕絵は東海道の名所を描いた39枚の作品で、甲府柳町に飾られたという。日記の中断期間中は幕絵制作に専念していた可能性や、制作のためにいったん江戸で戻っていた可能性などが考えられている。広重の製作した幕絵は現存しているものが少ないが、山梨県立博物館には2枚の幕絵が所蔵されており、甲府市の旧家には下絵が現存している。
また、幕絵以外にも甲府町人から依頼された屏風絵や襖絵などを手がけており、甲府商家の大木コレクション(山梨県立博物館所蔵)には作品の一部が残されている。
日記は甲府滞在記録のほか甲斐名所のスケッチも記されており、一部は『不二三十六景』において活かされている。『甲斐志料集成』などに収録され知られていたが、原本は関東大震災で焼失している。発見された写生帳は和紙19枚を綴じたもので、縦19.6cm横13.1cm。3代広重が1894年に(明治27年)死去した直後の海外に流出したとされ、1925年にイギリス人研究家エドワード・ストレンジが著書で紹介して以来、行方不明であった。2005年にロンドンのオークションでアメリカ合衆国#国民が落札、栃木県那珂川町 (栃木県)馬頭広重美術館の学芸員が本物と鑑定した。約80年ぶりに発見されたのである(2006年9月5日付朝日新聞)。
肉筆画
その後、嘉永(1848年)頃から単に立斎と称している。版画が盛んになって、浮世絵師が版画家になってからは、彩筆をとって紙や絹に立派に書き上げることの出来るものが少なくなったが、広重は版画とはまた趣の違った素晴らしい絵を残している。なお、遠近法は印象派画家、特にフィンセント・ファン・ゴッホ(1853年-1890年)に影響を与えたことで良く知られているが、もともと西洋絵画から浮世絵師が取り入れた様式であり、先人としては葛飾北斎や、歌川の始祖歌川豊春(1735年-1814年)の浮絵にみられる。
江戸での住居
文久年間(1861年から1863年)の「江戸日本橋南之絵図」によると、日本橋大鋸(おおが)町(現在の京橋)に広重の住居があり、西隣には狩野永悳の旧居が印刷されている。
その後、京橋よりに道路5つほど先の、常磐町に移転したようである。
辞世の句
辞世の句は、
- 東路(あづまぢ)に筆をのこして旅の空 西のみくにの名所を見む
であるというが、「後の広重の作ではないか」とする見解もある。
明治15年(1882年)4月(広重の死後24年目)、門人たちが、墨江須崎村の秋葉神社に碑を建立したが、第二次世界大戦の東京大空襲により破壊され、現在は残っていない。
墓所
流行の疫病(コレラ)により安政5年(1858年)9月6日65歳で没。墓所は禅宗東岳寺。
おもな作品
が模写した事でも知られている。
錦絵
- 『東海道五十三次 (浮世絵)』、 錦絵 55枚 (53の宿場と江戸と京都)
- 『金沢の月夜』、『阿波の鳴門』、『木曽雪景』、それぞれ大錦3枚続
- 『金沢八景』、 8枚
- 『京都名所』、『浪花名所』、それぞれ 10枚揃物
- 『近江八景』
- 『江戸近郊八景』
- 『東都名所』
- 『不二三十六景』 『冨士三十六景』
- ともに木版多色摺。『不二三十六景』は広重がはじめて手がけた富士の連作で、版元は佐野屋嘉兵衛、刊行は嘉永5年(1852年)か。武蔵、甲斐、相模、安房、上総など広重が実際に旅した風景が描かれている。『冨士三十六景』は安政5年(1858年)刊行で、版元は蔦谷吉蔵。富士を描いた連作で、『名所江戸百景』と同様に風景を竪に切り取り、近景、中景、遠景を重ねた構図の印像。
- 『六十余州名所図会』、 70枚揃
- 『木曽街道六十九次』、 揃物
- 『甲陽猿橋之図』、『富士川雪景』
- それぞれ竪2枚継掛物仕立。『甲陽猿橋之図』は天保13年(1842年)頃に刊行、版元は蔦谷吉蔵。日本三大奇橋のひとつである猿橋を描いた大型錦絵。縦長の構図にそそり立つ渓谷の絶壁と猿橋の姿を見上げる構図で描き、遠景の集落と満月が描かれている。『甲州日記』(「日々の記」)には猿橋に関するスケッチがあったという。
- 『名所江戸百景』、 竪大判 118枚の揃物(後に四季の表紙1枚あり)
肉筆浮世絵
- 『琉球人来貢図巻』 紙本墨画1巻 浮世絵太田記念美術館所蔵 広重10歳の時の作品
- 『傾城図』 紙本着色 日本浮世絵博物館所蔵 文政初期
- 『行列図』 絹本着色 東京国立博物館所蔵 天保3年
- 『桜と小禽図』 杉戸板地着色 神奈川 泉谷寺所蔵 天保6年
- 『煙管をもつ立美人図』 絹本着色 出光美術館所蔵
- 『鬼念仏と美人図』 紙本墨画淡彩 出光美術館所蔵
- 『玉川の富士・利根川筑波図』 絹本着色 双幅 ニューオータニ美術館所蔵 嘉永年間
- 『御殿山花見図』 絹本着色 ニューオータニ美術館所蔵
- 『利根川図』 絹本着色 ニューオータニ美術館所蔵
- 『本牧風景図』 絹本着色 ニューオータニ美術館所蔵
- 『高尾図』 紙本淡彩 ニューオータニ美術館所蔵
- 『武相名所手鑑 馬入川舟渡』 絹本彩色 財団法人 平木浮世絵財団所蔵 嘉永6年(1853年)
- 『武相名所手鑑 南郷之松原左り不二』 絹本彩色 財団法人 平木浮世絵財団所蔵 嘉永6年(1853年)
- 『高輪の雪図・両国の月図・御殿山の花図』 絹本着色 3幅対 鎌倉国宝館所蔵
- 『不二川の図』 絹本着色 短冊 城西大学水田美術館所蔵
- 『鴻ノ台図屏風』 絹本着色 六曲一隻 山梨県立博物館大木コレクション 天保12年(1841年)
- 『不二望岳図』 絹本着色 熊本県立美術館所蔵
- 『屋根船の芸妓図』 紙本淡彩 熊本県立美術館所蔵
絵本
- 『絵本江戸土産』、 挿絵
所蔵美術館
各所で所蔵されるが、光線による劣化があるため常時展示はしていないことが多い。日本国内では、- 東京国立博物館(東京都台東区)
- 那珂川町馬頭広重美術館(栃木県那珂川町)
- 神奈川県立歴史博物館(神奈川県横浜市)
- 中山道広重美術館(岐阜県恵那市)
- 東海道広重美術館(静岡県静岡市)
- 広重美術館(山形県天童市)
- 海の見える杜美術館(広島県廿日市市)
に所蔵されている。
国外では- メトロポリタン美術館(アメリカ合衆国、ニューヨーク)
- ボストン美術館(アメリカ合衆国、ボストン)
- ブルックリン美術館(アメリカ合衆国、ニューヨーク)
- ギメ東洋美術館(フランス共和国、パリ)
に作品がある。
広重の襲名者たち
藤懸静也によると、二代目廣重は広重の門人で俗称を森田鎮平と云い、号を歌川重宣(1826年-1869年)という。初代の養女お辰(16歳)と結婚したが、のち慶応元年(1865年)妻22歳の時、離縁となっている。その後、しばしば横浜市に出向いて絵を売り込み、外国貿易が次第に盛んになっている時期「茶箱廣重」の名で外国人に知られた。また、「喜齋立祥」の画号を用いて制作したがその中で、花を主題にした一種の景色画、『三十六花撰』の出来栄えがよく、版元の求めに応じ、大錦判の竪繪に作った。なお、『名所江戸百景』のなかの「赤坂桐畑雨中夕けい」で秀逸な絵を残しており、初代の「赤坂桐畑」よりも構図、色彩ともに評価が高い。
三代目は門人の重政(1842年-1894年)で俗称は後藤寅吉である。離縁後のお辰を妻とした。号は一笑齋。
四代目(菊池貴一郎)は、三代目夫人、八重子と清水晴風らが相談して、四代目広重を襲名させた。菊地家は安藤家と親しかったためである。最初は版画を制作し、武者絵などを多く書いたが、後に書家となった。貴一郎は浮世絵に関する著作を出版している。
五代目(菊池寅三)は、四代目(菊池貴一郎)の息子が継いでいる。
門人
広重の門人には2代広重、3代広重のほか、歌川広景、歌川重清、歌川重昌、暁斎重晴、遠浪斎重光、一昇斎重次、歌川重房、歌川重春、重美、重華、重久、重芳、重歳、東岳 (浮世絵師) 、紫紅、歌川芳延などがいた。重晴は清水氏で、暁風とも号し、重春と同一人かともいわれる。重房は本名を吉野勝之助といい、安政期に活躍した。
脚注
関連項目
- フィンセント・ファン・ゴッホ
- 新大橋
- 浮世絵#代表的な浮世絵師
- 浮世絵師一覧
- 肉筆浮世絵
- 新・必殺からくり人・東海道五十三次殺し旅 - 広重の浮世絵が依頼の元となる。広重(演:緒形拳)もレギュラー出演。
参考文献
-
-
- 『Bien(美庵)』Vol.32 特集「逆襲の広重」、2005年5-6月、藝術出版社、守屋正彦、井澤英理子。
外部リンク
- Art Cyclopedia: Ando Hiroshige(所蔵館、WebMuseumへのリンクページ - 英語)
- The Woodblock Prints of Ando Hiroshige(WebMuseumのひとつ - 英語)
- 静岡市東海道広重美術館(公式ページ)
- 那珂川町馬頭広重美術館(栃木県那珂川町)
- 中山道広重美術館(岐阜県恵那市)
- 広重美術館(山形県天童市)
- 東海道五十三次 図柄説明
- 山梨県立博物館 博物館資料の中の「富士山」 「不二三十六景」「冨士三十六景」の紹介。
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