日本の作家。1872年現在の群馬県館林市に生まれる。1977年に父を西南戦争で失い、困窮した生活を送った。1886年に一家で上京、働きながら英語・漢詩文・和歌などを学んだ。19歳のとき尾崎紅葉のもとを訪れ、作家を志す。
1907年『蒲団』を発表し、自然主義文学の中心人物として活躍した。代表作は他に『田舎教師』『生』『妻』『縁』『一兵卒』など。
![]() |
田山花袋 |
|---|
[田山花袋 人物情報]
Wikipediaの人物情報
田山 花袋(たやま かたい、1872年1月22日(明治4年12月13日 (旧暦)) - 1930年(昭和5年)5月13日)は、日本の小説家。本名、録弥(ろくや)。群馬県(当時は栃木県)生れ。
尾崎紅葉のもとで修行したが、後に国木田独歩、柳田國男らと交わる。『蒲団 (小説)』『田舎教師』などの自然主義派の作品を発表し、その代表的な作家の一人。紀行文にも優れたものがある。
経歴
栃木県邑楽郡館林町(現在の群馬県館林市)に、田山鋿十郎・てつ夫妻の次男として生れた。田山家は、代々の秋元藩士。父は、1876年(明治9年)警視庁邏卒となり一家で上京するが、1877年(明治10年)西南戦争の際に従軍して肥後飯田山麓の闘いで戦死したため、館林に戻る。
6つ年上の長兄は「大日本地震資料」(ほぼ全部)、「大日本古文書」(1,2巻)を編纂した田山實(みのる。本名実彌登(みやと))であり、『生』の鐐や、『時は過ぎゆく』の中の實のモデルである。
1880年(明治13年)冬、9歳で足利市で丁稚奉公した後、翌年2月に上京し、京橋区南伝馬町の有隣堂書店で丁稚奉公するが、不都合(詳細不明)により、1882年(15年)5月に帰郷する。
12歳から漢学塾(藩儒吉田陋軒の休々塾。兄が21歳で塾頭となる)で漢詩文を学び、14歳の時には漢詩集を編んだ。また桂園派の和歌や西洋文学にも親しむ。
兄に従い上京し、1890年(明治23年)、柳田國男を知る。翌年に尾崎紅葉のところに入門、その指示で江見水蔭の指導を受ける。『瓜畑』(古桐軒主人名義)を初めて発表し翌年から花袋と号した。当初は硯友社の影響を受けていたが、1896年(明治26年)に国木田独歩、島崎藤村と知り合う。翌年、独歩、国男らと『抒情詩』を刊行し、ここに40編の詩を収めた。ギ・ド・モーパッサンの影響を強く受け、1902年(明治35年)に『アカツキ叢書』の第5編として書き下ろした『重右衛門の最後』を発表し、これで作家としての力量を認められる。1899年(明治32年)に結婚し、大橋乙羽の紹介で博文館に勤務し、校正を業とする。
1904年(明治37年)、日露戦争が勃発すると、第2軍 (日本軍)#日露戦争における第2軍の写真班で従軍記者をつとめた。3月29日、広島市大手町の宿に同軍軍医部長の森鴎外#幅の広い文芸活動と交際を訪ねており(初対面)、8月15日に発熱して9月20日に帰国するまでの間、鴎外と頻繁に会っていた。なお、後日「……私は殊に鴎外さんが好きで、『柵草紙』などに出る同氏の美学上の議論などは非常に愛読した。鴎外さんを愛読した結果は私もその影響を受けた。」と書いた(「私の偽らざる告白」『文章世界』1908年9月)。その頃から自然主義文学の分野を自覚し、評論『露骨なる描写』や小説『少女病』を発表し、新しい文学の担い手として活躍することになる。1906年(明治39年)博文館から『文章世界』が創刊されると編集主任となる。文章世界は当初実用文の投書雑誌を目的に発刊されたが、田山らの影響で、自然主義文学の拠点となる。
1907年(明治40年)に、中年作家の女弟子への複雑な感情を描いた『蒲団』を発表。女弟子に去られた男が、彼女の使用していた蒲団に顔をうずめて匂いを嗅ぎ、涙するという描写は、読者、さらに文壇に衝撃を与えた。この作品によって、日本の自然主義文学の方向が決まった。さらに『生』『妻』『縁』の長編3部作、書き下ろし長編小説『田舎教師』を書き、藤村と並んで代表的な自然主義作家となった。大正に入ってからは自然派の衰退と新鋭作家の登場で次第に文壇の主流から外れていった。だが『一兵卒の銃殺』などの作品を精力的に発表。
また紀行文も秀逸で、『南船北馬』『山行水行』などがある。さらに日本全国の温泉を巡り温泉に関する本も数多く残している。博文館の『日本名勝地誌』の執筆に参加し、後に田山花袋編として『新撰名勝地誌』全12巻の監修をおこなった。
晩年は宗教的心境に至り、精神主義的な作品を多く残した。1928年(昭和3年)末に脳溢血のために入院。さらに喉頭癌を起こし、1930年(昭和5年)5月13日、自宅で死去した。享年58。藤村の書を刻んだ墓は多磨霊園にある。遺志により土葬されたという。
主な作品
- 瓜畑(1891)
- ふる郷(1899)
- 重右衛門の最期(1902)
- 蒲団 (小説)(1907)
- 少女病(1907)
- 土手の家(1908)
- 生(1908)
- 妻(1909)
- 田舎教師(1909)
- 縁(1910)
- 時は過ぎ行く(1916)
- 一兵卒の銃殺(1917)
- 河ぞひの家(1917)
- 残雪(1917)
- 河ぞひの春(1919)
- 新しい芽(1920)
- 源義朝(1924)
- 百夜(1927)
- 源義経
- 通盛の妻
- 再び草の野に
- 従軍記『第2軍 (日本軍)#日露戦争における第2軍従征日記』(1905)
- 評論『露骨なる描写』(1904)
- 紀行文『日本一周 (田山花袋)』(1914~1916)
- 紀行文『山水小話』(1917)
- 回想集『東京の三十年』(1917)
- 東京震災記(1924年)
- 温泉めぐり(1926年)
その他
- 渋谷区代々木3-9に田山花袋終焉の碑が建てられている。明治39年から死去まで過ごした地である。
- 館林市に田山花袋記念館がある。
脚注
外部リンク
- 田山 花袋:作家別作品リスト(青空文庫)
- 田山花袋記念文学館
- 田山花袋の墓
- 田山花袋と『田舎教師』周辺
- 田山花袋のお墓
- 田山花袋 作品リスト(近代デジタルライブラリー)
- 蒲団・一兵卒 田山花袋: 隠れメタル蒲団・一兵卒 田山花袋 - てけすたの書き散らしサイト - 隠れメタル.
- 羽生と「田山花袋」 - syuの日記・気まま旅「羽生市」県北東、利根川の向かいは、群馬県。市名は中世の郷村名の埴生荘に由来する。埴は、粘土、土、生は、村で土器を造る村、集落。 利根川の右岸「沖積底地」に位置しているので、現在は、堤防、河畔段丘が発達し、江戸時代は、 ...
- 群馬県館林市の旧上毛モスリン事務所と田山花袋旧居 東武鉄道で行く ...この建物のすぐ横にはつるべ式の井戸も再現されていました。 館林城でもつるべ式井戸を見かけたので、この町では2つ目の井戸です。 旧上毛モスリン事務所と田山花袋旧居は館林市第二資料館として一般に無料公開されています。
- 革新的国家公務員を目指して 田山花袋『東京震災記』を読んで、関東 ...田山花袋は『蒲団』で有名だが、読んだこともない。 たまたま、題名で購入。 当時は、小説家がノンフィクション作家も兼ねていたので、関東大震災の雰囲気がよくわかる。 (1)関東大震災の避難先として福島など東北に多数の避難民が殺到した。(p154) ...
- 冬の躑躅ヶ岡 (群馬県館林市):西国33札所巡り と 旅の楽しみ:So-net ...つ2060.JPG. 左の平らな道の方を歩きました。 途中に田山花袋文学碑。 047.JPG. 咲いている花は、このロウバイだけでした。 つ3048.JPG. ほとんど茶色のなかで、目立つのは松の木。 大正14年に植樹された松。 つ6058.JPG. つ7059.
- 大空恵のイタイ日記 蒲団 田山花袋蒲団 田山花袋. 最近、田山花袋の蒲団を読んだのだが、名作と言われるだけあって、おもしろかった。 あらすじをざっと言うと、主人公の作家のもとに美しい女弟子ができて、 主人公はその女弟子に恋してしまうのだが、 いろいろあってその恋は ...
- 田山 花袋の名言: ハジブロのブログ田山 花袋の名言. 投稿時の僕の感情はあらわす名言は 恋が消えなければ、夫婦の愛情は起こらない。 【田山 花袋】 いつでも評判の商品をチェック!! このゴルフ場を見てみぃー人気商品をショップ別も見てみる今日の蠍座の運勢は、 ...
- 田山花袋も目にした“羽生郵便局”はどこにあった? - クニの部屋 -北 ...この時期、郵便局員さんは正月気分どころではないのだろう。 羽生の郵便局は羽生駅前にある。 しかし、昔からそこにあったわけではない。 かつては市民プラザの付近にあった。 『田舎教師』(田山花袋著)に登場する“荻生君”は郵便局に勤め ...
- 夜のブ活動 - 空想書店 書肆紅屋幸田露伴、岩野泡鳴が序文を寄せ、谷崎潤一郎、芥川龍之介、徳田秋声、田山花袋、近松秋江、島崎藤村ら41人の文士が文章を寄せた伊香保案内のアンソロジーといったところ。買う決め手は、松崎天民と生方敏郎が寄稿していたからだ!
- 館林散策その3(田山花袋旧居) - Anthology -記憶の記録-20111009120920890_900.jpg 20111009120927570_900.jpg 文学作家の田山花袋が明治11年~明治19年まで住んだ家です。 気に入っていただけたならポチっとよろしくお願いします。 建物・街写真でのランキングに参加しています。
- 柳田國男をモデルに描く 田山花袋(6)(2月2日 12時30分)『野の花』(明治34年・新聲社刊・単行本)は、松岡國男(柳田國男)の、学生時代の悲恋をモデルに脚色した作品だ。 舞台は國男の兄・松岡鼎が医院を開いていた茨城県の布川だが、小説では下総国某郡船越として、布川の対岸・布佐に医院がある話と ...[詳細]
- 岡田美知代の未発表短編発見 府中・上下の研究会(2月3日 8時54分)明治の文豪・田山花袋の小説「蒲団」のモデルとして知られる府中市上下地区出身の文学者岡田美知代(1885〜1968年)の顕彰に取り組む住民グループが、円熟期の美知代が書いた未発表の直筆原稿の中から、20代で発表した小説の改作を発見した。[詳細]
- 朗読少女:乙葉しおりの本の小道 第56回 尾崎紅葉「金色夜叉」後編(2月3日 1時23分)美少女キャラクターが名作を朗読してくれるiPhoneアプリ「朗読少女」。これまでに50万ダウンロードを突破する人気アプリとなっている。「朗読少女」で、本の朗読をしてくれるキャラクター、乙葉しおりさんが名作を紹介する「乙葉しおりの本の小道 ...[詳細]
- はてなブックマーク> rs6000moeのブックマーク(2月6日 22時12分)はてなブックマークはオンラインでブックマークを管理・共有できる無料サービス。自宅、職場、外出先、どこからでも同じブックマークにアクセスできます。ユーザーはみんなでブックマークを共有して効率良く情報収集しています。はてなブックマーク ...[詳細]
- 乙葉しおりの朗読倶楽部 : 第55回 尾崎紅葉「金色夜叉」前編(1月27日 21時27分)最近ご紹介させていただいた「蒲団」の作者、田山花袋さんの場合ですと、お誕生日は1872年の1月22日ですが、これを天保暦で表すと明治4年12月13日になり、1カ月以上の開きがあることになるんですよ。 では、この暦が切り替わったのはいつでしょうか?[詳細]
- くまにちコム トップ> 社説・射程・新生面> 新生面 1月28日付(1月29日 9時36分)日本交通公社、新潮社が発行を引き継いできたが、通算1002号をもっての幕切れである▼田山花袋「旅の詩と歌と」が創刊号を飾り、松本清張の「点と線」が連載されたのもこの雑誌だった。最近は広告収入が減り、部数が5万部まで落ち込んでいたという。[詳細]
- ぴなメイドな生活 : 新人メイドのめろと申します(2月3日 8時54分)まんたんウェブをご覧のみなさま、はじめまして!今回初めてまんたんコラムを書かせていただきます。まいめろちゃん大好き新人メイドのめろと申します(・ω・)。 軽く自己紹介をさせていただきます! 出身はコットンキャンディーワールドです☆ ...[詳細]
- 笹ヶ峰峠(2月2日 20時01分)笹ヶ峰(ささがみね)は、四国山地西部に属する山である。また古来から旧土佐街道(北山越)の峠でもあり、笹ヶ峰峠(ささがみねとうげ)と呼ばれる。四国山地西部には他に日本二百名山に選定されている同名の笹ヶ峰が存在し、共に四国百名山に選定 ...[詳細]
- 三朝温泉エリア(1月22日 13時04分)ファミリーやカップルにおすすめの貸切できる雪見露天風呂を紹介! 話題沸騰のB級ご当地グルメ。日本各地のご当地人気メニューをご紹介します。 京都がもっとも美しく輝く季節が到来!京都の紅葉を5つのテーマ別で紹介します。 清盛ゆかりの三都を ...[詳細]
- アクションフィギュアの「じわじわくる」楽しみ方(1月25日 9時55分)2012年1月25日 10時00分 様々なキャラクターであふれかえる、アクションフィギュア。 最近では、ポーズや小物、シチュエーション、複数のキャラの組み合わせなどで、面白い絵づくりをして写真を撮ったりするなど、「ネタ」的に楽しむ遊び方が、ひとつの ...[詳細]
Powered by Bing
人名辞典ではこのページで使用している画像の著作権は消失しているものと認識し ているか、許可を得て掲載しております。 万一、画像が許可を得て掲載されていない場合は速やかに画像を外すか、正式な許可を得る手続きをいたしますのでご連絡下さい。

