Ueda, Akinari

上田秋成

ウエダアキナリ
Ueda, Akinari
1734年07月25日~1809年08月08日
[日本] [作家]

[上田秋成 人物情報]

日本の読本作者・歌人・国学者。
1734年7月25日(享保19年6月25日)大坂の遊郭で私生児として生まれ、紙油商上田氏の養子となる。5歳で天然痘を患う。放蕩の生活を送ったが俳諧を高井几圭に師事して俳諧師として活躍した。さらに賀茂真淵門人の加藤宇万伎(美樹)から国学を学び、その後33歳で執筆した浮世草子『世間妾形気』で世に出た。1768年代表作の『雨月物語』を著す。その後、火災で家産を失い、医者としても活動した。晩年は眼を病んで困窮の中没したという。

Wikipediaの人物情報

による上田秋成の肖像上田 秋成(うえだ あきなり、享保19年6月25日 (旧暦)(1734年7月25日) - 文化 (元号)6年6月27日 (旧暦)(1809年8月8日))は、江戸時代後期の読本作者、歌人、茶人、国学者、俳人。怪異小説「雨月物語」の作者として特に知られる。

経歴

1734年(享保19年)、大坂曾根崎に、松尾ヲサキの非嫡出子として生まれた。父は確かでない。「父ナシ、ソノ故ヲ知ラズ。四歳、母マタ捨ツ」(自像筥記、1808年)。

1737年(元文2年)4歳、堂島永来町(現、大阪市北区 (大阪市)堂島1丁目)の紙油商嶋屋、上田茂助の養子となり、仙次郎と呼ばれた。翌年天然痘を病み、手の指が不自由になった。この年茂助は妻を喪い、翌年再婚し、彼はその第2の養母のもとで育った。
  • 疱瘡を病んだとき、茂助は、加島村(現、大阪市淀川区加島)の加島稲荷(現、香具波志神社)に本復を祈願し、68歳までの存命を告げられ、以後、秋成も同社への参詣を怠らなかった。
1751年(宝暦元年)18歳、遊蕩を覚えた反面、この頃から俳諧に遊び、戯作を耽読し、和漢の古典を探るなど、基礎を養った。感化を受けた師友には、高井几圭・小島重家・富士谷成章・勝部青魚らがあった。
  • 俳号は「漁焉」であったが、ほかに、無腸、三余斎、余斎、鶉翁、鶉居(うづらゐ)などの別号、和訳太郎、剪枝畸人、洛外半狂人などの戯号(筆名)を用いた。
  • 「無腸」とは、蟹。「内は柔らかいが外は固い」「世を横に歩く」など、おのれの頑固・狷介をこの別号に諷したとしても、知友は少なくなく、師を遇する礼にも厚かった。
  • 「剪枝畸人」は、万全でない指への拘わりと解される。

1760年(宝暦10年)27歳、京都生まれの植山たまと結婚した。間に子はできなかった。翌年茂助が没し、嶋屋を継いだ。1764年(明和元年)、大阪で朝鮮通信使一行との筆談に参加した。漢学にも通じていた。

1766年(明和3年)33歳、浮世草子「諸道聴耳世間猿」(しょどうきゝみゝせけんざる)上梓。賀茂真淵一門の国学者、加藤美樹に師事した。1767年、「世間妾形気」(せけんてかけかたぎ)上梓。この頃、天満の儒医都賀庭鐘に白話小説を教えられた。1768年、「雨月物語」初稿。

1771年(明和8年)38歳、嶋屋が火災で破産し、香具波志神社の神職方に寄寓して、友人木村蒹葭堂らに助けられながら、医を学んだ。師は都賀庭鐘であったという。1773年、加島村で医者を始めた。通称に「東作」、名に「秋成」を用いた。この頃から、与謝蕪村・高井几圭の子高井几董らと付き合った。

1776年(安永5年)43歳、大坂尼崎(現在の大阪市中央区 (大阪市)高麗橋付近)に移って医療を続けた。「雨月物語」上梓。1779年(安永8年)、「ぬば玉の巻」(「源氏物語」注釈)ほか稿。1780年、淡路町切丁(現在の大阪市中央区淡路町1丁目)に求めた家を改築し、翌年住まった。この頃、細合半斎、江田世恭らと交わった。

1784年(天明4年)51歳、「漢委奴国王金印考」(考証)、1785年、「歌聖伝」(万葉集研究)稿。賀茂真淵述「古今和歌集打聴」(うちぎぎ)を校訂。1786年、思想・古代音韻・仮名遣いなどで、本居宣長と論争した。しかし、学識に優れる宣長との論争は、劣勢であった。

1787年(天明7年)54歳、大坂北郊淡路庄村(現在の阪急電鉄淡路駅付近)に隠退した。「書初機嫌海」(かきぞめきげんかい)(戯作)、「也哉鈔」(やかなしょう)(俳文法書)を上梓。

1789年(寛政元年)56歳、妻の母と2番目の養母とを淡路庄村でみとった。1790年、左眼の視力を失った。妻が剃髪して瑚璉尼を称した。1791年に「癇癖談」(くせものがたり)(随筆集)稿、真淵の「あがた居の歌集」と宇万伎の「しず屋の歌集」を校訂上梓。1792年、「安々言」(やすみごと)(評論集)稿。

1793年(寛政5年)60歳、京の袋町(現在の京都市東山区袋町)に移った。真淵述「伊勢物語古意」を校訂上梓。その後、南禅寺山内(左京区)、東洞院四条(下京区)、衣棚丸太町(上京区)、袋町と転々しながら、1794年「清風瑣言」(匙茶道書)を、1797年「霊語通」(仮名遣い研究)を上梓。この年、妻に先立たれた。校訂は生活の資であった。

1798年(寛政10年)65歳、右目も失明するが、大阪の鍼医、谷川良順の治療によりやや回復した。以降しばしば治療に通った。帰京後、門人羽倉信美の丸太町(上京区寺町通広小路)の邸内に移り住んだ。伏見稲荷大社の祠官である。1799年、「落久保物語」上梓。

京都時代には、閑院宮真仁法親王、正親町三条公則、小沢蘆庵、木村蒹葭堂、伴蒿蹊、村瀬栲亭、初代高橋道八、渡辺南岳、そして江戸の大田南畝らと交わった。

1801年(享和元年)、昔加島稲荷に告げられた68歳に達し、68首の「献神和歌帖」を編んで同社に奉納した。「冠辞続貂」(かんじぞくちょう)(万葉集論)上梓。1802年、自らの墓を西福寺(左京区南禅寺草川町)に作った。1803年、「大和物語」を校訂。大阪で七十の賀宴が開かれた。この頃「遠駝延五登」(おだえごと)(古代史論)稿。

1804年(文化 (元号)元年)71歳、「金砂」(こがねいさご)(万葉集注釈)、「金砂剰言」、1805年、「七十二候」稿。西福寺に移り住んだ。「藤簍冊子」(つづらぶみ)(歌文集)上梓。1806年、「ますらを物語」稿。1807年、草稿を古井戸に捨てた。1808年、「春雨物語」(短編小説集)稿。「文反古」(ふみほうぐ)(書簡文集)上梓。「胆大小心録」(随筆集)「自像筥記」などを稿。

内)1809年(文化6年)76歳、羽倉邸に引きとられた。「異本胆大小心録」を脱稿。「俳調義論」を編。6月27日同邸に没し、西福寺に葬られた。贈り名は「三余無腸居士」。1821年(文政4年)の十三回忌に建てられた墓石が、今に残っている。別に、香具波志神社に墓碑がある。

ほぼ同時期に江戸で活躍した読本作者には曲亭馬琴や山東京伝がいる。

全集

  • 中村幸彦ほか編 『上田秋成全集』 (全12巻、中央公論社、1990 - 1995)
第1巻(国学篇)ISBN 4124029411
第2巻(万葉集研究篇1)ISBN 412402942X
第3巻(万葉集研究篇2)ISBN 4124029438
第4巻(万葉集研究篇3)ISBN 4124029446
第5巻(王朝文学研究篇)ISBN 4124029454
第6巻(国語篇)ISBN 4124029462
第7巻(小説篇1)ISBN 4124029470
第8巻(小説篇2)ISBN 4124029489
第9巻(随筆篇)ISBN 4124029497
第10巻(歌文篇1)ISBN 4124029500
第11巻(歌文篇2)ISBN 4124029519
第12巻(歌文篇3)ISBN 4124029527
  • 『上田秋成全集』(全2巻 国書刊行会 1974)
  • :大正6-7(1917-18)年刊の複製
  • 『上田秋成全集』(旧冨山房百科文庫44、1939)
  • :三島由紀夫が愛読した版である。(1冊のみ)

参考文献

  • 高田衛:『上田秋成年譜考説』、明善堂(1964)
  • 佐藤春夫:『上田秋成』、桃源社(1964)
  • 高田衛:『上田秋成研究序説』、寧楽書房(1968)
  • 岩橋小弥太:『上田秋成』、有精堂選書(1975)
  • 「大輪靖宏訳注:現代語訳対照 雨月物語、旺文社文庫(1978)」巻末の、『上田秋成年譜』
  • 大谷晃一:『上田秋成』、トレヴィル(1987)
  • 長島弘明編:『上田秋成』、新潮社 新潮古典文学アルバム(1991)ISBN 4106207206
  • 「日本古典文学全集78、小学館(1995)ISBN 4096580783」巻末の、高田衛編:『作者対照略年譜』
  • 木越治:『秋成論』、ぺりかん社(1995)
  • 長島弘明:『秋成研究』、東京大学出版会(2000)ISBN 9784130800624
1734年生まれの人物
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