Koizumi, Yakumo

小泉八雲

コイズミヤクモ (別名:ラフカディオ・ハーン)
Koizumi, Yakumo
1850年06月27日~1904年09月26日
[イギリス] [作家]

[小泉八雲 人物情報]

イギリス出身の作家・日本研究家。本名ラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)。
1850年ギリシャのレフカダ島で生まれる。父は駐留イギリス軍の軍医、母はギリシャ人。4歳で両親が離婚し、父が7歳のとき死去したため、伯母に引き取られてフランス・イギリスで育った。その後1869年19歳でアメリカに渡り新聞記者となる。
1884年ニューオリンズ万博で日本に興味を持って1890年来日し、松江中学校の英語教師となる。その後、第五高等学校の英語教師や東京帝国大学の英文学講師、早稲田大学講師を務めた。
日本人女性と結婚し、日本に帰化して「小泉八雲」と名乗った。翻訳などの傍ら日本の伝統的な民話など集めて優れた文学としてまとめ、世界に紹介した功績は大きい。
代表作に『日本雑録』『怪談』『心』『日本の面影』など。

Wikipediaの人物情報

小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 1904年9月26日)は、記者(探訪記者)、紀行作家、随筆家、小説家、日本学。東洋と西洋の両方に生きたとも言われる。

経歴

日本国籍取得者する前の名は、パトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn) である。ラフカディオが一般的に人名#キリスト教圏の名前として知られているが、実際は人名#キリスト教圏の名前である。アイルランドの守護聖人・パトリキウスに因んだファーストネームは、ハーン自身キリスト教の教義に懐疑的であったため、この名をあえて使用しなかったといわれる。

ファミリーネームは来日当初「ヘルン」とも呼ばれていたが、これは松江の島根県立中学校への赴任を命ずる辞令に、「Hearn」を「ヘルン」と表記したのが広まり、当人もそのように呼ばれることを非常に気に入っていたことから定着したもの。ただ、妻の節子には「ハーン」と読むことを教えたことがある。HearnもしくはO'Hearnはアイルランド南部では比較的多い姓である。「八雲」は、一時期島根県の松江市に在住していたことから、そこの旧国名(令制国)である出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」に因むとされる。

当時はイギリス領であったレフカダ島(1864年にギリシャに編入)にて、イギリス軍の軍医であったアイルランド人の父と、レフカダ島と同じイオニア諸島にあるキティラ島出身のギリシャ人の母のもとに出生。アイルランド・ダブリンで主に幼少時代を過ごす。

父が軍医として外地に赴任している間に母が精神を病み故郷に帰国、間もなく離婚が成立。以後両親にはほとんど会うことなく、肉親に縁の薄い子供時代を送った。

フランス・イギリスで教育を受けた後、20歳で渡米。得意のフランス語を活かし、20代前半からジャーナリストとして頭角を顕し始め、文芸評論から事件報道まで広範な著述で好評を博す。

40歳のとき、アメリカ合衆国の出版社の通信員として来日。来日後契約を破棄し、日本で英語教師として教鞭を執るようになり、翌年結婚。

松江・熊本・神戸・東京と居を移しながら日本の英語教育の最先端で尽力し、欧米に日本文化を紹介する著書を数多く遺した。日本では『雨月物語』『今昔物語』などに題材を採った再話文学で知られる。

1904年に狭心症で死去。満54歳没。彼が松江時代に居住していた住居は、1940年(昭和15年)に国の史跡に指定されている。

ドナルド・キーン、イザベラ・バード、アーネスト・フェノロサ、ヴェンセスラウ・デ・モラエス、ブルーノ・タウト、アンドレ・マルロー等とならび、著名な日本・日本の文化紹介者の一人であり、日本人にとっても祖国の文化を顧る際の重要なよすがとなっている。

年譜

  • 父はチャールス・ブッシュ・ハーン、母はローザ・カシマティ。生地ギリシャ・レフカダ島からラフカディオというミドルネームを付けられた。
    • 父はグレートブリテン及びアイルランド連合王国(現・アイルランド)出身でプロテスタント・アングロ・アイリッシュである。なお彼が生まれた頃のレフカダ島を含むイオニア諸島はイギリスの占領下にあり、父は軍医のイギリス軍少佐としてレフカダ島 (Lefkada) の町リュカディアに駐在中、地元の同諸島キティラ島(イタリア語読みではセリゴ島)の裕福なギリシャ人名士の娘であるローザ・カシマティと結婚した。
  • 1852年 - 2歳のとき父母は父の家があるダブリンに移民する。
  • 1854年 - 父が西インドに赴任し一人となった母は精神を病み、ギリシャのキティラ島へ帰国。4歳のハーンは父方の大叔母サラ・ブレナン(家はレインスター・スクェアー、アッパー・レッソン・ストリート交差点)に厳格なカトリック教会文化の中で育てられた。
  • 1856年 - 6歳のとき父母は離婚し、父は再婚した。
  • 1863年 - 13歳アショウ・カレッジに入学。
  • 1863年 - フランスの神学校に行くも帰国し、セント・カスバーツ校入学。
  • 1865年 - 16歳のとき寄宿学校で回転ブランコで遊んでいる最中にロープの結び目が左目に当たって怪我をし、視力がなくなる(以後左を向いた写真ポーズを取るようになる)。
  • 1866年 - 17歳のとき父は西インドから帰国途中に病気で死亡、大叔母は破産した。
  • 1867年 - セント・カスバーツ校退学、ロンドンに行く。
  • 1869年 - 20歳のときにリヴァプールからアメリカ合衆国のニューヨークへ移民船で渡り、シンシナティに行く。
  • 1872年 - トレード・リスト紙の副主筆。
  • 1874年 - インクワイアラー社に入社。
  • 1875年 - マティ・フォリーと結婚、当時違法だったネグロイドとの結婚だった為にインクワイアラー社を退社。
  • 1876年 - インクワイアラー社のライバル会社だった、シンシナティ・コマーシャル社に入社。
  • 1877年 - 離婚、シンシナティの公害による目への悪影響を避け、ニューオーリンズへ行く。
  • 1879年 - アイテム社の編集助手。食堂「不景気屋」を経営するも失敗。
  • 1882年 - アイテム社退社、タイムズ・デモクラット社の文芸部長になる。この時期の彼の主な記事はニューオーリンズのクレオール文化、ブードゥー教など。
  • 1884年 - ニューオーリンズで開催された万国博覧会の会場で大日本帝国、農商務省 (日本)の服部一三に会う。
  • 1887年 - 1889年 - フランス領西インド諸島マルティニークに旅行。
  • 1889年 - ニューヨークに帰る。
  • 1890年 - ネリー・ブライと世界一周旅行の世界記録を無理やり競わされた女性ジャーナリストのエリザベス・ビスランド(アメリカでのハーンの公式伝記の著者)から旅行の帰国報告を受けた際に、いかに日本は清潔で美しく人々も文明社会に汚染されていない夢のような国であったかを聞かされ、ハーンが生涯を通し憧れ続けた美女でもあり、かつ年下ながら優秀なジャーナリストとして尊敬していたビスランドに発言に激しく心を動かされ、急遽日本に行くことを決意する。
    • ハーバー・マガジンの通信員としてニューヨークからカナダのバンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)に立ち寄り、4月4日横浜港に着く。
    • 7月、アメリカで知り合った服部一三(この当時は文部省普通学務局長)の斡旋で、島根県松江尋常中学校(現・島根県立松江北高等学校)と島根師範学校(現・島根大学)の英語教師に任じられ、8月30日に松江到着。
  • 1891年1月 - 中学教頭西田千太郎のすすめで、松江の士族小泉湊の娘・小泉セツ(1868年2月4日 - 1932年2月18日)と結婚する。同じく旧松江藩士であった根岸干夫が簸川郡長となり、松江の根岸家が空き家となっていたので借用する(1940年、国の史跡に指定)。その年の11月、熊本市の第五高等学校 (旧制)(熊本大学の前身校。校長は嘉納治五郎)の英語教師。長男・一雄誕生。
  • 1894年 - 神戸市のジャパンクロニクル社に就職、神戸に転居する。
  • 1896年 - 東京大学文科大学の英文学講師に就職、帰化し「小泉八雲」と名乗る。秋に牛込区市谷富久町(現・新宿区)に転居する(1902年の春まで在住)。
  • 1897年 - 次男・稲垣巌誕生。
  • 1899年 - 三男・清誕生。
  • 1902年3月19日 - 西大久保の家に転居する。
  • 1903年 - 東京帝国大学退職(後任は夏目漱石)、長女・寿々子誕生。
  • 1904年3月 - 早稲田大学の講師 (教育)を勤め、9月26日に狭心症により東京の自宅にて死去、満。戒名は正覚院殿浄華八雲居士。墓は東京の雑司ヶ谷霊園。
  • 1915年 - 贈従四位。

評価についての論争

東京帝国大学名誉教師となった日本研究者でハーンとも交友があったバジル・ホール・チェンバレンは、ハーンは幻想の日本を描き、最後は日本に幻滅したとした。また、ハーンが英語で発表した作品は同時代の日本では知られず、本格的に日本語に翻訳・紹介されたのは大正末期からであり(第一書房 (第1期)『小泉八雲全集』など)、「天皇制を肯定、日本人独自論を提唱」しているハーンの著作は、戦前の日本ナショナリズムを補完するものとして受け止められた。

ハーン研究者でもある比較文学者の平川祐弘はチェンバレンの説に反対して、チェンバレンはハーンとの友情を破り、冷たい頭で日本を描いたが、ハーンは日本を愛し暖かい心で日本を描いたとした。しかしやはり比較文学者の太田雄三はこれに反論し、『B・H・チェンバレン』(リブロポート)や『ラフカディオ・ハーン』(岩波新書)で、ハーンは日本の過去を美化しすぎており、チェンバレンは学者として正確な日本像を描こうとしたのだと反論した。また、ハーン礼讃はナショナリズムの現われではないかとしてハーンのオリエンタリズムを批判する論者、あるいは「神々の国の首都」を書いたハーンが、明治期天皇制を日本古来のものと勘違いしたと指摘する者もいる(福間良明『辺境に写る日本』)。

また、平川・太田と同じ研究室(東大大学院・比較文学比較文化)出身の小谷野敦は著書『東大駒場学派物語』において、近年のハーン肯定論者の多くが同研究室の関係者であることを指摘している。

平川も『ラフカディオ・ハーン』(ミネルヴァ書房)で、ハーンの筆致に一部誇張があったことを認めているが、現代の日本での支持は高い。三島由紀夫等も、川端康成との書簡の中でしばしば、引用している。

1904年の著作『Japan-An Attempt at Interpretation』は、太平洋戦争中、アメリカの対日本心理戦に重要な役割を果たしたとされる。当時のアメリカ軍准将であり、ダグラス・マッカーサーの軍事書記官・心理戦のチーフであったは、当時のアメリカが利用できる、日本人の心理学を理解するための最高の本であったと述べたという。

エピソード

  • 16歳のときに怪我で左眼を失明して隻眼となって以降、白濁した左目を嫌悪し、晩年に到るまで、写真を撮られるときには必ず顔の右側のみをカメラに向けるか、あるいはうつむくかして、決して失明した左眼が写らないポーズをとっている。
  • アメリカで新聞記者をしていたとき、「オールド・セミコロン(古風な句読点)」というニックネームをつけられたことがある。句読点一つであっても一切手を加えさせないというほど自分の文章にこだわりを持っていたことを指している。
    • 英語教師としては、よく学生に作文をさせた。優秀な学生には賞品として、自腹で用意した英語の本をプレゼントしていた。
    • アメリカ在住中に勤勉が習い性になり、日本では学校教育の傍ら14年間に13冊の本を書いた。
      • 日本名「八雲」については「音読みにするとハウンになる」こととの関連を指摘されることが多い。この説は古くからあったようで、教え子の田部隆次は早稲田大学の委嘱で書いた伝記「小泉八雲〜ラフカディオ・ヘルン〜」の中でわざわざ「八雲はハウンに通じるという考えは少しもなかった」と明記している。
      • 東京帝国大学では学生の信望が厚く、解任のときは激しい留任運動が起きた。川田順は「ヘルン先生のいない文科で学ぶことはない」といって法科に転科した。後年この話の真偽を尋ねられた川田はそれが事実であると答え、後任の夏目漱石についても「夏目なんて、あんなもん問題になりゃしない」と言った。
      • 私生活では三男一女をもうけ、長男にはアメリカで教育を受けさせたいと考え自ら熱心に英語を教えていた。
      • 非常に筆まめであり、避暑で自宅を離れている間、あとに残った妻セツに毎日書き送った手紙が数多く残されている。ハーンは日本語がわからず妻は英語がわからないため、それらは夫妻の間だけで通じる特殊な仮名言葉で書かれている。
      • 妻セツは日本語が読めない夫のリクエストに応じて日本の民話・伝説を語り聞かせるため、普段からそれらの資料収集に努めた。彼女以外の家族・使用人・近隣住民、また旅先で出会った人々の話を題材にした作品も多い。
      • 著作の原稿料にはこだわっていたが貯蓄にまったく関心がなく、亡くなった当時小泉家には遺産となるものがほとんど残っていなかった。当時小泉家には妻の親類縁者が多く同居しており、著述業と英語教師としての収入はほぼ全額彼らの生活費に充てられていた。
      • もともと強度の近視であったが、さらに晩年は右目の視力も衰え、高さが98センチもある机を使用して紙を目に近づけランプの光を明るくして執筆を行った。
      • コオロギの一種クサヒバリの鳴き声の美しさを讃えた。
      • 八雲生誕の、ギリシャのレフカダ島の詩人公園には、日本の松江と新宿から贈られた八雲の像がある。
      • 八雲の縁で、。

      家族・親族

      • 妻 小泉セツ(島根県士族小泉湊の娘、第七十五代出雲国造千家俊勝の次男千家俊信(国学者)の玄孫)
      • 長男 一雄
      • 同妻 喜久恵
        • 同長男 小泉時
          • 同長男 小泉凡
      • 次男 稲垣巌(教師、母セツの養家であった稲垣家を継ぐ)
      • 同妻 ミドリ(青森県、医師種市良一の娘)
      • : (ミドリ夫人の実家・種市家について
        • 同長男 明男
        • 同長女 八重子
        • 同次女 京子
      • 三男 小泉清(画家)
      • 同妻 シズ
      • 長女 寿々子

      系譜

      小泉家
      『列士録』によれば、初代の小泉弥右衛門は“本国近江国(現在の滋賀県)、生国因幡国(現在の鳥取県)”の侍だった。はじめ、讃岐丸亀藩四万五千石の藩である山崎治頼に仕えて家老を務めていた。しかし明暦3年(1657年)山崎治頼が嗣子なくして没して除封となり、代わってかつての松江城の主・京極忠高の甥にして養子の高和が入封するに及んで、弥右衛門は丸亀を去って江戸(現在の東京)に出た。翌年の万治元年(1658年)、弥右衛門は、江戸で出雲松平家の祖である松平直政に召抱えられ、初めは使番(つかいばん)、後に二十名の徒(足軽)を統率する者頭(ものがしら)を務めた。その後、小泉家は二代目弥右衛門が五十人の士分の侍を統率する番頭(ばんがしら)を務めて以来、代々セツの父八代目弥右衛門に至るまで、一定期間者頭ないしそれに準じた役職を務めた後、番頭(ばんがしら)に進んでおり、また、嫡子には家督相続と同時に組外(くみはずれ)という格式が与えられている。この格式は、直接ほかの侍の采配下に入らないことを意味し、『雲藩職制』の編者が“一国中の貴族”と表現した上士に限って与えられた待遇だった。ただし家禄は、一雄や田部隆次が記した五百石は誤りと見做すべきで、『代々御給帳』・『列士録』・『旧藩事蹟』等古文書は一致して三百石だったことを示している。小泉八雲・セツ夫妻の孫に小泉時(エッセイスト、2009年7月8日死去)、小泉閏、稲垣明男、種市八重子、佐々木京子、曾孫に小泉凡(学者、島根県立島根女子短期大学准教授)がいる。
      セツの母方の祖父・塩見増右衛門は歌舞伎『天衣紛上野初花』の河内山のモデルとなった人物。

                        (乙部)           乙部次郎兵衛━━小泉岩苔                     ┃                     ┣━━━━━━小泉湊                     ┃       ┃   小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)              小泉真種  ┏女       ┃     ┃                ┣━━━╋女       ┣━━━━セツ     ┏千家俊信━━━━━━清   ┗女       ┃     ┃                       ┃     ┃                       ┃     ┃              塩見増右衛門━━チエ     ┃                             ┏千家尊福     ┃                             ┃(80代出雲国造)     ┗千家俊秀━━━━千家尊之━━━千家尊孫━━━千家尊澄━━━┫ (76代出雲国造) (77代出雲国造)(78代出雲国造)(79代出雲国造)┃                                   ┗千家尊紀                                   (81代出雲国造)

      記念館

      • 小泉八雲旧居(ヘルン旧居、島根県松江市) - 国の史跡
      • 小泉八雲記念館(島根県松江市)
      • 焼津小泉八雲記念館(静岡県焼津市)

      作品

      も参照のこと。

      来日以前の作品

      • 飛花落葉集 (Stray Leaves from Strange Literature) 1884年
      • ゴンボ・ゼーブ ("Gombo Zhèbes") 1885年
      • クレオール料理 (La Cuisine Creole: A Collection of Culinary Recipes) 1985年
      • 中国怪談集 (Some Chinese Ghosts) 1887年
      • チータ (Chita: A Memory of Last Island) 1889年
      • ユーマ (Youma, the Story of a West-Indian Slave) 1890年
      • 仏領西インドの二年間 (Two Years in the French West Indies) 1890年

      来日後の作品

      • 知られざる日本の面影 (Glimpses of Unfamiliar Japan) 1894年 - 鳥取のふとんの話、日本人の微笑、他
      • 東の国より (Out of the East) 1895年
      • 心 (Kokoro) 1896年
      • 仏陀の国の落穂 (Gleanings in Buddha-Fields) 1897年 - 人形の墓、勝五郎の転生、他
      • 異国風物と回想 (Exotics and Retrospectives) 1898年
      • 霊の日本にて (In Ghostly Japan) 1899年
      • 影 (小泉八雲) (Shadowings) 1900年 - 和解 (小泉八雲)、死骸にまたがる男、他
      • 日本雑録 (A Japanese Miscellany) 1901年 - 守られた約束、破られた約束、果心居士のはなし、梅津忠兵衛、漂流、他
      • 骨董 (小泉八雲) (Kotto) 1902年 - 幽霊滝の伝説、茶碗の中、他
      • 怪談 (小泉八雲) (kwaidan) 1904年 - 耳なし芳一、のっぺらぼう、ろくろ首 (小説)、雪女#小泉八雲の雪女、他
      • 日本―一つの解明 (Japan: An Attempt at Interpretation) 1904年
      • 天の河綺譚その他 (The Romance of the Milky Way and other studies and stories) 1905年

      ちりめん本

      長谷川武次郎が刊行した日本昔噺シリーズ (Japanese Fairy Tales) のうち、5作品が八雲によるもの。
      • 猫を描いた少年 (The boy who drew cats) 1898年
      • 化け蜘蛛 (The goblin spider) 1899年
      • 団子をなくしたお婆さん (The old woman who lost her dumpling) 1902年
      • ちんちん小袴 (Chin Chin Kobakama) 1903年
      • 若返りの泉 (The Fountain of Youth) 1922年

      著作集

      • 平井呈一訳 『小泉八雲作品集』全12巻、恒文社、1964年 - 1967年。数冊が新装版として刊行されている。
      • 西脇順三郎 / 森亮監修『ラフカディオ・ハーン著作集』全15巻、恒文社、1980年 - 1988年。
        • 西川盛雄 / アラン・ローゼン共編(平井呈一訳・小泉凡挿し絵)『対訳小泉八雲作品抄』、恒文社、1998年9月。ISBN 4-7704-0984-2
        • 平井呈一訳 / 写真ジョニー・ハイマス『面影の日本』恒文社、1999年3月。ISBN 4-7704-0989-8
        • 佐藤春夫訳『尖塔登攀記 小泉八雲初期文集 外四篇』恒文社、1996年6月 ISBN 4-7704-0878-1

      参考文献

      • 太田雄三『ラフカディオ・ハーン―虚像と実像』(『岩波新書』新赤版336)、岩波書店、1994年5月。ISBN 4-00-430336-2
      • 牧野陽子『ラフカディオ・ハーン 異文化体験の果てに』(『中公新書』1056)1992年1月。ISBN 4-12-101056-6
      • 小泉時・小泉凡編『文学アルバム小泉八雲』、恒文社、2000年4月。ISBN 4-7704-1016-6
      • ジョナサン・コット(真崎義博訳)『さまよう魂―ラフカディオ・ハーンの遍歴』、文藝春秋、1994年3月。ISBN 4-16-348890-1
      • 西川盛雄 / アラン・ローゼン共編(平井呈一訳・小泉凡挿し絵)『対訳小泉八雲作品抄』、恒文社、1998年9月。ISBN 4-7704-0984-2
      • 小泉節子 / 小泉一雄 『小泉八雲 思い出の記・父「八雲」を憶う』、恒文社、1976年2月。
      • 平川祐弘『ラフカディオ・ハーン 植民地化・キリスト教化・文明開化』()、ミネルヴァ書房、2004年3月。ISBN 4-623-04044-5、
      • 梅本順子監修・解説『西洋人たちの語ったラフカディオ・ハーン: 初期英文伝記集成』復刻集成全4巻+別冊解説、エディション・シナプス、2008年12月。ISBN 978-4-86166-102-0
      • 工藤美代子『夢の途上 ラフカディオ・ハーンの生涯<アメリカ編>』、集英社、1997年2月。ISBN 4-08-774247-4
      • 工藤美代子『聖霊の島 ラフカディオ・ハーンの生涯<ヨーロッパ編>』、集英社、1999年10月。ISBN 4-08-774431-0
      • 工藤美代子『神々の国 ラフカディオ・ハーンの生涯<日本編>』、集英社、2003年4月。ISBN 4-08-774643-7

      関連項目

      • 富山大学:『ヘルン文庫』
      • 日本の面影:日本放送協会ドラマ、舞台
        • 山田太一 (脚本家):NHKドラマ『日本の面影』の原作と脚本。
        • ジョージ・チャキリス:NHKドラマ『日本の面影』小泉八雲役
        • 風間杜夫:舞台『日本の面影』小泉八雲役
      • 松岡正剛 『おもかげの国 うつろいの国』 :NHK人間講座(2004年)
      • ライブラリー(2005年)
      • 果心居士
      • セント・マロ
      • 日本の史跡一覧
      • 神戸文学館
      • 出雲国造

      脚注

      外部リンク

1850年生まれの人物
小泉八雲 / ギ・ド・モーパッサン /

小泉八雲に関するブログ記事
  • 小泉八雲に思いを馳せる: 珍念のひとりごと
    小泉八雲(L・ハーン)が「生き神」という英語のエッ. セーを書いたのは2万2000の犠牲 ... 八雲はそこで安政年間に大津波が紀州の村を襲った際、. 庄屋の浜口五兵衛が自家の稲 ... れの時代の津波とのかかわりを通し、五兵衛、八雲、里桜. ちゃんを時を超えて ...
  • 『古事記』と小泉八雲から日本の原風景をたどる:『古事記』誕生1300年 ...
    4月21日(土) 『古事記』と『ギリシャ神話』、そして小泉八雲 阿刀田高(小説家) 4月28日(土) 『古事記』:愛と叡知の啓示 出雲の神の世界 岡野弘彦(国学院大学名誉教授) 5月12日(土) 『古事記』と「出雲神話」 三浦佑之(立正大学教授) 5月19日(土) 出雲的 ...
  • 平成23年度「小泉八雲をよむ」感想文、作詞・詩の第2次募集を締め切り ...
    平成23年度「小泉八雲をよむ」感想文、作詞・詩の第2次募集を締め切りました. 投稿:2012年02月01日(水). 平成23年度「小泉八雲をよむ」感想文、作詞・詩(主催:松江市、松江市教育委員会、八雲会)の第2次募集を、昨日1月31日をもって締め切りました。
  • 人吉が大好きな東京白くまのブログ:八雲先生のお宅にもお邪魔しない ...
    カラーバス効果です(^ー^* 入場料:大人200円/開館時間:9時30分~16時30分休日:月曜日(月曜日が祝祭日の場合は翌日の火曜日がお休み)、12月29日~1月3日 さらに詳しい情報は 熊本市観光情報サイト:小泉八雲熊本旧居のページ ...
  • 鞄の中の弁当箱:小説怪談/柳広司/光文社 - livedoor Blog(ブログ)
    小説☆怪談/柳広司/光文社. f43096c6.jpg 鮮やかな論理と、その論理から溢れ滲み出す怪異。 小泉八雲ことラフカディオ・ハ-ンの『怪談』を、柳広司が現代の物語として描き直した異色のミステリ-。 … 収録内容は、 「雪おんな」 「ろくろ首」 ...
  • 小泉八雲と夏目漱石の教え方の違い - 徒然(とぜん)なか話
    水道町まで行ったついでに久しぶりに鶴屋デパートの裏手にある小泉八雲旧居を覗いてみた。展示されている資料に見入っていると、いつ来ても時の過ぎるのを忘れてしまう。今回特に目についたのは英語教育における小泉八雲と夏目漱石の ...
  • 小泉八雲「雪女」後半: ぷりん茶屋
    小泉八雲「雪女」後半. とうとう風邪をひいてしまって、なかなか治りません。 苦しい毎日で赤鼻になってしまい、外出もままなりません。。 ブログの更新も遅れ、ようやく雪女の続きです。 どうぞ、読んでくださいな。 それから一年たったある日の ...
  • 人吉が大好きな東京白くまのブログ:八雲先生のお宅にもお邪魔しない ...
    夏目先生のお宅に伺いましたら・・・ (`・ω・´)ゝ 八雲先生のお宅にもお邪魔しないとなりませんね! 鶴屋百貨店さん近くの【小泉八雲熊本旧居】へも行ってまいりました(^▽^* こちらは、玄関が開いておりましたので書斎やお庭も拝見させてい ...
  • アイリッシュ・フェスティバル in Matsue 2012 | 八雲会 - The Hearn ...
    島根県松江市を拠点に小泉八雲(ラフカディオ・ハーン/Patrick Lafcadio Hearn)の研究・顕彰活動を行っています。 ... アイルランド人の血を引くラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が1年余を過ごした松江は、2007年から開催しています。歩行者天国となる殿町・京 ...
  • ゴーヤのじゆうちょう : 熊本城下に、小泉八雲の邸宅をみた。
    気軽に撮った写真や絵手紙をアップしています。byゴーヤな日々.

小泉八雲に関するニュース
  • 余録:小泉八雲(L・ハーン)が「生き神」という・・・(2月4日 0時32分)
    小泉八雲(L・ハーン)が「生き神」という英語のエッセーを書いたのは2万2000の犠牲者を出した明治三陸大津波に衝撃を受けたからだ。今や国際語の「TSUNAMI」もそれで世界に広まる▲八雲はそこで安政年間に大津波が紀州の村を襲った際 ...
  • 八雲の「生神様」紙芝居に…松江(1月26日 19時05分)
    村人を津波から救った庄屋を主人公にした小泉八雲の作品「ALIVING GOD(生神様)」を題材に、松江市雑賀町の元小学校長、錦織明さん(62)が紙芝居を作成した。作品の舞台・和歌山県広川町を実際に訪れ、津波後も主人公が村の再建に努力 ...
  • 不安を克服する力 佐藤優(2月2日 15時43分)
    人間の心の闇が不安を引き起こすのだと思います。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本各地の怖い話、不思議な話を集めて『怪談』という文学作品にし、捉えどころがない不安を可視化しました。それに触発され、21世紀の日本人が抱える不安を ...
  • 島根・松江で怪談ゆかりの地訪ねる(2月1日 10時37分)
    島根県松江市で2月11日、「松江ゴーストツアー(カラコロコース)」が行われる。 同ツアーはギリシャ出身の小説家・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が残した怪談ゆかりの地を訪ねて回るツアー。 ハーンは新聞記者として来日し、島根県で日本人女性 ...
  • 外国人におすすめの小説(1月23日 18時54分)
    文章や単語の選び方が丁寧で、スタンダードな日本語を読んでいるという気持ちになります。 小泉八雲の「怪談」も外国人におすすめです。 日本人なら誰もが知っている、怖いお話がてんこもりです。 邦訳がいくつもあります。 それを読み比べるのも面白いでしょう。
  • 「怪談」柳広司著(1月29日 9時57分)
    白と黒の無音の世界。降りしきる雪の中にたたずむ白装束の女。それは存在するはずのない何物か……。(「雪おんな」) 小泉八雲の「怪談」を現代の物語に書き直した6編の異色ミステリー。
  • 大雪:峠越すも「雪崩注意」 県対策本部、今週末に除雪作業を ...(2月4日 11時09分)
    県内は3日、大雪の峠は越えたが、冬型の気圧配置が続き、各地で断続的に雪が降った。新潟地方気象台は、積雪量が各地で平年の2倍以上に達していることから、雪崩などへの注意を呼びかけている。県は同日、豪雪対策本部会議を開き、寒気が緩む今 ...
  • 冷え込み:「夕日の滝」凍る 各地で今季最低気温 /神奈川(2月4日 10時54分)
    冬型の気圧配置が続いた影響で厳しい冷え込みとなった3日、県内各地で今冬一番の最低気温を観測した。横浜地方気象台によると、海老名=氷点下6・6度▽小田原=同5・3度▽藤沢市辻堂=同3・4度▽三浦=同2・5度▽横浜=同1・9度で ...
  • 島根の催し : 2月の催し(島根)(1月31日 14時48分)
    ▽まつえ暖談食フェスタ(松江市・市内各所、29日まで) ▽延ばせ健康寿命!要は胃と腸にあり。健康知識アップ講座(同・スティックビル、18日も) ▽「自然賛歌」の写真&バードカービング(同・中電ふれあいホール、3月4日まで)
  • 京都で少女漫画の衣装ファッションショー、登場人物の衣装を実際 ...(1月24日 19時14分)
    京都国際マンガミュージアム(京都市中京区烏丸通御池上ル、TEL 075-254-7414)で3月25日、「Kyoto MaGiC ファッションショー」が開催される。京都市と同館が主催。 「少女漫画とファッション」をテーマに、少女漫画からインスピレーションを得た衣類の制作を ...

Powered by Bing