ロシアの作曲家。モスクワ音楽院でピアノをニコライ・ルビンシュタイン、作曲をチャイコフスキーに師事する。卒業後、モスクワ音楽院で教鞭をとり、1878年教授に就任。1885年から4年間は院長を務めた。
対位法の権威として知られ、教育者としてラフマニノフやスクリャービン、プロコフィエフら優秀な後進を育てたことでも知られる。
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セルゲイ・タネーエフタネーエフ |
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[セルゲイ・タネーエフ 人物情報]
Wikipediaの人物情報
セルゲイ・イヴァノヴィチ・タネーエフ(ラテン文字転写例: Sergei Ivanovich Taneyev、1856年11月25日(当時ロシアで使用されていたユリウス暦では11月13日) - 1915年6月19日)はロシアの作曲家、ピアニスト、教育者である。作曲家のアレクサンドル・タネーエフは親類に当たる。姓はタネイエフ、タニェエフなどと表記されることもある。
概要
ウラジーミル (ウラジーミル州)出身。5歳からピアノを習い始める。9歳の時、一家でモスクワに移住し、モスクワ音楽院でピアノをランケルとニコライ・ルビンシテインに、作曲をピョートル・チャイコフスキーに学び、1875年に金メダルを得て卒業。卒業後はピアニスト、作曲家として活躍。レオポルト・アウアーとデュオを組んで演奏旅行を行う。1875年11月には、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)のモスクワ初演でピアノを担当。1882年5月22日には同じくピアノ協奏曲第2番 (チャイコフスキー)の世界初演を担当している。
1878年、モスクワ音楽院の和声および楽器法の教授となり、1881年には亡くなったニコライ・ルビンシテインの跡を継いでピアノ科教授も受け持った。そして1885年からは4年間院長も勤めた。彼の弟子にはアレクサンドル・スクリャービン、セルゲイ・ラフマニノフ、アレクサンドル・グラズノフ、セルゲイ・プロコフィエフ、ニコライ・メトネルなどがいる。
対位法の理論家としても知られ、著書には「可動的厳格対位法」、「カノンの研究」、ブレッスラーの「厳格対位法と楽式論」の翻訳などがある。また、チャイコフスキーのいくつかの未完作品(『アンダンテとフィナーレ (チャイコフスキー)』など)を補筆している。
出版について無頓着だったために出版された作品数は少なく、番号は混乱しているが、4曲の交響曲、弦楽四重奏曲などの室内楽曲、オペラ、合唱曲、ピアノ曲(数は少ないが「前奏曲とフーガ」嬰ト短調・作品29が有名)など多数の作品を残した。僅かながら正教会の聖歌も作曲している(「主よ、爾は善智なる盗賊を」)。
音楽院を退いた後の晩年はヨーロッパへ旅行することが多かった。1915年、弟子であったスクリャービンの葬儀に出席した際、薄着で棺を担いだのが元で風邪を引き、心臓病を併発してモスクワ近郊のデューティコヴォ村で生涯を閉じた。モスクワのノヴォデヴィチ女子修道院#ノヴォデヴィチ墓地に埋葬されている。
彼の作風はチャイコフスキー同様保守的だが、叙情性よりも構築性を重んじ、対位法を多く駆使しており「ドイツ的」と称されることが多い。アレクサンドル・グラズノフ、門人パウル・ユオンやニコライ・メトネルと並んで、「ロシアのヨハネス・ブラームス」と呼ばれる一人である。もっとも、タネーエフ自身はブラームスを嫌悪していた(同様にリヒャルト・ワーグナーも嫌悪していた)。
作品
交響曲
- 交響曲第1番 (タネーエフ)
- 交響曲第2番 (タネーエフ)
- 交響曲第3番 (タネーエフ)
- 交響曲第4番 (タネーエフ)
管弦楽曲
- ロシアの主題による序曲
協奏曲
- ピアノ協奏曲変ホ調
- ヴァイオリンと管弦楽のための協奏的組曲 Op.28
弦楽四重奏曲
- 弦楽四重奏曲ニ短調
- 弦楽四重奏曲第7番変ホ長調(1880)
- 弦楽四重奏曲第8番ハ長調(1883)
- 弦楽四重奏曲第9番イ長調(1883)
- 弦楽四重奏曲第1番変ロ長調(1890)
- 弦楽四重奏曲第2番ハ長調(1894/95)
- 弦楽四重奏曲第3番ニ短調(1886-96)
- 弦楽四重奏曲第4番イ短調(1898/99)
- 弦楽四重奏曲第5番イ長調(1902/03)
- 弦楽四重奏曲第6番変ロ長調(1903-05)
- 弦楽四重奏曲ハ短調
室内楽曲
- 弦楽三重奏曲ニ長調
- 弦楽三重奏曲ニ長調
- 弦楽三重奏曲変ホ長調
- 弦楽三重奏曲ホ短調
- 弦楽五重奏曲第1番ト長調
- 弦楽五重奏曲第2番ハ長調
- ピアノ四重奏曲ホ長調
- ピアノ三重奏曲ニ長調
- ピアノ五重奏曲ト短調
- 主題と変奏
- 行進曲
- ヴァイオリン・ソナタイ短調
合唱曲
- ダマスコのイオアン (カンタータ)
- 詩篇の朗読
歌劇
- オレステイア (オペラ)
外部リンク
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