イタリア・ルネサンス期の建築家・彫刻家。1377年頃フィレンツェに公証人の子として生まれる。家業は継がず、彫刻家を志したが1403年ギベルティとの制作競技に敗れた後、ローマに赴いて建築に転向した。
ブルネレスキは彫刻のドナテルロ、絵画のマザッチオと並び初期ルネサンス様式の確立者である。透視図法の発明者であるとも言われる。
代表作「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂ドーム」など。
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フィリッポ・ブルネレスキ |
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[フィリッポ・ブルネレスキ 人物情報]
Wikipediaの人物情報
フィリッポ・ブルネレスキ(Filippo Brunelleschi, 1377年 - 1446年4月15日 )は、イタリアの金細工師、彫刻家、そしてルネサンス最初の建築家である。フィレンツェおよびローマを中心に活動した。
彼は冗談や悪ふざけで他者をからかうことを楽しんだが、発想は鋭く、聡明で機智に富んだ。彫刻家としてはロレンツォ・ギベルティに遅れをとったが、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドーム建設によって絶大なる賞賛を得た。名声はあまりに大きく、後世には遠近法の発明やオーダーの発見をも彼のものとすることがある。
生涯
アントニオ・マネッティの著書と言われる『フィリッポ・ディ・セル・ブルネレスコの生涯』によれば、彼は、フィレンツェの公証人ブルネッレスコ・ディ・リッポ・ディ・トゥーラの子として1377年に生まれたが、家業は継がず、金細工師、彫刻家としての修行を積み、1404年に絹織物業組合に登録された。
その後、ピストイアに移り、1400年頃と推定されるサント・ヤコポ教会祭壇の予言者の半身像、および教父像を作成した。1402年、フィレンツェに戻った彼は、洗礼堂の第二青銅扉のための作成競技に参加したが、審美的な観点からギベルティとの共同製作を拒否した。1409年には、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ大聖堂)の造営工事に参加し、1415年にはドナテッロと共に聖堂内部の彫刻の試作を完成させた。また、これらの活動の傍ら、数学者パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリから幾何学を学び、視覚の問題についての関心も持ちはじめた。
時期ははっきりしないが、1420年までに、ブルネレスキは彫刻の技法と感性を獲得するため何度かローマを訪れている。そこで次第にローマ建築に感化されるようになり、建築家としての仕事を請け負うことになった。1415年のピサのポンテ・ア・マーレの修理や1417年のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームに対する勧告など、建築家としての最初の仕事は主として技術的な事案に関することである。
1420年、ブルネレスキはギベルティらと大聖堂天蓋工事の指導者に選ばれたが、彼に割り当てられた仕事は足場の架設工事と壁の構築であった。しかし、ギベルティがドーム下部構造となるカテーナの工事に失敗し、莫大な損失を被ったことから、1423年にはドーム工事の総監督はブルネレスキに交代となった。彼は大天蓋の設計に関して、当初はローマのパンテオンの様な半球型ドームを構想したらしいが、構造的に無理があったために横への応力の少ないゴシック建築の尖頭型リブ・ヴォールト構造を適用した。
ブルネレスキは、大聖堂のドーム工事を進める傍ら、他の建築の設計と造営に携わっており、1419年頃にオスペダーレ・デッリ・イノチェンティを設計し、1429年にはサンタ・クローチェ聖堂 (フィレンツェ)のパッツィ家礼拝堂、1432年にはサント・スピリト教会を設計した。サント・スピリト教会は、ブルネレスキの古典主義に対する考えを最も忠実に表現している。
1445年には、フィレンツェの事実上のシニョリーアであったコジモ・デ・メディチからメディチ邸(メディチ=リッカルディ宮殿)の設計を依頼されたが、ブルネレスキが豪壮な邸宅模型をコジモに贈呈したため、コジモの着想と合わずブルネレスキによる建築は見送られる事となった。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の頂頭部工事の最中、1446年に他界し、大聖堂に葬られた。
影響
ブルネレスキは、審美的な古典主義の適用よりも、構造の解決方法や空間の処理といったローマ建築の工学的な側面に関心を持った。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂と同時代のオスペダーレ・デッリ・イノチェティ(捨子保育院)のファサードはコリント式オーダーを用いたコロネードと浅いペディメントを有した窓を持つが、その全体構成はいかなるローマ建築のものでもない。この着想は11世紀と12世紀にフィレンツェで造営されたプロト・ルネサンス建築(サン・ジョヴァンニ洗礼堂、サン・ミニアート教会など)のものである。サント・スピリト聖堂は、やはりコリント式の柱とアーチからなるアーケードと、平天井で構成されたバシリカ式だが、全体の性格は、むしろロマネスク建築を想起させる。しかし、彼は自身が調査したローマ建築の遺構から正確さと美学を理解し、それまでトスカーナ地方にはなかった、全く新しい空間を表現した。
また、彼は幾何学に関心を持ち、芸術活動に視覚原理を導入しようとした。この試みはブルネレスキ自身によって完成することはなかったが、レオン・バッティスタ・アルベルティに引き継がれ、その著作によって、透視図法の理論が確立された。このように、ブルネレスキの着想は、やがてその後継者によって発展し、初期ルネサンス建築の開花を促した。
主要作品
- 1418年設計・1436年完成 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ大聖堂)のドーム(フィレンツェ)
- 1419年設計、1421~1445年完成 オスペダーレ・デッリ・イノチェティ(捨子保育院)(フィレンツェ)
- 1419年起工・1428年完成 サン・ロレンツォ教会の古聖器室(フィレンツェ)
- 1420年設計・1460年完成 サン・ロレンツォ教会(フィレンツェ)
- 1425年設計 パラッツォ・ディ・パールテ・グエルフォ(フィレンツェ)
- 1430年設計・1461年完成 サンタ・クローチェ聖堂のパッツィ家礼拝堂(フィレンツェ)
- 1432年設計・1461年完成 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(フィレンツェ大聖堂)の頂頭部(フィレンツェ)
- 1434年設計 サンタ・マリア・デッレ・アンジェリ教会のオラトリオ(フィレンツェ)
- 1435年建設 パルラッショ門(現ルッカ門)(ピサ)
- 1436年設計・1487年完成 サント・スピリト教会(フィレンツェ)
関連項目
- ルネサンス建築
- ルネサンス
- ルネサンス美術
参考文献
- G・C・アルガン 『ブルネッレスキ』(浅井朋子訳、鹿島出版会)
- ピーター・マレー 『図説世界建築史10 ルネサンス建築』(桐敷真次郎訳、本の友社)
- ヴォルフガング・ロッツ 『イタリア・ルネサンス建築研究』(飛ケ谷潤一郎訳、中央公論美術出版)
- アルナルド・ブルスキ 『ブラマンテ ルネサンス建築の完成者』(稲川直樹訳、中央公論美術出版)
- ニコラス・ペヴスナーほか、『世界建築辞典』(鈴木博之監訳、鹿島出版会)
- 岡崎乾二郎 『ルネサンス 経験の条件』(筑摩書房)
作品解説
- 『ブルネレスキ 新しい空間の創造者 〈イタリア・ルネサンスの巨匠たち7〉』 ジョヴァンニ・ファネッリ、児嶋由枝訳、(東京書籍、1994年)
外部リンク
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