Mies van der Rohe, Ludwig

ミース・ファン・デル・ローエ

ミースファンデルローエ
Mies van der Rohe, Ludwig
1886年05月27日~1969年08月17日
[ドイツ] [建築]

[ミース・ファン・デル・ローエ 人物情報]

ドイツの建築家。無駄をそぎ落としたデザインが特徴で、ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ヴァルター・グロピウスとともに近代建築の四巨匠と称される。
1886年アーヘン生まれ。父の会社で左官修業をし、1905年ベルリンに出て1907年に初めて建物の設計に携わった。
1919年からノーヴェンバー・グルッペに加わり、建築の近代化運動を行った。1926年ドイツ工作連盟副会長に就任。以後、バルセロナ博覧会のドイツ館、チェコのトゥーゲントハット邸などを手がけ、1931年にはベルリン建築展の住宅部「我々の時代の住宅」を担当している。
1938年にアメリカに移住。シカゴのイリノイ工科大学教授を務めた。1966年AIA(アメリカ建築家協会)金メダル、ドイツ建築家協会より金メダルを受賞している。
代表作は他にシーグラムビル(ニューヨーク)など。

Wikipediaの人物情報

ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエLudwig Mies van der Rohe、1886年3月27日、アーヘン - 1969年8月17日、シカゴ)は、20世紀のモダニズム建築を代表する、ドイツ出身の建築家。

ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加えて、四大巨匠とみなされることも)。

“Less is more.” (より少ないことは、より豊かなこと)という標語で知られ、モダニズム建築のコンセプトの成立に貢献した建築家である。柱と梁によるラーメン (骨組)の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意味のユニヴァーサル・スペースという概念を提示した。

略歴

ミースは、ドイツのアーヘンに、墓石や暖炉を主に扱う石工のネーデルラント系の父ミヒャエル・ミースと母アマリエ・ミースの息子として生まれた。大学で正式な建築教育を受けることなく、地元の職業訓練学校で製図工の教育を受けた後、リスクドルフの建築調査部で漆喰装飾のデザイナーとして勤務。

1906年にブルーノ・パウルの事務所に勤務。パウルの事務所の同僚の紹介により、1907年に最初の作品であるリール邸を手がけている。この仕事が認められたことにより、1908年から1912年まで建築家ペーター・ベーレンスの事務所にドラフトマンとして在籍し、建築を学ぶことになる。1912年、独立して事務所を開設。

1913年、アダ・ブルーンと結婚。アダの紹介によりベルリン近郊の富裕層の住宅の設計を手がける。1927年、ドイツ工作連盟主催のシュトゥットガルト住宅展に参加し、ベーレンス、ヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジエ、ブルーノ・タウトらと共に、実験的な集合住宅を建設した。

1929年のバルセロナ万国博覧会 (1929年)で建設されたドイツ館、バルセロナ・パヴィリオンは、鉄とガラスで構成され、大理石の壁を配したもの。モダニズムの空間を実現したものとして、建築史上有名。なお、同館のために、ミースがデザインしたバルセロナ・チェアも、モダンデザインの傑作として知られる。パヴィリオンは、博覧会終了後に取り壊されたが、1986年に同じ場所に復元され、「ミース・ファン・デル・ローエ記念館」となっている。

グロピウスの推薦で、1930年からバウハウスの第3代校長を勤めた。ナチスによってバウハウスが閉鎖(1933年)されたため、アメリカに亡命した。1938年から58年、シカゴのアーマー大学(後のイリノイ工科大学)建築学科の主任教授を務め、クラウン・ホールをはじめとする同大学のキャンパス計画を手がけた。1944年には、アメリカ市民権を獲得。

四方をガラスの壁で囲んだファンズワース邸(1950年・アメリカ合衆国イリノイ州)も代表作の一つ。週末別荘として建てられたもので、建設費が当初予算を大幅に超えたため、施主のエディス・ファンズワースと訴訟沙汰になったがミースが勝訴した。2003年にオークションに出され、地元のナショナルトラストが取得した。

超高層ビルの実作品として、ニューヨークのシーグラムビル(1958年竣工)があるが、モダニズムの超高層ビルの中では、スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリルのレバー・ハウス(1952年竣工)と並んで、最も優れたデザインの超高層ビルともいわれている。

他の代表作に、ブルノのトゥーゲントハット邸(1930年・チェコスロヴァキア)、レイクショアドライブ・アパートメント(1951年・シカゴ)、ベルリン美術館#第二次世界大戦後(1968年・西ベルリン)などがある。

ポストモダン建築の建築家、ロバート・ヴェンチューリは、ミースの標語 “Less is more.” をもじり、“Less is bore.” (より少ないことは退屈だ)と皮肉った。

2001年、トゥーゲントハット邸は国際連合教育科学文化機関の世界遺産に登録された。

作品

建築
  • 1907年 リール邸
  • 1911年 ペルルス邸
  • 1921年 フリードリヒ街のオフィスビル案(実現せず)
  • 1922年 ガラスのスカイスクレーパー案(実現せず)
  • 1927年 ヴォルフ邸
  • 1927年 ヴォイセンホーフ・ジードルンク
  • 1929年 バルセロナ・パヴィリオン
  • 1930年 ランゲ邸
  • 1930年 トゥーゲントハット邸‎ 
  • 1946年 イリノイ工科大学同窓会館
  • 1949年 プロモントリィ・アバー トメント
  • 1951年 ファンズワース邸
  • 1951年 レイクショアドライブ・アパートメント
  • 1952年 イリノイ工科大学チャペル
  • 1954年 ヒューストン美術館カリナンホール
  • 1956年 イリノイ工科大学クラウンホール
  • 1956年 コモンウエルス・プロムナード・アパートメント
  • 1958年 シーグラムビル
  • 1961年 バカルディ・ビル 
  • 1963年 ラファイエット・パーク
  • 1968年 ベルリン美術館・新ギャラリー
  • 1968年 ウエストモント・スクエア・センター
  • 1969年 ドミニオン・センター
  • 1971年 IBMオフィスビル
  • 1973年 シカゴ連邦センター
  • 1974年 ヒューストン美術館ブラウン・ウイング増築    
家具
  • 1927年 MRダイニングチェア
  • 1929年 バルセロナチェア
  • 1930年 ブルノチェア
  • 1930年 トゥーゲントハット・アームチェア
  • 1932年 MRシェーズロング

日本語文献

  • 『ミース・ファン・デル・ローエ 建築家の講義』 小林克弘訳、丸善、2009年 1955年と1964年に、自らの建築理念を語った対話録、小著。
  • 『評伝ミース・ファン・デル・ローエ』 フランツ・シュルツ 澤村明訳、鹿島出版会、1987年/新装版2006年-美術史家による大著
  • 『ミース再考 その今日的意味』 ケネス・フランプトン、デイヴィット・スペースほか 澤村明ほか訳、SDライブラリー、1992年/新版<SD選書>鹿島出版会、2006年   
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ』 デイヴィッド・スペース 平野哲行訳、<SD選書>鹿島出版会、初版1988年
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ 真理を求めて』 高山正實、鹿島出版会、2006年-図版解説多数、著者はミースに師事、スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル事務所で設計に従事。
  • 『ミース・ファン・デル・ローエの建築言語』 渡辺明次、工学図書、2003年-著者はミース事務所勤務
  • 『ミースという神話 ユニヴァーサル・スペースの起源』 八束はじめ、彰国社、2001年
  • 『ミース・ファン・デル・ローエの戦場 その時代と建築をめぐって』 田中純、彰国社、2000年
  • 『20世紀建築の3大巨匠+バウハウス』-入門書、写真図版多数 マガジンハウスムック (出版)、2002年/改訂版2006年
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ 1886-1969 空間の構造』-入門書、写真多数 クレア・ジマーマン文,Chizuru Ono(大野千鶴)訳  タッシェン・ジャパン(Taschen Japan)、2007年
  • 『トゥーゲントハット邸 ― 建築家 ミース・ファン・デル・ローエ』 栗田仁文/宮本和義撮影 シリーズ World Architecture、バナナブックス、2008年
刊行が古い文献
  • 『巨匠ミースの遺産』 山本学治・稲葉武司共著、(彰国社、初版1970年)
  • 『現代建築の巨匠 20世紀の空間を創造した人びと』 ピーター・ブレイク 田中正雄・奥平耕造共訳、(彰国社、初版1963年、改訂版1967年)-この2冊は、現在まで多数重版。 ※ミースのほかに、ル・コルビュジェと、フランク・ロイド・ライトの三大巨匠を扱う。
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ』 二川幸夫写真、浜口隆一文、渡辺明次解説 <現代建築家シリーズ>美術出版社、1968年 -※以下は主に写真集
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ』 ワーナー・ブレイザー編・解説、渡辺明次訳  A.D.A.EDITA Tokyo、1976年
  • 『ミースの家具』 ワーナー・ブレイザー編・解説、長尾重武訳 <現代の家具シリーズ.5>A.D.A.EDITA Tokyo、1981年
  • 『GA.75 ミース・ファン・デル・ローエ バルセロナ・パヴィリオン/トゥーゲントハート邸』
二川幸夫企画・撮影、フリッツ・ノイマイヤー文、A.D.A.EDITA Tokyo、1995年
  • 『GA.27 ミース・ファン・デル・ローエ ファンズワース邸』 
二川幸夫企画・撮影、ルゥドウィッグ・グレイサー文、A.D.A.EDITA Tokyo、初版1974年
  • 『GA.14 ミース・ファン・デル・ローエ クラウン・ホール/ベルリン美術館』
二川幸夫企画・撮影、ルゥドウィッグ・グレイサー文、A.D.A.EDITA Tokyo、初版1972年
設計図・設計論集
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ ファンズワース邸』 ダーク・ローハン文、北村修一製図 GA.DETAIL.1(ディテール1号)、A.D.A.EDITA Tokyo、2000年、(初版1976年)
  • 『ミース・ファン・デル・ローエ イリノイ工科大学クラウンホール』 <世界建築設計図集34>同朋舎、1984年
  • 『バルセロナ・パヴィリオンの空間構成の方法』 高砂正弘、パレードブックス、2009年

関連項目

  • 建築
  • 建築史
  • 建築家
  • モダニズム
  • ゲルマニア計画 - ナチスに嫌われたバウハウス出身であったが、ベルリン改造計画デザイン担当候補に最後まで挙がっていた。

外部リンク


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