ドイツの考古学者。1822年メクレンブルク地方のノイブコーに生まれる。
貧しい家に生まれたが、1846年にロシア移住して事業に成功した。
幼少時代に聞かされたホメロスの物語のトロイアの都が実在すると信じて1863年に事業を辞め、研究活動に没頭した。1870年にトルコで発掘をはじめ、トロイア遺跡を発見。さらに1876年にミュケナイ、1884年にティリンスを発見するなど多大な成果を挙げた。
また語学に堪能だったことでも知られ、10数ヶ国語を操ったという。
主著は『古代への情熱』『トロヤの古代』など。
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ハインリヒ・シュリーマンシュリーマン |
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[ハインリヒ・シュリーマン 人物情報]
Wikipediaの人物情報
ヨハン・ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユリウス・シュリーマン(1822年1月6日 - 1890年12月26日)は、ドイツの考古学者、実業家。ギリシャ神話に出てくる伝説の都市イリオスが実在することを発掘によって証明した。
来歴
生い立ち
プロイセン王国のメクレンブルク・シュヴェリン州(現メクレンブルク=フォアポンメルン州)ノイブコウ(シュヴェリーンの近郊)生まれ。父エルンストはプロテスタントの説教師で、母はシュリーマンが9歳のときに死去し、叔父の家に預けられた。13歳でギムナジウムに入学するが、貧しかったため1836年に退学して食品会社の徒弟になった。
貧困から脱するため1841年にベネズエラに移住を志したものの、船が難破してオランダ領の島に流れ着き、オランダの貿易商社に入社した。1846年にサンクトペテルブルクに商社を設立し、翌年ロシア国籍を取得。さらにゴールドラッシュに沸くカリフォルニア州サクラメント (カリフォルニア州)にも商社を設立して成功を収める。クリミア戦争に際してロシアに武器を密輸して巨万の富を得た。
トロイア発見
自身の著作では、幼少のころにホメーロスの『イーリアス』に感動したのがトロイア発掘を志したきっかけであるとしているが、これは功名心の高かった彼による後付けの創作である可能性が高い。発掘当時は「トロイア戦争はホメロスの作り話」と言われ、トロイアの実在も疑問視されていた、というのもシュリーマンの著作に見られる記述であるが、実際には当時もトロイアの遺跡発掘は行われており、シュリーマンの「トロイア実在説」は当時からして決して荒唐無稽なものではなかった。
彼は発掘調査費を自弁するために、貿易などの事業に奔走しつつ、『イーリアス』の研究と語学にいそしんだと、自身の著作に何度も書き、講演でもそれを繰り返した。実際には発掘調査に必要な費用が用意できたので事業をたたんだのではなく、事業をたたんでから遺跡発掘を思いついたのである。また彼は世界旅行に出て中国や日本を訪問した(後述)。その後ソルボンヌ大学やロストック大学に学んだのち、ギリシアに移住して17歳のギリシア人女性ソフィアと再婚、トルコに発掘調査の旅に出た。だが、最初の結婚の失敗と30才も年下の女性と結婚したことによる一種のアイデンティティ・クライシスが彼の中にはあり、さらに戦争終結による事業の見通しの暗さが彼をトロイア遺跡発掘へと駆り立てたのだと言われる。発掘においてはオリンピア調査隊も協力に加わっていた。
彼は『イーリアス』を読み込んだ結果、トロイア市はヒサルルクの丘にあると推定した。1870年に無許可でこの丘の発掘に着手し、翌年正式な許可を得て発掘調査を開始した。1873年にいわゆる「プリアモスの黄金」(トロイアの黄金)を発見し、伝説のトロイアを発見したと喧伝した。この発見により、古代ギリシアの先史時代の研究は大いに進むこととなった。
彼は発掘の専門家ではなく、当時は考古学なるものの存在も皆無に等しかったため、発掘技術にも限界があった。発掘にあたって、シュリーマンはオスマン帝国政府との協定を無視し出土品を国外に持ち出したり私蔵するなどした。発見の重大性に気づいたトルコ政府が発掘の中止を命じたのに対し、イスタンブルに駐在する西欧列強の外交官を動かして再度発掘許可を出させ、トロイアの発掘を続けた。こうした不適切な発掘作業のため遺跡にはかなりの損傷がみられ、これらは現在に至っても考古学者による再発掘・再考証を難しい物にしている。
ギリシア考古学の父
シュリーマンは、発掘した遺跡のうち下から2番目(現在、第2市と呼ばれる)がトロイア戦争時代のものだと推測したが、後の発掘で実際のトロイア戦争時代の遺跡は第7層A(下から7番目の層)であることが判明した。第2層は実際にはトロイア戦争時代より約1000年ほど前の時代の遺跡だった。これにより、古代ギリシア以前に遡る文明が、エーゲ海の各地に存在していたということをも証明した。
また彼は、1876年にミケーネで「アガメムノンのマスク」のような豪奢な黄金を蔵した竪穴墓を発見している。1881年にトロイアの黄金をドイツ国民に寄贈してベルリンの名誉市民となった。建築家ヴィルヘルム・デルプフェルトの助力を得てトロイア発掘を継続する傍ら、1884年にはティリンスの発掘に着手。1890年、旅行先のナポリの路上で急死し、自宅のあったアテネに葬られた。
人物
職を転々としながらも商才を発揮しトロイ発掘の目標に向け蓄財し、かつ勉学にはげみ音読により文章を丸暗記する勉強法で多国語を理解し、ドイツ語のほか、英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、ポルトガル語、スウェーデン語、イタリア語、ギリシア語、ラテン語、ロシア語、アラビア語、トルコ語に詳しかった。
来日
清(当時の中国)に続き、幕末・慶応元年(1865年)には日本を訪れ、自著 La Chine et le Japon au temps présent(石井和子訳『シュリーマン旅行記清国・日本』講談社学術文庫)にて、鋭い観察眼で当時の東アジアを描写している。本書においてシュリーマンは、江戸幕府の政治活動を批判したが、日本の文化や風俗は賞賛した。当時欧米では「江戸の驚異」という表現で、日本の話題が取り上げられていたので来日したと著作の中で述べている。
シュリーマンはまず横浜市に上陸し、旅装を解いた後、絹織物と養蚕を見るため八王子市を訪れた。『カイコが吐き出した細い糸で出来た織物は透明感と艶やかさに満ち、最も興味深かったものの1つ』と記している。また、シュリーマンは日本の文化についてこのように記した。
日本人の清潔さについて、町にごみ一つ無く、ところかまわず痰を吐く清国や欧米と比した。また、役人の賄賂を拒否する姿勢、船人足の要求する運賃の正当さを賞賛。
また、混浴について『浴場の前を通ったらアダムとイブそのままに、丸裸の男女がぞろぞろ出てきて、外国人の私を見物した。羞恥心も無ければ風紀の乱れる様子もなく、何たる聖なる単純さであろうか』と感嘆した。
著書
- 『古代への情熱 シュリーマン自伝』岩波・角川・新潮文庫
- La Chine et le Japon au temps présent, Paris: Librairie centrale, 1867.
- 藤川徹訳『日本中国旅行記』 新異国叢書:第2輯6、雄松堂出版、1982年、ISBN 4841902074
- 石井和子訳『シュリーマン旅行記 清国・日本』講談社学術文庫、1998年、ISBN 4061593250
伝記
- エミール・ルートヴィヒ『シュリーマン トロイア発掘者の生涯』 秋山英夫訳 白水社
- エルヴェ・デュシエーヌ 『シュリーマン・黄金発掘の夢』 「知の再発見」双書:創元社、1998年
- キャロライン・ムアヘッド『トロイアの秘宝 その運命とシュリーマンの生涯』 芝優子訳 角川書店 1997年
- デイヴィッド・トレイル『シュリーマン 黄金と偽りのトロイ』 周藤芳幸ほか訳 青木書店 1999年
関連項目
- シュリーマン (小惑星)
- イリオス
外部リンク
- Heinrich-Schliemann-Museum - (ドイツ語)シュリーマン博物館。シュリーマンが育ったアンカースハーゲン(Ankershagen)にある。
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- ?オニキスの品質が良いお店 天然石 ブレスレットと愉快な仲間たち更に、文献の存在しない時代についての知識を提供した。19世紀末にドイツのハインリッヒ・シュリーマンは、アナトリア半島西端のヒッサルリクの丘を発掘し、そこに幾層もの都市遺跡と火災で滅びたと考えられる遺構を発見してこれをトロイア ...
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