日本の絵師。安土桃山時代を代表する画家。狩野派に対抗して「雪舟五代」を名乗り、長谷川派を興した。
1539年現在の石川県七尾市に、七尾城主畠山氏の家臣の子として生まれる。
1571年頃30歳を過ぎてから京都に出て活躍した。
代表作は「松林図屏風」「枯木猿猴図」など。
長谷川等伯 |
[長谷川等伯 人物情報]
Wikipediaの人物情報
長谷川 等伯(はせがわ とうはく、天文 (元号)8年(1539年) - 慶長15年2月24日 (旧暦)(1610年3月19日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人である。
生涯
七尾時代
天文8年(1539年)、能登国七尾(現・石川県七尾市)で能登国の戦国大名畠山氏に仕える下級家臣、奥村文之丞宗道の子として生まれる。幼名を又四郎、のち帯刀と称した。幼年期に染物業を営む長谷川宗清の養子になったと言われる。養家は染物業を営みながら仏画も描き、養祖父や養父の仏画作品も現存している。はじめ長谷川信春を名乗り、七尾を中心とした能登地方で、自らも生涯を通じて熱心な信徒であった日蓮宗関係の、仏画や肖像などを描いていた。現在確認されている最初期の作は、永禄7年(1564年)等伯26歳のものであるが、その完成度は極めて高く、おそらく10代後半頃から養父たちに絵の手ほどきを受けていたと考えられる。その作品は現在でも、能登地方一帯に十数点確認することが出来る。当時の七尾は畠山氏の庇護のもと「小京都」と呼ばれるほど栄え、等伯の作品には都でも余り見られない程良質の顔料が使われている。一般に仏画は平安時代が最盛期で、その後は次第に質が落ちていったとされるが、等伯の仏画はそのような中でも例外的に卓越した出来栄えをしめす。等伯は何度か京都と七尾を往復し、法華宗信仰者が多い京の町衆から絵画の技法や図様を学んでいたと考えられる。
上洛、雌伏の時代
30歳過ぎた元亀2年(1571年)頃、養父母の死を契機に、息子長谷川久蔵を連れて上洛。天正17年(1589年)まで等伯に関する史料は残っていないが、郷里にある生家の菩提寺山の寺寺院群の本山本法寺 (京都市)からの庇護を受けながら、絵を描いて売る「絵屋」として身を立てたようだ。当時の主流であり、一時はその門を叩いたとも言われる狩野派に対して強烈なライバル意識を持ち、その様式に学びつつも、京都と堺を往復し、千利休ら堺で活躍する茶人たちから中国絵画の知識を吸収し、独自の画風を確立していった。等伯が語ったことを本法寺住職日通が書き留めた『等伯画説』は、雪舟ら日本の絵師について触れつつも、大半は南宋や元 (王朝)時代の絵の主題とその画家たちの内容で占められる。別の史料『本朝画史』には、狩野派を妬んだ等伯が、元々狩野氏と親しくなかった利休と交わりを結び、狩野永徳を謗ったという逸話が載っている。『本朝画史』は、一世紀後の、等伯のライバルだった狩野派の著作なので、信憑性にやや疑問が残るが、これが江戸時代における一般的な等伯に対する見方であった。
中央画壇にデビュー
天正17年、千利休を施主として増築、寄進され、後に利休切腹の一因ともなる大徳寺三門の壁画制作を依頼され、また、同寺の塔頭三玄院にも水墨障壁画を描き、有名絵師の仲間入りをする。「等伯」の号を使い始めるのは、これから間もなくのことである。天正18年(1590年)前田玄以と山口宗永に働きかけて、仙洞御所寝殿造障壁画の注文を得るが狩野永徳の妨害工作で取り消されてしまった。この対屋事件は、当時の等伯と永徳の力関係を明確に物語る事例であるが、一方で長谷川派の台頭を予感させる事件でもあり、永徳の強い警戒心が窺える。この一ヶ月後永徳が急死するとその危惧は現実のものとなり、天正19年(1591年)からの祥雲寺障壁画制作を長谷川派が引き受ける事に成功する。しかし、文禄3年(1593年)、画才に恵まれ跡継ぎと見込んでいた久蔵に先立たれてしまった。
「雪舟五代」
等伯は私生活では不幸もあったが、絵師としては順調であった。慶長4年(1599年)頃から「雪舟五代」を名乗り、当時評価が上がりつつあった雪舟の名を全面に押し出しつつ、間に祖父と父の名を加え、自らの画系と家系の伝統と正統性を宣言する。これが功を奏し、法華宗以外の大寺院からも次々と制作を依頼され、その業績により慶長9年(1604年)法橋、翌年法眼に叙せられる。慶長4年の暮れに高所から落ち、利き腕である右手の自由を失ったと言われるが、その後の作が残っていることからある程度は治ったものと考えられる。さらに慶長10年(1605年)には、本法寺客殿や仁王門の建立施主となるなど多くのものを寄進、等伯は本法寺の大檀越となり、単なる町絵師ではなく町衆として京都における有力者となった。
晩年
晩年の等伯に関する記事が、沢庵宗彭の『結縄録』にみえる。或る人が、直に虎を見たことがある誰それほど上手に虎を描くものはいないだろうと述べると、等伯は自分の左手を見ながら右手で絵を描いても、絵が下手では上手く描けないように、実際に見た見ないは絵の上手下手とは関係ない、と反論する。沢庵は、さほど賢そうな老人には見えないけれども、画道に心を尽くした人の発言だけあると感心しており、文章の生々しさから実際に等伯に会って書いたであろうこの逸話からは、生涯を絵に捧げた等伯の愚直な姿を彷彿とさせる。
慶長15年(1610年)徳川家康の要請により江戸に下向するが旅中で発病、江戸到着後2日目にして病死した。享年72。法名は厳浄院等伯日妙居士。遺骨は京都に移され本法寺に葬られたと言われるが、その墓は定かでない。平成7年(1995年)、七尾駅前に故郷を旅立とうとする等伯の銅像「青雲」が建てられた。
代表作
現在確認される作品は80点余り。途中記録がない時期を挟むものの、その画業をほぼ追うことが出来る。豊臣秀吉が幼くして亡くなった愛児・豊臣鶴松の追善のために建立した祥雲寺(廃寺)の金碧障壁画(その一部が現在、京都・智積院に伝存)と、松林図屏風が代表作。金碧障壁画制作のかたわら、中国・宋元の風を承けた水墨の作品もよくした。特に牧谿の「観音猿鶴図」(国宝、大徳寺蔵)影響が強く、その筆法を会得するまで何度も繰り返し描いている。牧谿と比べると等伯の技術は明らかに劣っているが、等伯はその未熟さをむしろ逆手に取り、絵のモチーフに共感を抱かせ、鑑賞者に感情移入を促す情感表現を志した。松林図もその延長上に位置し、その主題が最も成功した作品といえよう。
松林図屏風はその伝来、製作の事情など不明な点が多いが(完成作でない下絵を屏風に仕立てたものだという説もある)、400年前の作品とは思えない斬新な作品である。極限にまで切り詰めた筆数と黒一色をもって、松林の空間的ひろがりとそこにただよう湿潤な大気とを見事に表現している。等伯の残した作品の多くは重要文化財に、一部は国宝に指定されている。
40代以前
- 三宝尊#一塔両尊図(富山・大法寺 (高岡市))1幅 紙本墨画 重要文化財 1564年
- 日堯上人像(京都・本法寺 (京都市))1幅 絹本著色 重要文化財 1572年
- 早世した本法寺第八世日堯上人を描いた像。江戸時代には「信春」は息子の久蔵のことだと考えられたが、本図に墨書された款記によって信春と等伯が同一人物だと提唱され、現在ほぼ定説となっている。
- 伝名和長年像(東京国立博物館)1幅 絹本著色 重要文化財
- 素襖に帆掛舟の紋があることから、旧蔵者福岡孝悌が箱に「伯耆国名和長年像」と記し、この名で呼ばれている。しかし、等伯が日蓮宗の祖師以外で過去の人物の肖像画を描くとは考え難く、等伯と同時代の武将を描いたとする説も有力。候補として、大坪流の馬術家で能登に領地を持ち、足利義輝の馬術師範であった斉藤好玄(よしはる)、「武田信玄像」との関係から武田家の家臣で水軍を担った伊丹康道、或いは帆掛舟はただの文様で太刀の目貫と笄に梅鉢紋が描かれている事からこれを家紋とする能登平氏とする説、などがある。
- 武田信玄像(高野山・成慶院)1幅 絹本著色 重要文化財
- 近年、この肖像画の像主について異論が出ている。詳しくは武田信玄#肖像画を参照。
- 花鳥図屏風(岡山・妙覚寺 (岡山市))六曲一隻 重要文化財
- 牧馬図屏風(東京国立博物館)六曲一双 紙本著色 重要文化財
50代
- 稲葉良通像(京都・妙心寺智勝院)1幅 絹本著色 玉甫紹琮賛 重要文化財 1589年
- 大徳寺山門天井画・柱絵(京都・大徳寺)板絵著色 重要文化財 1589年
- 内訳は、中央に「雲龍図」と「蟠竜図」、その外側にそれぞれ「昇竜図」と「降竜図」、柱に阿吽の「仁王像」、さらに両サイドに「天人像」と「迦陵頻伽像」を一体づつ描く。等伯が大絵師への道を辿る契機となった記念碑的作品。この絵でのみ「等白」と署名しており、等伯と名乗る前の画号とみなされている。なおこれらの壁画は、温湿度の影響を非常に受けやすいため、作品保護の観点から一切の拝観が禁止されている。
- 旧三玄院襖絵(山水図襖)(京都・高台寺圓徳院)襖32面 紙本墨画 重要文化財 1589年頃
- 旧三玄院襖絵(松林山水図襖)(京都・楽美術館)襖4面 紙本墨画 1589年頃
- 元は大徳寺塔頭三玄院の方丈を飾るものだったが、廃仏毀釈によって流出し、現在は上記のように分蔵されている。等伯はかねてより方丈の襖絵制作を懇願していたが、住持春屋宗園は修業の場である方丈に絵は不要と断られ続けた。そこで等伯は春屋の留守を狙って止める雲水達を振り切って上がり込み、一気呵成に描いたのがこの襖絵だったと言う。戻ってきた宗園は初め激怒するも、絵の出来栄えに感心し、結局襖絵を認めてそのままにした。襖絵の料紙が作画に不向きな雲母刷り胡粉桐文様の唐紙であることから、この逸話はおおよそ事実に近かったと考えられる。等伯は、桐紋を降りしきる雪に見立て、雪景色の山水として描いた。
- 松に鴉 柳に白鷺図屏風(出光美術館)六曲一双 紙本墨画 1592年頃
- 旧祥雲寺障壁画(京都・智積院)紙本金地著色 国宝 1592年頃
- 春屋宗園像(京都・三玄院)1幅 絹本著色 重要文化財 1594年
- 利休居士像(京都・不審庵)1幅 絹本著色 春屋宗園賛 重要文化財 1595年
- 等伯と利休の交流の一端が垣間見える作品。正木美術館にも等伯筆といわれる利休の肖像画があるが、面貌表現の相違から、等伯の作でない可能性が高い。
- 妙法尼像(京都・本法寺)1幅 紙本墨画 重要文化財 1598年
- 松林図屏風(東京国立博物館)六曲一双 紙本墨画 国宝
- 金地院障壁画(京都・南禅寺金地院)重要文化財
- 竹林猿猴図屏風(承天閣美術館)六曲一双 紙本墨画 重要文化財
- 枯木猿猴図(京都・妙心寺龍泉庵)2幅 紙本墨画 重要文化財 京都国立博物館委託
- 表具背面墨書銘によると、元は前田利長遺愛の六曲一双の屏風絵であったが、ある時利長が恍惚としていると、絵の中の猿が腕を延ばし髪を引っ張ったので、利長は短刀でその腕を切り落とし、以後「腕切猿猴」と呼ばれたという逸話が記されている。利長死後、一隻づつ分け寄進され左隻は焼失、右隻も右側4扇分を掛け軸2幅に改装されて現在の状態になっている。
- 樹下仙人図(京都・壬生寺)六曲一双 紙本淡彩 重要文化財
- 妙蓮寺障壁画(京都・妙蓮寺)重要文化財 京都国立博物館寄託
- 波濤図(京都・禅林寺 (京都市))紙本金地墨画 重要文化財 京都国立博物館寄託
- 瀟湘八景図屏風(東京国立博物館)六曲一双 紙本淡彩
- 竹虎図屏風(出光美術館)六曲一双 紙本墨画
- 柳橋水車図屏風(香雪美術館)六曲一双 紙本金地著色 重要美術品
- 「絵屋」としての等伯を考える上で指標となる作品。当時この図様は非常に流行したらしく、類似作が20点前後も現存し、志野焼や織部焼といった焼物の絵付けや、蒔絵などの工芸品デザインや衣装の文様にも確認することが出来る。本作はその中でも卓越した技量を示し、等伯自身が描いた可能性が高い。
60代以後
- 大涅槃図(京都・本法寺)1幅 紙本著色 重要文化財 1599年
- 画面だけでも縦8m弱・横約5,2m、画面周囲の華やかな描表装を含めれば、高さ10m・横6mにも及ぶ大作。東福寺の吉山明兆作、大徳寺の狩野松栄作と共に、三大涅槃図と呼ばれる。等伯自らが願主となり、本法寺に寄進した。現存する中で初めて「雪舟五代」と署名した作品である。本法寺奉納前に宮中で後陽成天皇の叡覧に供され、京中で評判となった。この広報活動は成功し、こののち有力寺院の仕事を次々と手がけることになる。絵の裏には、日蓮上人と祖師たちの名、本法寺開山の日親上人以下日通上人までの歴代住職、更に養祖父母や養父母、若死した久蔵たち等伯一族の名が記されている。等伯の篤い信仰と一族への深い祈りが込められた作品といえよう。
- 水墨山水図(京都・ 妙心寺隣華院)襖20面 紙本墨画 重要文化財 1599年
- 商山四晧図(京都・大徳寺真珠庵)襖4面 紙本墨画 重要文化財 1601年
- 蜆子猪頭図(京都・大徳寺真珠庵)襖4面 紙本墨画 重要文化財 1601年
- 梅に叭々鳥図(京都・大徳寺真珠庵)襖2面 紙本墨画 重要文化財 1601年
- 禅宗祖師図(京都・南禅寺天授庵)襖16面 紙本墨画 重要文化財 1602年
- 商山四皓図(京都・南禅寺天授庵)紙本淡彩 襖8面 重要文化財 1602年
- 松鶴図(京都・南禅寺天授庵)襖8面 重要文化財 1602年
- 龍虎図屏風(ボストン美術館)六曲一双 紙本墨画 1606年
- 日通上人像(京都・本法寺)1幅 絹本著色 重要文化財 1608年
- 弁慶・昌俊図絵馬(京都・北野天満宮)1面 板絵金地著色 重要文化財 1608年
- 烏鷺図屏風(川村記念美術館)六曲一双 紙本墨画 重要文化財 「法眼」署名
- 萩芒図屏風(承天閣美術館)
- 故事人物図屏風(MOA美術館)
その他
- 月夜松林図屏風(個人蔵) 第2の松林図といわれている。京都国立博物館寄託。松の配置やその姿形が原本に忠実過ぎ、細部の表現がやや鈍重な事から、等伯周辺の有力絵師の作とするのが妥当。
- 2011年1月22日より日本経済新聞朝刊にて小説「等伯」掲載(作者:安部龍太郎)。ノンフィクションに限りなく近い完成度の高い内容となっている。
参考文献
- 『月刊 美術の窓No.318 戦国絵師 長谷川等伯 絵筆で天下を獲る!!』 生活の友社186美術の窓ねっと187、2010年3月
- 芸術新潮 2010年3月号『〈没後400年記念特集〉長谷川等伯《松林図屏風》への道』
- 黒田泰三 『もっと知りたい長谷川等伯 生涯と作品』 東京美術《ABCアート・ビギナーズ・コレクション》、2010年2月 ISBN 978-4-8087-0823-8
- 『別冊太陽 長谷川等伯』 平凡社、2010年1月 ISBN 978-4-5829-2166-3
- 水尾比呂志 『近世日本の名匠』 講談社《講談社学術文庫》、2006年 ISBN 978-4-0615-9757-0
- 宮島新一 『長谷川等伯 真にそれぞれの様を写すべし』 ミネルヴァ書房、2003年 ISBN 978-4-6230-3927-2
- 山根有三 『山根有三著作集6 桃山絵画研究』 中央公論美術出版、1998年 ISBN 978-4-8055-1452-8
- 黒田泰三編 『長谷川等伯』 新潮社《新潮日本芸術文庫4》、1997年 ISBN 978-4-1060-1524-3
- 橋本綾子解説・池田満寿夫文 『水墨画の巨匠第3巻 等伯』 講談社、1994年 ISBN 978-4-0625-3923-4
- 土居次義 『日本の美術87 長谷川等伯』 至文堂、1973年
- 脇坂淳 『等伯』 三彩社《東洋美術選書》、 1970年
- 『週刊 日本の美をめぐるNo.14 金と墨の長谷川等伯』 小学館、2002年
- 『週刊アーティスト・ジャパン第25号 長谷川等伯』 同朋舎出版、1992年
- 展覧会図録 『没後400年 長谷川等伯』 東京国立博物館2010年2-3月、京都国立博物館4-5月
脚註
外部リンク
- よろこんぶ通信 : ミニギャラリー玉藻2月「長谷川等伯ゆかりの能登を彫る ...七尾市中島町在住の木版画家 鈴木俊治さんの木版画展です。 鈴木さんは中島町で農業をするかたわら、木版画での作品作りをされています。 今回の作品展では長谷川等伯ゆかりの地である能登が作品の中心となっています。 作品からは ...
- 長谷川等伯と雪舟流@岡山県立美術館 - 月猫ツーリスト 高速移動テ ...ここで開かれていたのは「長谷川等伯と雪舟流」。もともと岡山県立美術館は、雪舟が岡山県の出身であることから雪舟に関する作品を集めていましたが、これらの作品に「雪舟五代」を名乗る長谷川等伯を絡めて展示しようというもののようです ...
- 「長谷川等伯と雪舟流」岡山県立美術館 - 書逍遙 - Yahoo!ブログ書を中心に、書画作品、文房具、書籍・法帖、展覧会、路傍の書、街角の書、記念碑、歌碑、句碑、自然の話題etc. (筆文字 書画 菘翁)
- 岡山県立美術館「長谷川等伯と雪舟流」展 :: デイリーハーパー長谷川等伯は、石川県の七尾市の生まれだったようですが、 岡山弁の「うったて」を知っていたに違いない、と思えるほど、 水墨画に関しては、近くで観るとうったてが効果的な画風です なんのことかわからないと? つまりぐっと押さえる、素早く撥ねる、その緩急を ...
- 長谷川等伯 | 命をもって命を癒す長谷川等伯」. 石川県七尾市出身の日本画家で安土桃山時代から江戸初期に活躍した方で、現在日本経済新聞に連載小説として掲載されているので、愛読しております。 やはり何と言っても「松林図」が有名だし好きですが、それ以外にも豪華 ...
- 岡山で「長谷川等伯と雪舟流」を見る。 - 四国遍路ゆったり歩き記日生でカキオコを食べて、帰りに岡山で「長谷川等伯と雪舟流」を見る。と言うより長谷川等伯を見に行って、お昼を日生で食べたと言うほうが正しい。2時までに岡山に帰ったのは、講演会があったからです。お話は面白かったのですが、時間が ...
- 長谷川等伯と雪舟流 - Seachang's room岡山県立美術館 2012年1月20日~2月19日 雪舟を生んだ岡山。岡山県立美術館は雪舟を中心にした水墨画のコレクションがあります。等伯は雪舟五代を名乗りますし、岡山県内に等伯の代表作があるんですね~ 半分くらいが等伯、残りは ...
- ブログ版 週刊「ボチボチいこか」 : 長谷川等伯と雪舟流タイトルの長谷川等伯、そしてもちろん雪舟も、この国の絵画を語る上で外せないビッグネームであることを疑う人はいないでしょう。またこの展覧会を紹介する「等伯、雪舟五代を名乗る」というキャッチの妙もあって、どんな展示をしているのか ...
- 青空マーケット。 : 長谷川とーはく。去年、京都国立博物館で開催されていた「没後400年特別展覧会 長谷川等伯」に行きたかったけど行けず… でも、そんな私を横目にうちのモチ造は行った… で、更にうらやましくてヤサぐれていたら… 100%とーはくではないけれど、みに行けました☆ 濃淡だけ ...
- 長谷川等伯と雪舟流 | 岡山県の古本屋・古書店 万歩書店の店長日記2010年にあった「没後400年 長谷川等伯展」(以下400年展と表記)で等伯についてはもう満足といった感があったのですが、その時に出品されていない作品も今回見ることが出来るということで、これは行かねばというわけで、出かけた次第で ...
- (175)長谷川等伯の生誕地/七尾市(2月8日 9時52分)原寸で複製された松林図屏風(びょうぶ)。ガラスケースがなく、作品の息づかいがじかに伝わってくるようだ=石川県七尾美術館 駅のバス停前に立つ長谷川等伯青雲像。志高く、京都へ向かう姿が表現されている=JR七尾駅前 水墨画の最高峰、国宝 ...[詳細]
- 偲ぶ会:長谷川等伯が縁 高岡市美術館の前館長・遠藤さんにお ...(2月6日 15時53分)昨年12月7日、肝不全のため61歳で急逝した高岡市美術館の遠藤幸一・前館長を偲ぶ会が5日、同市新横町のホテルニューオータニ高岡で開かれた。行政や美術関係者ら300人以上が参加し、別れを告げた。 遠藤さんは東京生まれ。東京芸大大学院 ...[詳細]
- 桃山絵画の名品堪能 「長谷川等伯と雪舟流」展鑑賞会 岡山(2月8日 9時17分)「長谷川等伯と雪舟流」展を開催中の岡山市北区天神町、岡山県立美術館で7日、山陽新聞読者を中心とした会員組織「さん太クラブ」主催の鑑賞会が開かれ、桃山、室町時代を代表する絵師の名品を堪能した。 県内各地から30人が参加。桃山絵画の巨匠 ...[詳細]
- 【能登の風】輪島崎の祭り(2月8日 10時07分)輪島崎の新年の厄よけ行事「面様年頭」。かつては奇怪な面の「面様」のまわりを幼児がはやし立ててついてまわったという=輪島市輪島崎町 海士町の奥津比咩神社の夏の大祭では女装した若者がみこしを担ぐ。若者の数が多くて担ぎ手が余るほどという ...[詳細]
- 高校入試:県立高の推薦入学志願状況 総数1585人、倍率1 ...(2月7日 16時27分)県教委は6日、同日正午に締め切った県立高校の推薦入学志願状況を発表した。推薦募集を実施するのは34校71学科(前年34校73学科)で、募集人員1358人(同1350人)に対し、前年より43人多い1585人が志願した。平均倍率は1 ...[詳細]
- 花園大集中講義終了(1月30日 0時23分)再び妙心寺を抜けて帰る途中、隣華院で長谷川等伯「山水図屏風」、狩野永岳「西園雅集図屏風」などが公開されていたので鑑賞。これもなかなかよろしかった。やっぱり気分に余裕が生まれると、同じお寺めぐりでも全然違うね。 その後、烏丸御池に移動。[詳細]
- [加山又造 作品]の検索結果です。 ( 約567件中 1~10件表示 )(2月6日 15時53分)加山 又造 本郷美術骨董館。各分野専門家27人在籍。相談鑑定無料。出張可。 http://www.hongou.jp 絵画買取はイマジンにおまかせ 加山又造ほか高額絵画を現金買取!全国より無料査定受付中 http://www.imagine.co.jp 作家作品の高価買取 名品名画買取実績多数 ...[詳細]
- 男性遺体:海中から乗用車、車内で発見--滑川漁港 /富山(2月6日 16時00分)5日午前6時55分ごろ、滑川市坪川の滑川漁港で、海中に軽乗用車が水没しているのを漁師の男性(58)が発見した。滑川署などが調べたところ、車の中から魚津市内に住む自動車運転代行業の男性(36)が遺体で見つかった。男性は先月30日夜 ...[詳細]
Powered by Bing
