フランスの画家。ニコラ・プッサンとともに古典主義絵画を代表する人物。
本名クロード・ジュレ。「ロラン」の名は生地のロレーヌ地方から。少年時代にローマに出て、1625年から数年間フランスに戻った以外は生涯のほとんどをローマで過ごした。
ローマではA.タッシに師事。海景画と風景画で名声を高め、ターナーら後世の風景画家に多大な影響を与えた。1682年ローマで死去。
![]() |
クロード・ロランロラン (別名:ル・ロラン クロード・ジュレ) |
|---|
[クロード・ロラン 人物情報]
Wikipediaの人物情報
クロード・ロラン(Claude Lorrain, 1600年頃 - 1682年11月23日)は、本名をクロード・ジュレといい、フランスのバロック・フランス古典主義絵画の画家。ロレーヌ地域圏地方の出身なので、「ロラン」と呼ばれ、生涯の大半をイタリアのローマで送った。ニコラ・プッサンと同時代に活躍した。理想風景を追求する画風で知られ、代表作は『海港 シバの女王の船出』。日本では、国立西洋美術館、静岡県立美術館、山梨県立美術館、東京富士美術館に収蔵されている。
生涯
初期
ロランは1604年または5年にロレーヌ地方、シャマーニュの貧しい家に5人兄弟の一人として生まれた。12歳で孤児になり木彫り職人で兄のジャン・ジュレとフライブルク・イム・ブライスガウに移住した。その後、彼は生計を立てるためローマ、更にナポリへと移住した。1619年から1621年までナポリでゴフレード・ウァルスの許で修行する。1625年の4月ローマに戻りアゴスティーノ・タッシに師事。タッシの許を離れた後、幾多の災難に見舞われながらも、生地ロレーヌ地方の他、イタリア、フランス、ドイツを旅した。ロレーヌ公の宮廷画家カール・ダーバントはロランを1年間助手として雇っており。ナンシーではカルメル会教会の天井に建築物を描いている。
円熟期
1627年、ロランはローマに戻り、グイード・ベンティボグリオの為に描いた二つの風景画によりウルバヌス8世がパトロンとなり。1637年頃からは急速に風景画家、海景画家としての名声を高めていく。同じフランス人のニコラ・プッサンとも交友があり、ローマン・カンパーニャを共に旅している。二人共、風景画家と呼ばれているが、プッサンの風景は人物の背景である一方、ロランの絵では人物は片隅に描かれるものの、絵の本当の主題は陸地、海、空である。他の画家に人物の描画をしばしば依頼しており、その中にはジャック・クルトワやフィリッポ・ラウリが含まれていた。絵の購入者には、自分は風景を売ったが人物はおまけだと言っていた。
同じ主題の繰り返しを避ける目的と、自分の作品の良質な複製を提供するため、彼は各国に送られた自分のほぼ全ての作品を淡彩入りのドローイングで複製し本にまとめた。ドローイングの裏面には購入者の名前を記載した。この本をロランは『真実の書(Liber Veritatis)』と名づけた。この貴重な作品は銅版画に複製出版され、後の風景画家の模範となった。痛風に苦しんだ彼は、1682年の11月21日もしくは23日に亡くなり、トリニタ・アル・モンテ(Trinità al Monte)の頂に葬られた。彼の莫大な遺産は、甥と養子の娘(姪の可能性あり)に残された。
評価と遺産
ローマでは17世紀中頃まで風景が真剣に取り組むべき画題と見做されることは無かった。北ヨーロッパではドイツのの装飾的フレスコ画で風景が主題となっている。しかし主要なイタリアの画家が本格的な作品で風景を主題とするのはアンニーバレ・カラッチと弟子のドメニキーノを待たなければならない。尤も彼等に於いてもロランと同じように表向きは神話や宗教を主題としていた。主題として風景を扱うことは明らかに非古典的で、ありえないことだった。カラッチの才能は古典の作品を理想としたルネサンス美術とは相容れないものであったし、ドメニキーノの才能も宗教または神話上の主題を高く評価する対抗宗教改革時のローマではサポートを得るのが難しかった。背景には純粋な風景画は静物画や風俗画と同じように、道徳的真剣さに欠けると見做す当時の美学上の視点が有る。17世紀イタリア美術の神学、哲学上の中心地ローマはそのような伝統からの離脱の準備はできていなかった。ロランは弟子に親切で勤勉であり、非常に鋭い観察眼を持っていたと伝えられている。しかし、生前、彼のことを記録する者はいなかった。ヨアヒム・フォン・ザンドラルト()がクロードの生涯に関しては権威である(Academia Artis Pictoriae、1683年)。フィリッポ・バルディヌッチ()はクロードと近しかった数人から情報を得て様々な出来事をまた別の印象で語っている(Notizie dei professoni del disegno)。ジョン・コンスタブルはクロード・ロランのことを「世界が今まで目にした最も完璧な風景画家」だと述べ、クロードの風景では「全てが美しく-全てが愛らしく-全てが心地よく安らかで心が温まる」と絶賛している。
脚注
参考文献
- 『クロード・ロランと理想風景』国立西洋美術館 1998年
- フランクフルトのシュテーデル美術館でクロード・ロラン展 « ヨーロッパ芸術 ...ドイツのフランクフルトにあるシュテーデル美術館で、バロック時代のフランス人画家クロード・ロラン(1600年~1682年)の作品展が開催される。13点の絵画をはじめ、素描や版画など、クロード・ロランの作品が約130点展示される。クロード・ ...
- クロード・ロラン『クリュセイスを父の元へと送り届けるオデュッセウスフランスの画家クロード・ロラン(1600頃-1682)が描いているのは、ギリシア軍の船に乗せられたクリュセイスが、父クリュセスの待つクリュセ市の港に到着しようとする場面です。 中景中央に描かれた船の中に、オデュッセウスとクリュセイスが ...
- クロード・ロラン:魔法をかけられた風景 - アートニュースおもにドイツ語圏の展覧会情報、美術・写真・建築などについて.
- image1291 クロード・ロランの影 - 悠山人の新古今2011-0826-yim1291image1291 クロード・ロランの影title: l'ombre de Lorrainnote: 秋雨の公園。ロダンの彫刻「クロード・ロラン」の影を見る。先日、芸術公園。memo-Gy: 『Next』。主人公は、2分先の予知能力を持つ、ヴぇガ...
- ピアノ譜1015(四季の歌~アロハ・オエ/おとなのための楽しいピアノ ...14 シバの女王/Queen Of Sheba(作曲:クロード・ロラン) 15 指くぐりと指またぎ 16 見よ勇者は帰る/See The Conquering Hero Comes(作曲:ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル) 17 茶色の小瓶/The Little Brown Jug(アメリカ民謡) ...
- 朝霧怜太朗の健康的な非日常 美術はお好き?エルグレコカペカルロドルチギュスターヴカイユボットギュスターヴモロークールベクロードロランゴーギャンシニャックスーラセザンヌドガドラクロワフェルメールボッチチェリマネミレーモディリアーニモネルーベンスルノワールレンブラントローランサンロセッティ・・・ ...
- 理想のスタイル(その23)理想の風景画家クロード・ロラン | ムッシューPの美の探究西洋美術大好きのムッシューPが、気のおもむくまま、 興に乗ずるままに、名画のアレも、コレも・・・。 ... クロード・ロラン作 「聖パウラが船出するオスティアの港」1637-39/マドリード・プラド美術館 この絵は ...
- クロード・ロランフランスの画家「クロード・ロラン」について|クロード・ロラン(Claude Lorrain, 1600年頃 - 1682年11月23日)は、本名をクロード・ジュレと...
- 写真1291 クロード・ロランの影|悠歌苑悠の悠歌苑の記事、写真1291 クロード・ロランの影です。
- ポトラッチ第2号 - シチュアシオニスト・オンライン文庫公衆は憤慨し、20分間の大混乱の後、映画の上映は打ち切られた。 心理地理学の繰習. ピラネージ*2は階段において心理地理学的である。 クロード・ロラン*3は宮殿と海の組み合わさった地区を現前させることにおいて心理地理学的である。
ニュースはありません。
人名辞典ではこのページで使用している画像の著作権は消失しているものと認識し ているか、許可を得て掲載しております。 万一、画像が許可を得て掲載されていない場合は速やかに画像を外すか、正式な許可を得る手続きをいたしますのでご連絡下さい。

