Berwald, Franz Adolf

フランツ・ベルワルド

ベルワルド (別名:フランス・ベールヴァルド)
Berwald, Franz Adolf
1796年07月23日~1868年04月03日
[スウェーデン] [作曲家]

[フランツ・ベルワルド 人物情報]

スウェーデンの作曲家・ヴァイオリニスト。1796年ストックホルムに生まれる。生家は代々続く音楽家の家系で、王立歌劇場のヴァイオリニストであった父からヴァイオリンを学んだ。1812年王立歌劇場のヴァイオリニストとなる。
1835年、整形外科を開業し、経済的な成功を得た。
ベルワルドは生前はほとんど評価されなかったが、現在ではスウェーデンを代表する作曲家として高く評価されている。

Wikipediaの人物情報

フランツ・アドルフ・ベルワルドフランス・アードルフ・ベールヴァルド、Franz Adolf Berwald, 1796年7月23日 - 1868年4月3日)はストックホルムに生れ同地で没したスウェーデンのヴァイオリン演奏家で作曲家。作曲は独学と言われ、半音階的な和声進行が特徴的な、きわめて独自の作風をとった。そのため生前はなかなか理解されなかったが、現在では近代スウェーデン音楽の基礎を作った1人として認められている。

略歴

  • 1811年 - 15歳 王立管弦楽団の指揮者Du Roy(もしくはJ.B.E. Dupuy?)に師事。
  • 1812年 - 16歳 以後1828年 (32歳)まで王立管弦楽団の奏者を務める。その間北欧中心に演奏旅行をする。
  • 1829年 - 33歳 ベルリンへ移る。
  • 1835年 - 39歳 整形外科を開業。
  • 1841年 - 45歳 ウィーンへ移る。作曲家としての成功を収める。
  • 1850年 - 54歳 1858年までガラス器工場を経営する。
  • 1868年 - 72歳 4月3日 ストックホルムで没する。

生涯

ベルワルドは4代にわたった音楽家の家系に生まれ、幼児期から、宮廷歌劇場ヴァイオリン奏者の父親にヴァイオリンを学び、まもなく演奏会に出演するようになった。1811年にスウェーデン国王カール13世 (スウェーデン王)(グスタフ3世 (スウェーデン王)の弟)が実権を握り、宮廷礼拝堂を回復すると、その翌年にベルワルドは同礼拝堂に就職し、エドゥアール・デュピュイ(Edouard Dupuy)に師事しながら、宮廷楽団や宮廷歌劇場でヴァイオリンを演奏した。また、作曲も手掛けるようになる。夏は宮廷楽団のシーズンオフだったので、ベルワルドはスカンジナビアやフィンランド、ロシアで巡演した。この頃にベルワルドは「七重奏曲」や「セレナーデ」を作曲しており、まだ音楽にやりがいを覚えていた。

1818年にベルワルドは『音楽新聞』(Musikalsk journal)を創刊(のちフランス語のJournal de musiqueに名称変更)、これは自作も含めて、さまざまな作曲家による簡単なピアノ曲を載せた季刊誌であった。1821年に「ヴァイオリン協奏曲 嬰ハ短調」が弟アウグストにより初演されるが、評判は芳しくなく、緩徐楽章の最中に笑い出す聴衆さえいた。

1825年に父親が没すると、実家の経済状況が急に悪化したため、ベルワルドは複数の奨学金を得ようとしたが、辛うじて王室から奨学金を得られたに過ぎなかった。しかし、そのためベルリンに留学することができ、懸命にオペラの創作に取り組んだが、舞台にかける機会には恵まれなかった。生計を立てるために、ベルワルドは1835年にベルリンに整形外科学と理学療法の診療所を開業したところ、収入に恵まれた。ベルワルドの発明した整形外科の器具は、その後100年間にわたって利用された。

だが、ベルリン時代にベルワルドは作曲をやめており、1841年にウィーンに転居し、マティルデ・シェーラー(Mathilde Scherer)と結婚した。1842年のウィーン・レドゥーテンザールの演奏会でとりあげられた自作の交響詩が絶賛されたため、ベルワルドはその後3年以上を費やして、4つの交響曲を書き上げた。

交響曲第1番ト短調「まじめな交響曲」("Serieuse")は、ベルワルドの生前に初演された唯一の交響曲で、1843年に従兄弟ヨハン・フレデリックの指揮により、宮廷歌劇場管弦楽団により上演された。その演奏会では、ベルワルドのオペレッタ「Jag gar i kloster」もとりあげられたが、その成功はイェニー・リンド(Jenny Lind)のおかげであると見なされている。

ベルワルドの作品は、スウェーデンでは作曲者の存命中には理解されず、新聞上の評論に敵意さえ引き起こしたが、ドイツやオーストリアではもう少しましだった。ザルツブルク・モーツァルテウムは1847年にベルワルドを名誉会員に加えた。

ベルワルドは1849年にスウェーデンに帰国し、アマチュア音楽家のルドヴィク・ペトレ(Ludvig Petre)が所有する AngermanlandのSandoで ガラス工房を経営した。その間ベルワルドは、室内楽に注意を向けた。

ベルワルドのオペラのうち、存命中に上演されたものは数少ないが、その1つ「ソリアのエストレッラ」は1862年4月に宮廷劇場で初演された際、大いに喝采を浴び、同月のうちに4回追加公演が行われた。この成功に続いて「Drottningen av Golconda」が作曲され、1864年に上演される運びになっていたが、宮廷歌劇場の監督者の交代により、実現されなかった。

1866年にベルワルドは、音楽的な業績に鑑みて the Order of the North Star 褒章を授与された。1867年、ストックホルム音楽院は、それまで彼の志願をはねつけてきたにもかかわらず、死の直前になって、ベルワルドを作曲家教授に任命した。その頃には多くの重要な依頼が舞い込んでいたが、それらを実行できるだけの寿命が彼には残されていなかった。

ベルワルドは1868年にストックホルムで肺炎のために死去し、同地の Norra begravningsplatsen に埋葬された。葬儀では、交響曲第1番から第2楽章が演奏された。

主な作品

エドゥアルト・ハンスリックは、1869年の著書『ウィーンの演奏会の歴史Geschichte des Concertwesens in Wien』の中で、ベルワルドのことを「人となりは刺激的で機転に富むが、奇抜なきらいがあった。作曲家としては創作力や想像力に欠けていた」と開陳している。一方で、ベルワルド亡き後の作曲家のルードヴィグ・ヌールマン‎やトール・アウリン、ヴィルヘルム・ステーンハンマルらが、ベルワルド作品の普及に尽力したため、ベルワルドがスウェーデンの「最も独創的で近代的な作曲家」(ヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル著『Dagens nyheter』)として理解されるのに、そう長くはかからなかった。カール・ニールセンはベルワルドについてこう述べた。「メディアや金や権力は、すぐれた芸術を害することも、役立つこともできない。そうした例は、自作のために前進し、創作し、立ち上がる実直できちんとした芸術家たちのうちに、いつでも見出せる。スウェーデンにその最上の例がある――ベルワルドだ。」

ベルワルドの死から10年、交響曲第4番変ホ長調「素朴な交響曲」("Naive")が1878年に初演された。もともと1848年にパリ初演の計画だったが、1848年革命のために延期されたのである。だがこれも、ほかの2曲、交響曲第2番ニ長調「交響曲第2番 (ベルワルド)」("Capriceuse")と交響曲第3番ハ長調「風変わりな交響曲」("Singuliere")に比べればわりあい早い。これら2曲は、20世紀まで初演されなかったのである。

代表的な作品

  • 交響曲第1番 (ベルワルド)(Sinfonie sérieuse)
  • 交響曲第2番 (ベルワルド)(Sinfonie capricieuse)
  • 交響曲第3番 (ベルワルド)(Sinfonie singulière)
  • 交響曲第4番 (ベルワルド)(Sinfonie naïve、スコアには標題の表示は無い)
  • ピアノ協奏曲ニ長調
  • 大八重奏曲変ロ長調
  • 弦楽四重奏曲ト短調他
  • ピアノ五重奏曲、ピアノ三重奏曲
  • バスーンとオーケストラのためのコンツェルトシュツトゥック

参考書籍

  • Robert Layton, editor, A Guide To The Symphony, Chapter 13, "The Symphony in Scandinavia", written by Robert Layton.

関連項目

  • ベルワルド (小惑星)
  • 小説『夜と泥の』 - 飛浩隆著、中短編集『象(かたど)られた力』(ハヤカワ文庫JA)に収録
SF短編。作品中に登場する4つの人工衛星の名称が「ベルヴァード」、「セリューズ」、「カプリシューズ」、「サンギュリエール」となっている。「ベルヴァード」はベルワルドから、他3つは交響曲の標題からの引用。

外部リンク

1796年生まれの人物
カミーユ・コロー / フィリップ・フランツ・シーボルト / フランツ・ベルワルド /

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