日本の理論物理学者。1907年地理学者、小川琢治の3男として東京に生まれる。父の京大赴任に伴って京都に転居し、京都で育つ。京都帝国大学理学部を卒業後、同校の助手を務めた。25歳のとき湯川家の婿養子となり湯川姓を名乗る。1935年に論文「素粒子の相互作用について」を発表、中間子の存在を予言した。第2次大戦後に中間子の存在が確認されると、その功績により1949年ノーベル物理学賞を受賞した。日本人として初のノーベル賞受賞であり、敗戦に打ちひしがれる日本人の多くに希望を与えた。
湯川秀樹は日本の素粒子物理学の指導的役割を果たすとともに、のラッセル・アインシュタイン宣言やパグウォッシュ会議に参加するなど、科学の平和利用の活動も積極的におこなった。
1936年大阪帝国大学助教授。1939年京都帝国大学教授。1940年学士院賞受賞。1943年文化勲章受賞。1953年京都大学基礎物理学研究所所長。
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湯川秀樹 |
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[湯川秀樹 人物情報]
Wikipediaの人物情報
(湯川記念館)前にある湯川秀樹胸像(京都市左京区)
湯川 秀樹(ゆかわ ひでき、1907年(明治40年)1月23日 - 1981年(昭和56年)9月8日)は、日本の理論物理学者である。京都府京都市出身。
原子核内部において、陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる中間子の存在を1935年に理論的に予言した。1947年、イギリスの物理学者セシル・パウエルが宇宙線の中からパイ中間子を発見したことにより湯川理論の正しさが証明され、これにより1949年(昭和24年)、日本人として初めてノーベル賞を受賞した。
京都大学・大阪大学名誉教授。京都市名誉市民。1943年(昭和18年)文化勲章。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。学位は博士 (理学)。
生涯
生い立ち
1907年、東京府東京市麻布区市兵衛町(現:東京都港区 (東京都)六本木)に地質学者・小川琢治と小雪の三男として生まれる。
1908年、父・琢治の京都大学教授就任に伴い、父親の一家で京都府京都市に移住する。このため、麻布の家には誕生後1年2ヶ月しか住んでない。1歳から大学までは京都、大学を出て一時大阪や西宮市にいたこともあるが人生の大半は京都で過ごしたことになる。(ただし、ノーベル賞受賞の対象となった中間子論を発表したのは、湯川が大阪帝国大学に勤めていた時であり、当時は西宮の苦楽園で生活していた。)湯川は自伝に「私の記憶は京都に移った後から始まる。やはり京都が私の故郷ということになるのかもしれない」と記している。
母方の祖父・小川駒橘は元紀州藩の武士であり、また先祖代々和歌山県出身であるため“和歌山出身”と紹介されることもあるが、本人曰く、京都市出身との事。和歌山県出身の実業家・松下幸之助の郷里に「松下幸之助君生誕の地」の石碑があり、題字は同郷ということで湯川の筆によって書かれたものである。ただし、湯川本人は和歌山で暮らした経験は無い。
5、6歳の頃、祖父・駒橘より四書の素読を習った。駒橘は漢学の素養が豊富で、明治以後は蘭学を学び晩年までずっとタイムズを購読し続けた人物であるという湯川は自伝に「私はこのころの漢籍の素読を決してむだだったとは思わない。…意味もわからずに入っていった漢籍が大きな収穫をもたらしている。その後大人の書物をよみ出す時に文字に対する抵抗は全くなかった。漢字に慣れていたからであろう。慣れるということは恐ろしいことだ。ただ祖父の声につれて復唱するだけで、知らずしらず漢字に親しみその後の読書を容易にしてくれたのは事実である。」と記している。
1919年、京都府立洛北高等学校・附属中学校に入学する。中学時代の湯川はあまり目立たない存在であり、あだ名は「権兵衛」だった。また、物心ついてからほとんど口を利かず、面倒なことは全て「言わん」の一言で済ませていたため「イワンちゃん」とも呼ばれていたが、案外『イワンの馬鹿』から取ったのではないかと自分で考えた時期もあった本田靖春『現代家系論』p.104(文藝春秋社、1973年)。この無口さが理由で父の琢治から「何考えているのやらわからん」と疎んじられ、他の兄弟に比べて能力を低く見られ、大学進学は諦めさせて専門学校へでもやろうかと考えられていた時期もあった。京都一中の同期には学者の子供が多く、後に学者になった者も多かったという。同じくノーベル物理学賞を受けた朝永振一郎は一中で一年上、三高・京大では同期だった。
ノーベル賞受賞
1929年、京都大学理学部物理学科卒業。同大学玉城嘉十郎研究室の副手となる。1932年、京都帝国大学講師。1933年、東北大学で日本数学物理学会年会が開催された時に八木秀次と知り合い、当時大阪大学の理学部物理学科(は塩見理化学研究所)の初代主任教授に就任した八木に頼んで大阪帝国大学講師を兼担することになる。
教え子の間では、声が小さく講義はかなり難解であったと伝えられている。この頃、大阪胃腸病院(1950年に湯川胃腸病院と改称)の院長:湯川玄洋の次女湯川スミと結婚し、湯川家の婿養子となり、小川姓から湯川姓となる。
大阪帝国大学に移籍後、全く成果が出ない湯川に八木は以下の様に叱責した。1934年、中間子理論構想を発表、1935年、「素粒子の相互作用について」を発表、中間子(現在のパイ中間子)の存在を予言する。すでに日中戦争中であった日本人学者は、海外からはなかなか評価されなかったがソルベー会議に招かれ、以後、アインシュタインやオッペンハイマーらと親交を持つ。この研究が評価され、1940年に恩賜賞 (日本学士院)を受賞、1943年には最年少で文化勲章受章。さらに、1947年にセシル・パウエル等が実際にπ中間子を発見したことで1949年にノーベル物理学賞を受賞した。これは日本人として初めてのノーベル賞受賞であり、このニュースは敗戦・占領下で自信を失っていた日本国民に大きな力を与えた。2000年に湯川のノーベル賞選考関連文書を調査した岡本拓司は、推薦状の大半が日本以外から出されていた点などを挙げ、「ノーベル賞の歴史の中でもまれなほど、研究成果との関係が明瞭であるように思われる」と記している。
戦後は非局所場理論・素領域理論などを提唱したが、理論的な成果にはつながらなかった。一方、マレー・ゲルマンのクォーク理論については「電荷が1/3とか2/3とか、そんな中途半端なものが存在する訳が無い。」と否定的であった。
またその一方で、核兵器廃絶を訴える平和運動にも積極的に携わり、ラッセル=アインシュタイン宣言にマックス・ボルンらと共に共同宣言者として名前を連ねている。ただし、戦前・戦中には荒勝文策率いる京大グループにおいて、日本の原子爆弾開発に関与したことが確認されている。
後期
1956年1月に、宮中歌会始に召人として臨み「春浅み 藪かげの道 おほかたは すきとほりつつ 消えのこる雪」が詠まれた。
1970年、京都大学退官、京都大学名誉教授となる。晩年は、生物学にも関心を抱き、特に、生命現象における情報の役割に関心を抱いた。又、江戸時代後期の思想家三浦梅園への傾倒を深めた。
色紙に何か書いて欲しいと頼まれるとしばしば「知魚楽」と書いた。「魚ノ楽シミヲ知ル」。『荘子』の「秋水」の最後の一句である。
晩年は、車椅子姿で公に列席するなど多病であった。1981年に肺炎に心不全を併発し京都市左京区の自宅で死去する。没年74歳。墓所は京都市東山区の知恩院にある。広島平和公園にある若葉の像の台座に、湯川による短歌での銘文「まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは」が刻まれている。
年譜
- 1907年 - 地質学者・小川琢治と小雪の三男として東京市麻布区に生まれる。
- 1908年 - 一家で京都市に移住。
- 1919年 - 京極尋常小学校卒業。
- 1923年 - 京都府立洛北高等学校卒業。
- 1926年 - 第三高等学校 (旧制)卒業。
- 1929年 - 京都大学理学部物理学科卒業。同大学玉城嘉十郎研究室の副手となる。
- 1932年 - 湯川スミと結婚。同時に湯川家の婿養子となり、小川姓から湯川姓となる。京都帝国大学講師。
- 1933年 - 大阪大学講師兼担。
- 1934年 - 中間子理論構想を発表。
- 1935年 - 「素粒子の相互作用について」を発表、中間子の存在を予言。
- 1936年 - 大阪帝国大学理学部助教授。
- 1937年 - ソルベー会議に招かれる。
- 1938年 - 理学博士(大阪帝国大学)。
- 1939年 - 京都帝国大学教授。
- 1940年 - 恩賜賞 (日本学士院)受賞。
- 1942年 - 東京大学理学部教授。
- 1943年 - 最年少で文化勲章受章。
- 1946年 - 日本学士院会員。
- 1948年 - プリンストン高等研究所客員教授。
- 1949年 - 同年7月コロンビア大学客員教授就任、同年10月ノーベル物理学賞受賞。
- 1950年 - コロンビア大学教授。
- 1953年 - 京都大学基礎物理学研究所初代所長。国際理論物理学会・東京&京都議長。
- 1955年 - 日本国際連合教育科学文化機関国内委員会委員。日本物理学会会長。
- 1958年 - 原子力委員会参与。
- 1970年 - 京都大学退官、京都大学名誉教授。
- 1981年 - 京都市左京区の自宅で死去。74歳没。
- 2005年 - ユネスコが湯川秀樹メダルを作成。
受賞
- 1940年 - 恩賜賞 (日本学士院)
- 1941年 - 野間学術賞
- 1943年 - 文化勲章
- 1949年 - ノーベル物理学賞
- 1964年 - ロモノーソフ金メダル
- 1967年
- ドイツ連邦共和国 プール・ル・メリット勲章
- ローマ教皇庁 科学アカデミー勲章
- 1977年 - 勲一等旭日大綬章
- 1981年 - 従二位
親族
- 父:小川琢治(地質学者・京大名誉教授)
- 母:小雪(和歌山県 小川駒橘娘)
- 姉:香代子、妙子
- 兄:小川芳樹(冶金学者・東大教授)、貝塚茂樹(東洋史学者・京大名誉教授、文化勲章受章)
- 弟:小川環樹(中国文学者・京大名誉教授)、滋樹(ますき・第二次世界大戦で戦病死)
- 妻:湯川スミ(和歌山県 医師湯川玄洋次女)
- 息子:湯川春洋(平凡社勤務を経て近世演劇研究家となる、1933年4月8日 - )、湯川高秋(講談社に勤務するも心臓発作で急死、1934年9月29日 - 1971年)
- 遠縁:武田國男(実業家)、ダイアナ湯川(ヴァイオリニスト)、柿澤弘治(政治家)、森喜朗(政治家、元内閣総理大臣)
主な著書
単著
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- - ISBN 4-8205-4261-3 (set)
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選集・著作集
共著・編著・共編著
論文
- 国立情報学研究所収録論文 国立情報学研究所
弟子
以下は、国内で著名な人物を挙げる。- 林忠四郎 - 宇宙物理学者
- 内山龍雄 - ゲージ理論の先駆者の一人
- 寺本英 - 生物物理、数理生物学の開拓者
また、孫弟子には、現在活躍する数多くの理論物理学者・宇宙物理学者・天文学者・数理生物学者が含まれている。
関係者
- 坂田昌一:大阪帝国大学時代の同僚。湯川との共著論文も多い。
- 武谷三男 :同上。
- 小林稔:同上。のちに京都大学理学部物理学科で教授同士の同僚関係。
- 朝永振一郎:京都帝国大学で同期。協力者、ライバルの両面もあった。ともにノーベル賞受賞者となったという意味の仲間でもある。
- 木村毅一:京都帝国大学で同期。実験原子核物理学者。のちに京都大学理学部物理学科で教授同士の同僚関係。
距離の単位
- 湯川の業績にちなみ、核力の到達距離の目安となる 1fm = 10-15m を、1 yukawa と呼ぶ案が提案されたが普及にはいたらなかった。フェムトメートル参照。
脚注
関連項目
- パグウォッシュ会議
- 朝永振一郎
- 仁科芳雄
- アルベルト・アインシュタイン
- ラッセル=アインシュタイン宣言
- 世界平和アピール七人委員会
- 日本の原子爆弾開発 - 大日本帝国海軍の原爆開発計画(F研究)に関与したことが確認されている。
- Progress of Theoretical Physics - 1946年に湯川秀樹の呼びかけで発刊された論理物理学学術誌
- 澤野久雄 - 湯川の自伝『旅人』の協力者。その内容をめぐって湯川夫妻と対立し、1967年にモデル小説といわれた『山頂の椅子』を書き、湯川を困らせた。
- 日本女性科学者の会
外部リンク
- ノーベル賞日本人受賞者7人の偉業 湯川秀樹
- ノーベル賞公式サイト - 湯川秀樹の写真あり(英語)
- 松岡正剛の千夜千冊 - 湯川秀樹と親交のあった松岡正剛による追想
- 京都市名誉市民 湯川秀樹
- 知魚楽について
- 湯川記念室
- 湯川先生のノーベル賞論文の手書き原稿と印刷版
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