フランスの作家・詩人。夭折の天才作家として知られる。
1903年パリ郊外で生まれる。父は風刺漫画家。15歳のとき、詩がジャン・コクトーらに高く評価され、パリの作家や芸術家たちと交友するようになった。
16歳から18歳にかけて処女小説『肉体の悪魔』を執筆。早熟な少年と夫が出征中の人妻との恋を描いたこの作品は、出版社の一大キャンペーンに乗ってフランス全土にセンセーションを巻き起こした。2作目の小説『ドルジュ伯の舞踏会』の執筆中、腸チフスにかかり、20歳の若さで死去した。
作品は他に詩集『燃える頬』など。
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レイモン・ラディゲ |
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[レイモン・ラディゲ 人物情報]
Wikipediaの人物情報
レイモン(レモン)・ラディゲ(Raymond Radiguet, 1903年6月18日 - 1923年12月12日)は、フランスで生まれた小説家、詩人。
生涯
フランスはパリの郊外、サン=モール=デ=フォッセで生まれる。幼少の頃は学業優秀でならすものの、思春期にさしかかる頃から文学にしか興味を示さなくなり、学業そっちのけで、風刺漫画家として活動していた父の蔵書を読み耽るようになる。そのときフランス文学の古典の魅力にとりつかれる。14歳の頃、『肉体の悪魔 (ラディゲ)』のモデルとされる年上の女性と出会い、結果として不勉強と不登校のため学校を放校処分になる。その後、自宅で父親からギリシア語とラテン語を習いながら、徐々に詩作に手を染める。15歳の時に父親の知り合いの編集者のつてをたどって知り合った詩人のマックス・ジャコブに詩を評価され、同じ詩人のジャン・コクトーに紹介される。コクトーはラディゲの才覚を見抜き、自分の友人の芸術家や文学者仲間に紹介してまわる。数多くのコクトーの友人との交友を通して、ラディゲは創作の重心を徐々に詩作から小説に移しはじめ、自らの体験に取材した長編処女小説『肉体の悪魔 (ラディゲ)』の執筆にとりかかる。
途中、詩集『燃ゆる頬』、『休暇中の宿題』の出版や、いくつかの評論の執筆を行ないつつ、「肉体の悪魔」の執筆を続行。数度のコクトーを介した出版社とのやりとりと改稿の末に、ベルナール・グラッセ書店から刊行される。このとき出版社は新人作家対象としては異例の一大プロモーションを敢行したため文壇から批判を浴びるが、作品は反道徳的ともとれる内容が逆に評判を呼びベストセラーとなり、ラディゲは一躍サロンの寵児としてもてはやされることになる。
「肉体の悪魔」で得た印税を元手に、コクトーとともにヨーロッパ各地を転々としながらも、ラディゲはすでに取りかかっていた次の作品『ドルジェル伯の舞踏会』の執筆を続行。同時に自分がこれまで書いた評論などの原稿や詩作を整理しはじめる。1923年11月末頃に突如、体調を崩し腸チフスと診断され入院。病床で「ドルジェル伯」の校正をしながら治療に専念するが、快方には向かわずそのまま20歳の短い生涯を閉じる。遺作の「ドルジェル伯の舞踏会」は、死後出版された。(コクトーはラディゲの早すぎる死に深い衝撃を受け、その後およそ10年にわたって阿片に溺れ続けた)
フランス文学界での位置づけ
ラディゲのフランス文学史全体における位置づけは、作家としての活動期間が短く、作品の本数も少ないせいもあってか決して高くはない。しかし処女小説「肉体の悪魔 (ラディゲ)」は、題材のセンセーショナルさに溺れることなく、年上の既婚者との不倫に溺れる自らの心の推移を冷徹無比の観察眼でとらえ、虚飾を排した簡潔な表現で書きつづったことで、今日もなお批評に耐えうる完成度に達している。「ドルジェル伯の舞踏会」に至っては、ラディゲ自らが参考にしたとしているラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』を、高度に文学的な手腕で換骨奪胎し、別の次元の「フランス心理小説の傑作」に仕立て上げていることからも、「夭折の天才」の名にふさわしい文学的実力の持ち主であったことが容易に推察される。
日本におけるラディゲ
- 20代の三島由紀夫の短編に『ラディゲの死』がある。若き日の三島は、堀口大學訳『ドルジェル伯の舞踏会』(初版白水社、新版は講談社文芸文庫)によって、自己同一化する程、多大な影響を与えた事は著名である。
- 『ドルジェル伯―』は、生島遼一訳が新潮文庫で、他に鈴木力衛訳で岩波文庫と、『ラディゲ全集 全1巻』(江口清訳、東京創元社)がある。なお『肉体の悪魔 (ラディゲ)』はリンク先参照。
外部リンク
- 伝記。 書誌学(フランス語)
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