フランドルの画家。1593年現ベルギーのアントウェルペンで生まれる。
ルーベンスに影響を受け、ルーベンスが師事した画家アダム・ファン・ノールトに絵画を学んだ。市民や農民の生活をテーマに、豊富な色彩と空想的な構図の作品を残した。代表作は「4人の伝道者」「酒を飲む国王」など。
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ヤーコブ・ヨルダーンス |
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[ヤーコブ・ヨルダーンス 人物情報]
Wikipediaの人物情報
ヤーコブ・ヨルダーンス (1593年5月19日 - 1678年10月18日)は、フランドルのバロック期の画家。
ピーテル・パウル・ルーベンス、アンソニー・ヴァン・ダイク同様、アントウェルペン派を代表する画家である。同時代の他の画家たちとは違ってイタリア絵画を学ぶため外国へ行くことはなく、画家としてのキャリアを通じてイタリア人画家たちの人間性や優雅さへの追求には無関心だったd'Hulst, pp. 23。ヨルダーンスは低地諸国への短期旅行をした以外は、人生の大半をアントウェルペンで過ごした。
ヨルダーンスは画家アダム・ファン・ノールトに8年間師事し、後に芸術家ギルドの)、パオロ・ヴェロネーゼ、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオら北イタリアの画家の影響が見られる。
生涯
file:Entführung der Europa Jakob Jordaens.jpg(ベルリン)ヤーコブ・ヨルダーンスは1593年5月19日に、11人兄弟の長男としてアントウェルペンに生まれた。父親は裕福な麻織物商人で同名のヤーコブ・ヨルダーンスで、母親はバルバラ・ファン・ウォルシャテンであるd'Hulst (2001)。ヨルダーンスが幼少期にどのような教育を受けたのかははっきりしておらず、両親の社会的地位にふさわしい十分な教育を受けることができたのではないかと考えられているに過ぎない。ただしこのことはヨルダーンスの美しい筆跡、フランス語能力、そしてギリシア・ローマ神話に対する知識からある程度裏付けることができる。ヨルダーンスがキリスト教に精通していたことは自身が描いた多くの宗教画から明らかであり、後にカトリックからプロテスタントへと改宗したことから聖書への造詣も深かったと考えられるd'Hulst p. 23。ルーベンスと同じくアントウェルペンの画家アダム・ファン・ノールトのもとで修行し、ヨルダーンスにとってファン・ノールトが最初で最後の師となった。修行時代のヨルダーンスはファン・ノールトの家に下宿しており、その家族とも非常に親密な関係を築いている。8年間をファン・ノールトの徒弟として過ごし、その後芸術家ギルド聖ルカ組合には「水彩画家」として登録された。17世紀当時には水彩画材はタペストリーの下準備や油彩画の下絵など補助的な役割に使用されることが多かったもので、初期のヨルダーンスの水彩画は一切現存していない。ヨルダーンスは1616年のギルド加入と同時に師であるファン・ノールトの三人姉妹の長姉アンナ・カタリナ・ファン・ノールトと結婚し、1618年には幼少期を過ごしたアントウェルペンのホフストラートに家を購入している。その後1639年には、20年前にルーベンスがしたのと同様に隣家も購入し、居住空間と工房とを拡張し、1678年に死去するまでこの家に住み続けた。
file:Four Evangelists Jordaens Louvre Inv1404.jpg(パリ)ヨルダーンスは当時の他の画家とは違って、古典古代芸術やルネサンス芸術を学ぶためにイタリアへ旅したことはなかった。ただし、その代わりに北ヨーロッパで入手可能なイタリア人芸術家たちの版画や作品の研究に没頭した。ティツィアーノ・ヴェチェッリオ、パオロ・ヴェロネーゼ、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ、バッサーノらの版画、複製画あるいはカラヴァッジョの『ロザリオの聖母』のように本物の作品を研究していたことが分かっている。しかしながらヨルダーンスの作品は伝統的なフランドル絵画であり、特にピーテル・ブリューゲル(父)が描いた風俗画のように、ありふれた市井の人々の喜びに満ちたフランドルの生活風景を素朴に描きだしている。当初ヨルダーンスに絵画制作を依頼したのはフランドルの富裕層や聖職者だったが、画家としての名声が高くなるとヨーロッパ各地の宮廷や行政府からの依頼が舞い込むようになった。油彩画の大作をこなすかたわらでタペストリのデザインも多く手がけており、水彩画家として初期に修行した成果がそのキャリアに反映されている。
ヨルダーンスは弟子の多さでも特筆される画家である。ギルドの聖ルカ組合には、1621年から1667年にかけて15名の公式な弟子を持っていたという記録がある。公的機関の文書にもその他に6名の弟子がいたと記載されていることから、このような公式記録として残っている人数よりもさらに多くの弟子を持っていたのではないかと考えられている。弟子の中にはヨルダーンスの従兄弟や息子の名前も載っている。ルーベンスなど当時のほかの芸術家の工房と同様に、ヨルダーンスの工房でも助手や弟子たちが絵画制作に大きな役割を果たしていた。ヨルダーンスの弟子たちの中で後に有名な画家になった者は多くはないが、当時ヨルダーンスの工房は高い評価を受けており、ヨーロッパ各地の若い芸術家たちからは魅力ある働き場所だと見なされていた。
ルーベンスからの影響
File:Jordaens Return of the Holy Family from Egypt.jpg(ベルリン)ヨルダーンスはルーベンスから非常に大きな影響を受けた画家である。ルーベンスが油彩画を制作する下準備としてルーベンス自らが描いた下絵を大きく引き伸ばす仕事をヨルダーンスが請け負ったこともあった。そしてルーベンスの死後、ヨルダーンスはアントウェルペンでもっとも尊敬される画家の一人となっているBelkin, p.334。ルーベンスと同じくヨルダーンスも暖色系の色使いで自然主義 () の絵画を描き、キアロスクーロとテネブリズムといった明暗法の技術を多用した。ヨルダーンスは単なる肖像画家ではなく、モデルの人間性までを表現することに秀でた画家だった。ヨルダーンスが描いた伝統的な暮らしをおくる農夫や、オランダの教訓を題材とした大規模な風俗画はヤン・ステーンにも影響を与えている。ヨルダーンスは決して特定の絵画ジャンルを専門とした画家ではなかったが、ことわざや格言をもとにした、様々な年齢層の人々がさんざめく祭りの宴会の情景を何度も好んで描いた。これらの作品には猥雑さの要素も含まれている。ヨルダーンスは画家としてのキャリアを通じてルーベンスが描いたモチーフを下敷きにすることがあったが、ルーベンスよりも写実性を追及する傾向にあり、多数の人物を画面に配する構成や風刺的主題を、宗教画や神話画であっても好んで採用した。『プロメテウス』(1640年頃)はルーベンスと、ルーベンスと交流のあった画家フランス・スナイデルス両人の影響が見られる作品である。ルーベンスとスナイデルスの合作『縛られたプロメテウス』(1611年 - 1612年)をもとにして描いた作品だが、ヨルダーンスの作品はより希望が見られる構成となっている。
画題
File:Jacob Jordaens - Pan and Syrinx.jpgヨルダーンスはよく知られている人物画だけではなく、聖書のエピソード、ギリシア・ローマ神話、寓意などをモチーフにした絵画を描いており、さらには銅版画の分野にも作品を残している。神話画も含む歴史画を描くことが多かったが、『大人が歌えば子供が笛吹く』のようなフランドルに伝わることわざや格言を絵画化した作品や、『酒を飲む王様』のようなフランドルの祭りを描いた作品なども残している。動物画も好んでいたと考えられており、雌牛、馬、鶏、猫、犬、羊など生活に身近な動物を多く描いている。ヨルダーンスの動物や人々の日常的な暮らしぶりを描いた絵画群は、その生涯を語る上でつねに用いられ、引き合いに出される作品になっている。1640年にルーベンスが死去するとヨルダーンスはアントウェルペンの画家の第一人者となり、主に北ヨーロッパ諸国の宮廷から絵画制作依頼を受けるようになった。ルーベンスの遺産相続人から、スペイン王フェリペ5世 (スペイン王)の依頼による、未完のままに残されていたヘラクレスとアンドロメダを描いた作品の仕上げを依頼されたこともあった
1635年から1640年にかけてルーベンスが晩年の通風の発作に苦しんでいた時期に、フェルナンド・デ・アウストリア (枢機卿)が新しくスペイン領ネーデルラント総督に就任し、1635年に赴任することを祝う式典のために、ヨルダーンスはルーベンスがデザインしたスケッチに従ってアントウェルペンで飾り付けの仕事を担当している。このときにヨルダーンスが担当した美術品は現存していない。ヨルダーンスは1639年から1640年に、イングランド王チャールズ1世 (イングランド王)からグリニッジにある王妃ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスの別邸に飾る絵画製作依頼を受けたが、これももともとはルーベンスが依頼を受けかけていた仕事で、当時のルーベンスの健康状態が悪化していたためにヨルダーンスに依頼が回ってきたものである。
ヨルダーンスは1636年から1681年にかけて行われたスペインのエル・プラド王宮の装飾の一部を担当しておりVieghe, p.262、ルーベンスの下絵をもとに描かれた『アポロンとパン』(1637年)と『ベルトムヌスとポモナ』(1638年)の2点の神話画がヨルダーンスの作品と考えられている。その他『ティタン族の滅亡』、『ペレウスとテティスの結婚』、『龍の牙を折るカドモス』もヨルダーンスの作品と見なす研究家もいるが、異論もあり定説を見ていない。1661年は新築されたアムステルダムの市庁舎に、3点のルネット壁画を描く依頼を受けている。
信仰
File:Jordaens Christ driving the Merchants from the temple.jpg(パリ)カトリックの擁護者だったスペイン・ハプスブルク家統治下の当時のアントワープでは、プロテスタント教派は禁じられていたが、晩年のヨルダーンスはカトリックからプロテスタントへと改宗している。ヨルダーンスは1651年から1658年にかけて、中傷的あるいは異端的文書を書いたとして200ポンド15シリングの罰金を科せられた。それでもなお、ヨルダーンスのもとにはカトリック教会から内部装飾用の美術作品制作依頼が途切れることはなかった。
1877年にはアントウェルペンのプッテに、ヨルダーンスと、同僚の二人の画家シモン・デ・パペとアドリエン・ファン・シュタルベムト () の記念碑が建てられている。ここは数年前に取り壊された小さなプロテスタント教会と墓地の敷地内だった場所である。1678年10月にヨルダーンスはフランドルを襲った謎の疫病に罹患し、死去した。同じ日にヨルダーンスと同居していた未婚の娘エリザベトも死去し、ベルギー国境近くの北部の小さな村プッテのプロテスタント教会墓地の一つの墓に共に埋葬された。
タペストリのデザイン
ヨルダーンスのもっとも重要な作品群の中に、タペストリ製作用に描いた多くの習作がある。タペストリはルネサンス期からバロック期を通じて最上級の芸術品とされており、制作側からするともっとも利益の上がる芸術作品だった。大規模なタペストリは、ヨーロッパの有力貴族の邸宅の壁を飾るために14世紀から制作され始めているNelson, p.6。富裕な有力者たちはヨルダーンス、ルーベンス、ピエトロ・ダ・コルトーナといった著名な芸術家を雇い、富や権力を誇示するために有名な歴史的人物や神話の登場人物に仮託した自分たちの肖像をタペストリに表現させた。ヨルダーンスはこのタペストリの分野に力をいれ、その優れた技術とスタイルで多くのタペストリデザインの制作依頼を受けている。ヨルダーンスは当時のもっとも優れたタペストリデザイナの一人として高く評価されていた。
ヨルダーンスのタペストリ製作工程には、前準備としてドローイングやスケッチによる下絵の制作が含まれていた。仕上げた下絵をタペストリの原寸大のサイズに拡大し、油彩によってより詳細な描き込みがなされてから、タペストリを織り上げる職人へと渡された。ヨルダーンスが前準備の下絵を描くときにはほとんどの場合水彩顔料を使用している。ただし油彩顔料で下絵を描くこともあり、この場合にはキャリア後期のキャンバスに直接描いた時期以外は紙に油彩顔料で描いていた。ヨルダーンスが制作に携わったタペストリの顧客は上流階級で、自らの社会的地位を表す象徴として旅行時や従軍時にも容易に持ち運びができることを特に重要視していた。
ヨルダーンスが依頼主をタペストリに表現した手法は多岐に渡り、ギリシア・ローマ神話、田園生活、カール大帝の生涯など、様々なモチーフに仮託して依頼主をタペストリの登場人物として描き出した。ヨルダーンスのタペストリデザインには多くの人物肖像がぎっしりと描きこまれていることが特徴で、その二次元的平面描写がタペストリに仕上がったときには表面の織柄を際立たせる役割を果たし、「織物絵画」ともいえるような効果となって表れている。ヨルダーンスが自身の風俗画にも好んで描いた画面いっぱいの多くの人物肖像を、タペストリのデザインにも持ち込んだのである。
タペストリの下絵として描かれた『台所の情景 (Interior of a Kitchen )』がヨルダーンスのタペストリ製作過程の好例となっている。茶色のインクが用いられ、テーブル上の食材は黒のパステルで輪郭が描かれ、さらに顔料が塗布されている。そして人物肖像は最後に描きいれられている。最終的に完成したタペストリのデザインは下絵の『台所の情景』から変更されているが、この下絵の構成要素をもとにした静物画を17世紀のアントウェルペンの画家フランス・スナイデルスが描いた。スナイデルすの静物画は、『台所の情景』に非常に忠実に再現している。
ドローイング
フランドル派画家としてのヨルダーンスの立場は、ルーベンスやヴァン・ダイクの「特徴的な」作風の支持者であり、そのことはヨルダーンスが描いた非常に多くの習作、下絵のドローイングにあらわれている。ヨルダーンスならびに同時代のフランドルの画家たちは、より大きな絵画を描く前の準備、あるいは古代美術の理想を習得するために下準備として習作や下絵を何度も描くという、フランドル派芸術家たちが継承してきた伝統の信奉者だった。ヨルダーンスが描いた現存しているドローイングはおよそ450点といわれているが、研究家のなかには画家の特定に疑義を唱えているものもいる。絵画技術の専門家としてのヨルダーンスはガッシュ、水彩を用いてドローイングを描いている。ドローイングに用いる紙は非常に節約して使用しており、紙をつぎはぎして使用することもあった。
『四月の寓意』
『四月の寓意』と呼ばれているドローイングに何が描かれているのかは長期にわたって議論となっている。雄牛の背に乗る裸婦というモチーフはエウロパの略奪を意味していると考えられる。エウロペの略奪はローマ神話のエピソードで、裸身のエウローペーと雄牛に身を変えたユーピテルが絵画作品によく用いられているテーマとなっている。そのほかの主張として、このドローイングは4月を意味する寓意が多数描かれているとするものがある。たとえば雄牛は黄道十二宮で春を意味する金牛宮、花束を握りしめた裸婦像は春の女神フロラ、フローラの周りに描かれている人物たちは豊穣神ケレースとワインの神バックス (ローマ神話)の師シーレーノスたちであるとする意見である。
出典
参考文献
- An elaborate work on this painter, "Jordaens' leven en werken" ("Jordaens' Life and Work") by Max Rooses, was published in 1906.
- d'Hulst, R.A: ”Jordaens, Jacob” The Oxford Companion to Western Art. Ed. Hugh Brigstocke. Oxford University Press, 2001. Gove Art Online. Oxford University Press, 2005. [20 Oct 2007]. http://www.groveart.com
- d'Hulst, Roger Adolf, Nora de Poorter, and M. Vandenven. 'Jacob Jordaens, 1593-1678 Antwerp, Koninklijk Museum Voor Schone Kunsten, 27 March-27 June 1993 : Catalogue. Gemeentekrediet, 1993.
- Nelson, Kristi. Jacob Jordaens Design for Tapestry. Brepols, 1998.
- Aesop, "The Man and the Satyr" <http://www.fordham.edu/Halsall/ancient/aesop-fables.html>
- Bielefeld, Erwin. "Jordaens' 'Night Vision.'" Journal of the Warburg and Courtauld Institutes, Vol. 23, No. 1/2. (Jan.-Jun. 1960), pp. 177–178.
- Held, Julius S. "Jordaens' 'Allegory of April'" Master Drawings, Vol. 19, No. 4. (Winter 1981), pp. 443–444, 486-487.
- Westermann, Mariet. "A Worldly Art: The Dutch Republic 1585-1718."
- Rooses, Max. Jacob Jordaens. London: J.M. Dent & Co., 1908.
- Filippo Baldinucci's Artists in biographies by Filippo Baldinucci, 1610-1670, p. 197 Google books
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