中国の学者。1877年浙江省海寧県に生まれる。
上海の東文学社を経て1901年日本に渡り、東京物理学校に入学したが翌年に病気のため帰国して教職に就いた。ニーチェなどに影響を受け、西洋哲学や中国劇文学を研究した。1911年辛亥革命が起きると日本に亡命。ともに亡命した羅振玉から清朝考証学を学ぶ。木簡・金文・甲骨文などを研究、とくに殷代の甲骨文研究など古代の研究に成果をあげた。1916年帰国して上海倉聖明智大や清華研究所の教授となる。清朝の遺臣を自認したが、1927年溥儀の北京追放に絶望して昆明湖に入水自殺した。
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[王国維 人物情報]
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王国維(おう こくい)は清中華民国の学者。研究領域は文学・美学・史学・哲学・考古学に及び、「新学術」の開拓者とされる。亀甲獣骨文字の研究では羅振玉・董作賓・郭沫若とともに「甲骨四堂」と称される。字は静安または伯隅、号は観堂。
生涯
1882年から私塾で学び、1893年に秀才 (科挙)となる。1899年、上海市の「時務報」に勤務し、羅振玉の東文学社で外国語と化学・物理学を学び、西洋の学問に触れるようになった。1901年、日本の東京物理学校(東京理科大学の前身)に留学したが、病のため翌年に帰国した。1903年から通州師範学堂と江蘇師範学堂で哲学・心理学などを講義するようになり、『紅楼夢評論』などの哲学・美学論文を多数発表した。これらは1905年に『静庵文集』として出版された。1907年、北京市に行き学部図書館編訳・名詞館協修に任命された。この間に『人間詞話』『宋元戯曲考』を著している。1911年、辛亥革命がおこると日本に逃れた。
1916年、帰国して上海の倉聖明智大学の教授となり、『浙江通志』の編纂にも参加している。1917年には『殷周制度論』を著した。1923年、愛新覚羅溥儀に招かれ「南書房行走」に就任した。1925年、清華大学国学研究院教授となり、経学・史学を講義し、漢や魏の石刻文や古代の西北地理やモンゴル史料を研究した。梁啓超・陳寅恪・趙元任とともに清華大学の「四大導師」と称された。
1927年、頤和園の昆明池で入水自殺。理由についてはさまざまな説がある。
著書
- 『海寧王静安先生遺書』
- 『紅楼夢評論』
- 『宋元戯曲考』
- 『人間詞話』
- 『観堂集林』
- 『古史新証』
- 『曲録』
- 『殷周制度論』
- 『簡牘検署攷』(1912年)
- 『中国の書論#流沙墜簡』(1914年、羅振玉共著)
関連項目
- 中国の書論
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