フアン・ラモン・ヒメネス

ヒメネス
Jiménez, Juan Ramón
1881年12月23日~1958年05月29日
[スペイン] [詩歌]

[フアン・ラモン・ヒメネス 人物情報]

20世紀スペインを代表する詩人。1881年バレンシア近郊のモゲールに生まれる。セビーリャ大学在学中から本格的に詩作をはじめた。マドリードでニカラグアの詩人ルーベン・ダリオと出会い、フランス象徴主義に影響を受けて音楽的で色彩豊かな詩を書いた。
スペイン内乱が勃発するとアメリカに亡命し、プエルトリコに移住した。1956年ノーベル文学賞受賞。代表作は『哀しいアリア』『プラテーロと私』『石と空』など。

Wikipediaの人物情報

フアン・ラモン・ヒメネス(Juan Ramón Jiménez MantecónMantecónは母の12月24日 - 1958年5月29日)はスペインの詩人。彼が近代詩で成し遂げた最も大きな業績は、純粋詩の確立である。1956年にノーベル文学賞を受賞した。フワン・ラモーン・ヒメーネスとも。

伝記

ヒメネスは、)という町で、父ビクトル・ヒメネス、母マリア・プラ・マンテコンの第4子・次男として生まれた。彼は家業を継ぐために)に誘われて)』を執筆する。1911年、健康を回復してマドリードに戻り、文学者活動をさらに旺盛に進める。

)と結婚し、アメリカ合衆国を旅行する。彼女は、ラビンドラナート・タゴールの翻訳者として著名でもある。これより以後、韻律を廃した自由詩“純粋詩”の確立へと向かう。

1936年、スペイン内戦が勃発すると、夫妻はキューバ、アメリカに逃れた。1946年、ヒメネスが心臓病を患い、妻セノビアと関係の深いプエルトリコに落ち着いた。ヒメネスは後にメリーランド大学カレッジパーク校の、スペイン語とスペイン文学の教授となった。1951年以降、プエルトリコに定住する。1956年、彼はノーベル文学賞を受賞したが、3日後、その報せが届いた日に妻が子宮癌で死去した。彼自身は2年後の1958年5月29日、妻と同じ病院で亡くなり、妻とともに故郷モゲールに葬られた。

彼の作品中、故郷での静養の間、常に彼を背中に乗せて歩いた愛ロバ・プラテーロや故郷の風景、様々な人々との交流を描いた『プラテーロとわたし』が世界的にも最も有名である。また妻と共同でアイルランドの作家の戯曲の翻訳なども手がけた。彼は存命中、莫大な数の詩を発表し、詩集になったものだけでも40余冊を数える。

略歴

  • )に生まれる。
  • 1887年、地元のサン・ホセ学院に入学。
  • 1893年、カディス県のプエルト・デ・サンタ・マリア学院に入学。
  • 1896年、セビリア大学に入学、法律を学ぶとともに、詩に傾倒する。
  • )に誘われマドリードを訪れ、文学サークルの一員となり、ルベン・ダリオに出会い、その強い影響でモデルニスモ文学に傾倒する。7月、父ビクトル急死、衝撃を受け精神に不調を来す。
  • 1901年、フランスの精神療養施設に入所、その期間にフランス詩の知識を深める。同年末、マドリードの療養施設に移る。療養生活中にもモデルニスモ詩人たちと交流を続け、詩作を続ける。
  • 1905年、モゲールに帰郷、静養を続けるが、この間、詩作も続けた。
この時の経験を元に『プラテーロとわたし』(縮約版1914、完全版1917)を執筆する。
  • 1911年、健康を回復し、マドリードに戻り、さらに旺盛な活動を開始。
  • )と知り合い、恋愛関係となる。
  • 1916年1月末、ニューヨーク滞在中のセノビアの許へ発ち、3月2日、同市にて挙式、そのままアメリカ合衆国東部を旅行し、6月7日帰国、マドリードに新居を構える。
    • 以後、純粋詩の確立へと向かい、1920年代にはスペイン近代抒情詩の全盛時代において詩壇の中心的人物となる。
  • 1936年7月、スペイン内戦が勃発、スペイン共和国政府のワシントン駐在名誉文化担当官として妻を伴い出国。以後、アメリカ・プエルトリコ・キューバなどで活動を続ける。
  • 1951年、これより後、妻セノビアの故郷であるプエルトリコに定住。
  • 1956年10月25日、ノーベル文学賞受賞。当時、妻セノビアは病床にあり、その報せが届いた10月28日に没した。
  • 1958年5月29日没。遺骸は妻と共に故郷モゲールに送られ、6月6日埋葬。

作品

岩波文庫に先述の『プラテーロとわたし』(2001、ISBN 4-00-327331-1)が、長南実による訳で収められている。

また、彌生書房の〈世界の詩〉シリーズに、彼の詩作を概観する伊藤武好・伊藤百合子共訳の『ヒメネス詩集』が収められている。

注釈

参考文献

  • 伊藤武好・伊藤百合子訳 『ヒメネス詩集』 彌生書房〈世界の詩〉、1968年、ISBN 4-8415-0206-8。
  • 篠田一士ほか編 『集英社 世界文学大事典』3 集英社、1997年、ISBN 4-08-143003-9、594頁。
  • 長南実訳 『プラテーロとわたし』 岩波書店〈岩波文庫〉、2001年、ISBN 4-00-327331-1。

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