スウェーデンの画家。1853年ストックホルムに生まれる。
貧しい家庭に生まれたが、早くに絵画の才能を認められて、13歳で王立美術学校の予備課程に入学した。卒業後、パリに出るが成功を得られず、帰国。
アール・ヌーヴォーや日本の木版画、ネオ・ロココ美術などを組み合わせた、明るい色彩の線描様式の作品を残し、スウェーデンの国民的画家となった。
代表作は画集「わたしの家」など。
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カール・ラーション |
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[カール・ラーション 人物情報]
Wikipediaの人物情報
所蔵。)カール・ラーション(Carl Larsson、1853年5月28日 - 1919年1月22日)は、スウェーデンの画家。油彩・水彩ともに多数の作品を残し、フランス印象派の画家に多大な影響を与えたとされる。自身の家族を題材として当時の中流階級の日常生活風景の作品を数多く残し、その情景から溢れ出す幸福感が人々の共感を呼び、大いに人気を集めた『水彩画の歴史』。。
人物
ラーションは1853年、スウェーデンのストックホルム旧市街のガムラスタンで生まれた。家庭は貧しく、救貧学校に通う。小学校に入ると、担任教師がラーションの絵の才能を評価し、王立美術学校予備課程への入学を申し込んでくれたため、1866年に予備課程に入学「カール・ラーション年譜」『カール・ラーション展』228-235頁。。同級生には)、ペール・エークストレム、ヒューゴ・ビルイェルが、指導教授には風景画家のグスタヴ・ヴィルヘルム・パルムらがいた。初級課程(古典課程)、第2課程(モデルスクラン:モデル素描)、油彩課程と進み、その間の作品は学校よりたびたび表彰された。
ラーションは生活のため、1971年から写真の修整の仕事をし、風刺雑誌『カスペル』の挿絵を描いていた。1875年からは『新絵入新聞』の記事の挿絵をはじめ書籍や雑誌の仕事も請けるようになった。1876年に)の『シンゴアッラ物語』、1877年に)と)の『)の『軍医物語』、1881年に作家ヨハン・アウグスト・ストリンドベリの『スウェーデン人の日常生活』の挿絵を描いた。のちに国立美術館のフレスコ画を手がけるようになってからも、1892年出版のフリードリヒ・フォン・シラーの戯曲『陰謀と愛』の挿絵を描いている。
1877年には)に移る。ここでラーションの芸術は転機を迎えた。彼は作品に外光主義の写実主義を取り入れ、水彩画の上に自然の光を再現した。グレーで描いた水彩画は前年の作品と比較すれば見違えるような発展を遂げ、その表現がストックホルムで高く評価された「概説」22頁。。また、彼のそれまでの作品はサロン・ド・パリで2度も落選していたが、翌年に出品した水彩画は2点とも入選し、スウェーデンの富豪ポントゥス・フュシュテンベリーに購入された。秋にはさらに2点の水彩画がストックホルムにあるスウェーデン国立美術館に購入され、翌年にはフランス政府にも水彩画1点が購入された。フュシュテンベリーはやがてラーションのパトロンそして友人となった。
パリ滞在中のラーションは、この時期のフランスに入ってきていた日本の美術に親しんでいたとされている。フランスにはジャポニザン(日本美術愛好家)が多く、ラーションと彼らとの出会いもあった。美術商の林忠正はフランスに浮世絵を多数輸出しており、1884年からはパリに店も開いており、もしかすれば林の店によってラーションが浮世絵に親しむことは可能であった。また、ジャポニスムがスウェーデン美術に入ってきたのは1880年代とされる。この頃の先進的な画家の多くは、これ以前またはこの後に日本美術の影響を受けたといわれているグンナションによると、スウェーデンで最も早く「ジャポニスト」の要素を受け入れた画家の1人としてはカール・ヌードストロームがいる。またブルーノ・リリエフォシュも日本美術から強い感化を受けたとする。ニルス・キュレーゲルはフィンセント・ファン・ゴッホのスケッチを研究したが、そのスケッチのルーツは葛飾北斎の作品であった。(「カール・ラーションのジャポニスムと - 」170-171頁)。ラーションは1895年刊行の『私の家族』において「日本は芸術家としての私の故郷である」と述べた。彼の作品は、構図や線描様式に日本の木版画からの影響がみられる。線描でえがかれる輪郭や色面は、1899年刊行の画集『わたしの家』において、当時流行していたアール・ヌーヴォー(注:スウェーデンではドイツ語で「ユーゲント」と呼ばれた)の実例とみなされた。線描装飾を進めていたヨーロッパ美術からの影響もあったと考えられるが、『わたしの家』シリーズの中で最も初期(1890年頃)に描かれた水彩画『アトリエ』では、初期作品やグレー村時代の作品とは明らかに異なる線描様式が完成している。それはアール・ヌーヴォーの台頭に数年先立つものであり、のちにラーションの様式はスウェーデンでのジャポニスムの事例だとされるようになる。やがて彼と家族が暮らす家には、彼が蒐集した浮世絵、屏風、陶磁器、日本人形、地蔵菩薩といった日本の美術品が飾られることとなる。
1882年の秋、グレー村にいたラーションは、1879年のスウェーデンで初めて会った女流画家のカーリン・ラーションと婚約し、スウェーデンに戻った1883年に結婚した。長女スザンヌが生まれたのは1884年にグレーに移ってからである。夫妻は7人の子宝に恵まれた。1887年には長男ウルフが生まれた(1905年に夭折)。1888年に次男ポントゥス、1891年に次女リスベス、1893年に三女ブリータ、)- 『スサンヌともう2人』(1901年)
- 『18歳』(1902年)
- 『夏の終わり 湖畔のカーリン』(1908年)
- 『グスタヴ・ヴァーサのストックホルム入城』(1908年)
- 『冬至の生贄』(1915年)
出版物
- 『Ett hem』(画集。「わたしの家」1897年)
- 日本語訳:ウィルヘルム菊江編『わたしの家』カール・ラーション画、講談社、1985年、ISBN 978-4-06-202422-8
- 『Larssons』(画集。「ラーション家の人々」1902年)
- 『Spadarvet』(画集。「スパーダルヴェト」1906年)
- 『Das Haus in der Sonne』(画集、ドイツで発行。「太陽の中の家」1909年)
- 『Åt solsidan』(画集。「日向に」1910年)
- 『Andras barn』(画集。「他家の子どもたち」1913年)
- 『Jag』(自叙伝。「私」の意。1931年)
画集『わたしの家』より
参考文献
読書案内
外部リンク
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