ドイツの詩人・評論家。弟は哲学者・評論家のフリードリヒ・シュレーゲル。
1767年牧師の子としてハノーファーに生まれる。ゲッティンゲン大学で古典文献学を研究。シラーの雑誌「ホ−レン」の同人となり、文芸批評家として活躍をはじめる。1796年イエナ大学教授に就任。1798年弟やノヴァーリスらと雑誌「アテネーウム」を創刊。初期ロマン主義運動を展開し、初期ロマン主義の確立に貢献した。
その後、ベルリン大学やボン大学で教鞭をとる傍ら、著作活動をおこなった。妻カロリーネとともに取り組んだシェイクスピアの独語訳や、東洋学・インド言語学の基礎を築いた業績が大きい。
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アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルシュレーゲル |
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[アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル 人物情報]
Wikipediaの人物情報
アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル(1767年9月8日 - 1845年5月12日)は、ドイツの文学者・翻訳家・文献学者・評論家。多言語に通じており、各国語の文学作品の翻訳を行う(特にシェイクスピアの翻訳は、有名)。またdarsana(ダルシャナ、インド哲学)を研究し、ヨーロッパへの東洋思想の移入に功績があった。
年譜
- 1767年9月8日、プロイセン王国、ハノーファーでルーテル教会牧師の子として生まれた。
- 1772年3月10日、弟のフリードリヒ・シュレーゲル誕生、弟はロマン主義の文学の中心的人物として知られ、2人でシュレーゲル兄弟と呼ばれる。シュレーゲル兄弟は、ロマン主義の哲学者として知られ雑誌「アテネーウム」の編集長を務めた。
- ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲンで学ぶ。
- 大学卒業後、アムステルダムの銀行家の息子の家庭教師として生活していたが、活動の場を求めてイェーナへ。当地は、フリードリヒ・フォン・シラーやフィヒテなど当時のドイツ精神を代表する人物がイェナ大学教鞭を取っていたところであった。
- 1796年にカロリーネ・シェリングと結婚。
- 1798年にはイェナ大学員外教授に就任。ルートヴィヒ・ティークの娘、ドローテアとヴォルフ・ハインリヒ・グラーフ・フォン・バウディシンらの監督の下、シェイクスピアの翻訳にあたる。この翻訳は、とても詩的な翻訳であった。シラーが主宰していた文芸雑誌「ムーゼンアルマナハ」に寄稿したり、弟と「アテネーウム」を主宰したり、詩集を刊行したりと多彩な文芸活動を展開。ドイツロマン主義の始祖として活躍した。また、ドイツのシェイクスピアと呼ばれたドイツの劇作家・アウグスト・コッツェブとの論争があった。
- 1802年には文学活動の場を求めて、ベルリンへ。当地で美学(芸術)と文学について講義を行った。その後古代ギリシアの詩人エウリピデスのスタイルを模した「イオン」を出版、劇的な詩のあり方を示す。さらに、スペインの劇作家、カルデロンの翻訳を行なったほか、イタリアやスペインやポルトガル語の叙情詩の翻訳「イタリア、スペイン、ポルトガルの詩の花束」(1804年 - 1809年)を出版した。
- 1807年に彼は、フランス文学論にも言及。ロマン主義の立場からフランス古典主義批判を行った。この頃に「劇的芸術と文学を出版。
- 1804年にカロリーネと離婚。(ちなみにその後カロリーネはイェナ大学哲学教授フリードリヒ・シェリングと結婚している)その後の同時代のフランスの作家アンヌ・ルイーズ・ジェルメーヌ・ド・スタール(スタール夫人)と共に、各地へ旅行する。
- 1813年スウェーデン国王カール13世 (スウェーデン王)の秘書として活躍。
- 1818年にはライン・フリードリヒ・ヴィルヘルム大学ボン教授として文学と美学を講義。バガヴァッド・ギーターのラテン語訳などインド思想の移入に多大に貢献した。これらは、ドイツにおけるサンスクリット研究の流れを作っていくことになる。スタール夫人の没後、パウルスの娘と再婚している。その後も、ボンで教鞭をとり、教え子に詩人のハインリッヒ・ハイネなどがいる。
- 1845年5月12日に当地で没。
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