運慶

ウンケイ
Unkei
1148年~1224年01月03日
[日本] [彫刻]

[運慶 人物情報]

鎌倉時代の、奈良・興福寺を拠点に活動していた慶派の仏師。鎌倉彫刻といわれる様式を確立させた第一人者。運慶の父であり師でもあった康慶も、興福寺南円堂本尊の不空羂索観音像(現存)の製作で知られる大仏師。
写実的で豪快な作風で知られ、量感のある剛健な体躯、表情、変化に富んだ衣文などに特色があります。現存する最古の作は奈良・円成寺の大日如来像で、時代区分的には平安末期にあたる1176年、20代後半の作だそうです。現存する代表作は1203年造立の東大寺南大門金剛力士(仁王)像(高さ8.4メートル、重さ約6トン、世界最大の木造仁王像)で、12人の仏師を統率し、2ヶ月で作り上げました。

Wikipediaの人物情報

運慶(うんけい、生年不詳 - 貞応2年12月11日 (旧暦)(1224年1月3日))は、平安時代末期、鎌倉時代初期に活動した仏師。

経歴

出生

運慶は、奈良市・興福寺を拠点に活動していた奈良仏師康慶の子である。長男湛慶が承安3年(1173年)生まれであることが、京都市・妙法院蓮華王院本堂(三十三間堂)本尊の台座銘から知られ、運慶は12世紀半ば頃の生まれと推測される。

興福寺再興事業への参加

運慶の現存最古作は、安元2年(1176年)に完成した奈良・円成寺の大日如来像である。寿永2年(1183年)には、以前から計画していた法華経の書写を完成した。この法華経は現在「運慶願経」と呼ばれている(京都・真正極楽寺蔵および個人蔵、国宝)。経の奥書には、後に仏師として活躍することの知られる者を含む、名に「慶」字を用いる結縁者名が記されており、一門をあげての写経だったことがわかる。

治承4年(1180年)に平家の兵火により、奈良の東大寺・興福寺が焼亡する。興福寺の再興造像は、円派、院派と呼ばれる京都仏師と、康慶・運慶らの属する奈良仏師とが分担した。当時の中央造仏界での勢力にしたがい、円派・院派のほうが金堂・講堂のような主要堂塔の造像を担当することとなり、奈良仏師では康慶が南円堂の本尊を担当し、本家筋にあたる成朝は食堂の本尊を担当することとなった。

鎌倉幕府への接近

成朝は、なぜか食堂本尊の造像に専念せず、文治元年(1185年)に源頼朝の勝長寿院本尊阿弥陀如来像を造るため鎌倉に下向した。一方、運慶は文治2年(1186年)正月に興福寺西金堂本尊釈迦如来像を完成したあと、成朝の動向に連続するかのように、鎌倉幕府関係の仕事を開始する。その年5月3日には、北条時政発願の静岡県伊豆の国市・願成就院の阿弥陀如来像、不動明王及び二童子像、毘沙門天像を造り始めている。またその3年後、文治5年(1189年)には、和田義盛発願の神奈川県横須賀市・浄楽寺の阿弥陀三尊像、不動明王像、毘沙門天像を造っている。

東大寺での仕事

建久7年(1196年)康慶の主導で、快慶、定覚らとともに東大寺大仏の両脇侍像(観世音菩薩、虚空蔵菩薩)と四天王像の造立という大仕事に携わるが、これらの像はその後大仏殿とともに焼失して現存しない。(うち、四天王像は模刻像が海住山寺、金剛峰寺などに現存する。)現存する大作としては建仁3年(1203年)造立の東大寺南大門金剛力士(仁王)像を挙げねばならない。造高8メートルに及ぶこれらの巨像は、平成の解体修理の結果、像内納入文書から運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)が小仏師多数を率いてわずか2か月で造立したものであることがあらためて裏付けられ、運慶が制作の総指揮にあたったものと考えられている。この功績により、同年の東大寺総供養の際、仏師として極位である法印を受けた。

承元2年(1208年)から建暦2年(1212年)にかけては、一門の仏師を率いて、興福寺北円堂の本尊弥勒仏坐像と、無著・世親像を造っている。殊に無著・世親像は肖像彫刻として日本彫刻史上屈指の名作に数えられている。

最晩年の運慶の仕事は、源実朝・北条政子・北条義時など、鎌倉幕府要人の関係に限られている。その中で、建保4年(1216)には、実朝の養育係であった大弐局 (加賀美氏)が発願した、神奈川・称名寺光明院に現存する大威徳明王像を大日如来像、愛染明王像と共に造った。

作風

平安後期に都でもてはやされた定朝様(じょうちょうよう)の仏像は、浅く平行して流れる衣文、円満で穏やかな表情、浅い肉付けに特色があり、平安貴族の好みを反映したものであった。対して運慶の作風は、男性的な力強い表情が特徴的。これは、武士の気風を反映している。また、様々な変化をつけた衣文、量感に富む力強い体躯なども特色として挙げられる。

作品

運慶の作と称されている仏像は日本各地にきわめて多い(特に仁王像に多い)が、銘記、像内納入品、信頼できる史料等から運慶の真作と確認されている作品は少ない。以下は国宝・重要文化財指定名称に運慶の関与が明記され、運慶ないし運慶工房の真作として学界にほぼ異論のないものである。
  • 奈良・円成寺 大日如来坐像(国宝) - 安元2年(1176年)10月。台座内部に運慶自著と思われる墨書銘があり、これに拠り運慶は本像を11ヶ月かけて制作し、仏像本体の代金として上品8丈の絹43疋を賜ったことがわかる。当時この仏像のような等身大の像の制作期間は凡そ3ヶ月程度とされ、それよりも遥かに長い日数をかけて造仏していることから、運慶が他の仏師の助力を得ず独力で制作したと考えられる。仏像を作った仏師自らが名を記した最初の例としても貴重である。この銘文は大正10年(1921年)に発見され、近代的な運慶研究の端緒となった。
  • 静岡・願成就院 阿弥陀如来坐像、不動明王及び二童子立像、毘沙門天立像(重要文化財) - 文治2年(1186年)
  • 神奈川・浄楽寺 阿弥陀三尊像、不動明王立像、毘沙門天立像(重要文化財) - 文治5年(1189年)
  • 奈良・東大寺南大門 金剛力士立像(国宝) - 建仁3年(1203年)。運慶が中心となり、快慶、定覚、湛慶ら一門の仏師を率いて制作。
  • 奈良・興福寺北円堂 弥勒仏坐像(国宝) - 建暦2年(1212年)。運慶の指導のもと源慶らが制作。
  • 奈良・興福寺北円堂 無著菩薩・世親菩薩立像(国宝) - 建暦2年(1212年)。運慶の指導のもと五男運賀、六男運助らが制作。
  • 神奈川・称名寺 (横浜市)光明院 大威徳明王像(重要文化財) - 建保4年(1216年)

運慶作と推定される作品

作風、納入品、伝来などから運慶ないし運慶工房作であることが強く推定される作品として次のものがある。
  • 奈良・興福寺 木造仏頭(重要文化財) - 文治2年(1186年)。興福寺西金堂(廃絶)旧本尊・釈迦如来像頭部、仏手、光背化仏。『類聚世要抄』。
  • 和歌山・金剛峯寺 八大童子立像(国宝)-建久8年(1197年)。『高野春秋』。ただし、8体のうち2体は南北朝時代の補作と考えられる。
  • 京都・六波羅蜜寺 地蔵菩薩坐像(重要文化財)
  • 栃木・光得寺 大日如来坐像(重要文化財)-建久10年(1199年)以前。
  • 愛知・滝山寺 聖観音菩薩・梵天・帝釈天立像(重要文化財)-正治3年(1201年)
  • 東京・宗教法人真如苑蔵 大日如来坐像(重要文化財)-建久4年(1193年)。 - もと個人蔵で、2008年3月にクリスティーズ社のオークションに出品され、真如苑が三越に依頼して1,280万ドル(約12億5千万円)で入手した。現在は東京国立博物館に寄託されている。『鑁阿寺樺崎縁起并仏事次第』に見える、樺崎寺安置の厨子に建久4年(1193年)銘のあった大日如来像に当たるもので、その作風やX線写真によって知られる像内納入品の状況から運慶作品と推定する説がある。。

運慶作とする説がある作品

  • 奈良・東大寺俊乗堂 俊乗上人(俊乗房重源)坐像(国宝) -建永元年(1206年)。造像に関する直接の史料がないが、「元亨釈書」などの後世の資料やその作風から運慶の作とする見方がある。
  • 奈良・興福寺南円堂 四天王立像(国宝)-建暦2年(1212年)。本来の安置堂宇について諸説があるが、興福寺北円堂の旧像とする説がある。とすれば、運慶指揮下に運慶子息4人が分担して(持国天-湛慶、増長天-康運、広目天-康弁、多聞天-康勝)制作した像に該当することになる。
  • 神奈川・瀬戸神社 舞楽面(重要文化財)-建保7年(1219年)頃。社伝では源頼朝または源実朝の所要で、北条正子の寄進とされる。裏面に運慶作の追銘があり、作風は運慶に極めて近い。
  • 「【特別展】神奈川県立金沢文庫80年 運慶 中世密教と鎌倉幕府」神奈川県立金沢文庫2011年

脚注

関連項目

  • 快慶
  • 湛慶
  • 重源
  • 行勝
  • 文覚
  • 大仏殿様四天王-東大寺大仏殿像の模刻像が運慶工房ないし運慶の周辺仏師によって製作された。
  • 覚園寺様十二神将-運慶作大倉薬師堂像の模刻である覚園寺像の模刻が運慶工房ないし運慶の周辺仏師によって製作された。
1148年生まれの人物
運慶 /

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