Mitchell, Margaret Munnerlyn

マーガレット・ミッチェル

ミッチェル
Mitchell, Margaret Munnerlyn
1900年11月08日~1949年08月16日
[アメリカ] [作家]

[マーガレット・ミッチェル 人物情報]

代表作「風と共に去りぬ」で知られるアメリカ合衆国の作家。ジョージア州アトランタで生まれました。1918年にワシントン女学院を卒業し、その後医学を志してスミス・カレッジに入学しましたが、母親の死亡により断念することになりました。アトランタへ戻り、アトランタ・ジャーナルに入社して日曜版のコラムの執筆担当者となりました。「風と共に去りぬ」は、くるぶしの骨折で寝たきり生活を送っていた1926年に書き始めたと伝えられていますが、最終章から執筆しているうちに創作意欲を失い、ついに第一章は書かれないままであったといいます。1949年8月11日の夜、夫のジョン・マーシュとアトランタのアーツ劇場に行く途中、ピーチツリー街を横断時にタクシーにはねられ、すぐにグレーディ病院に運ばれましたが、傷が元で5日後に死去しました。

Wikipediaの人物情報

マーガレット・マナーリン・ミッチェル(Margaret Munnerlyn Mitchell、1900年11月8日 - 1949年8月16日)は、アメリカ合衆国の小説家。長編小説『風と共に去りぬ』で知られる。

生い立ち

ミッチェルはジョージア州アトランタで生まれた。彼女の幼年期は南北戦争を生き抜いた母方の親類の影響を大きく受けた。彼らは戦争に関する全て - アメリカ連合国支持者が全てを失ったことを除いて - を彼女に伝えた。彼女が全てを知ったのは10歳のときであった。

彼女は1918年にワシントン女学院を卒業し、その後医学を志しスミス女子大学に入学する。しかしながら1919年1月に母親がその年流行したインフルエンザで死去し、ミッチェルは学業をあきらめアトランタへ戻った。この出来事は『風と共に去りぬ』でスカーレットの母親が腸チフスで死去し、タラ・プランテーションへ戻る場面の元となった。彼女はアトランタで『アトランタ・ジャーナル』に入社し、日曜版のコラム執筆者となった。1922年に彼女はベリアン・「レッド」・アップショーと結婚する。しかしながらレッドは酒の密売人であり、彼らは間もなく離婚する。彼女は1925年7月4日にアップショーの友人であったジョン・マーシュと再婚する。

『風と共に去りぬ』出版に至るまで

ミッチェルはくるぶしの骨折で寝たきり生活を送っていた1926年、『風と共に去りぬ』を書きはじめたと伝えられている。夫のジョン・マーシュは彼女の気晴らしにと図書館から歴史書を借りてくるのだったが、あるとき「ねえ、そんなに本が好きなら、今度は自分で書いてみたら?」と言った。南北戦争の豊富な知識を持っていた彼女は、それを背景として自分の人生体験を叙事詩に綴っていった。執筆には旧式のレミントン・タイプライターが使われた。当初、主人公の名前はパンジー・オハラであり、オハラ家の領地であるタラはフォントノイ・ホールと呼ばれていた。

マーシュの協力的な姿勢も手伝って、ミッチェルは療養中の楽しみを創作に見出した。彼女は最終章から書き出し、章を飛び飛びに書き進めるなど、独特な執筆手法を取っていた。ときどき、夫に原稿を読んでもらっていたものの、山積みになった原稿にタオルで覆いをしたり、戸棚やベッドの下に置いて、他人の目には触れないようにしていた。1929年にはくるぶしは完治し、小説もほぼ完成していたが、彼女自身は創作活動への意欲を失っていた。

1935年、アトランタの一主婦として生きていた女性の運命を一変させる出来事があった。当時、南部地域で有望な作家を探していたマクミランの編集者、ハワード・ラザムがミッチェルのもとを訪れたのである。ラザムの同僚が2人の共通の友人であり、ミッチェルにアトランタを案内してもらう予定であった。すっかり彼女に惹かれたラザムは、これまでに何か書いたものはないかと尋ねた。彼女は困惑した。かつて新聞社に勤め、プロの書き手の意識を持っていた彼女にとって、出来損ないの古い原稿を編集者に見せるなど、思いも寄らないことであった。それでもラザムは「もし何か書いたら最初に読ませてください」と懇願するのだった。後日、この話を友人にしたところ、「あなたが本を書くなんてあり得ない話よね」と笑われ、腹を立てた彼女は、自宅に帰るとボロボロの封筒から古い原稿を引っ張り出した。The Georgian Terrace Hotelに着いたときには、ラザムはちょうどアトランタを発つために荷造りをしていた。「原稿があるわ―気が変わらないうちに持って行って」。

この原稿は小柄な作家の背の高さ以上の分量があったため、ラザムはスーツケースを新たに買い足さなければならなかった。後になってミッチェルは自分の大胆な行動を振り返り、背筋が寒くなる思いがした。そこで「気が変わりました。原稿は送り返してください」と書いた電報を送ったが、ラザムは原稿を読んで、未完成で荒削りな部分はあるが大ベストセラーになる作品だと確信していた。彼女は原稿の代わりに、小説の出版を熱望するラザムの手紙を受け取り、続いてマクミランから稿料の前渡し分を受け取った。小説は1936年に完成したが、彼女は最後まで第1章を書かなかった。

6月30日、『風と共に去りぬ』は出版され、3年後にはデビッド・O・セルズニックによって映画化された。1939年12月15日、アトランタでプレミア上映会が開かれている。

彼女は1949年8月11日の晩、マーシュとアトランタのアーツ劇場に行く途中、ピーチツリー街を横断時にヒュー・グラビットという非番のタクシー運転手にはねられた。彼女はすぐに市内のグレーディ記念病院に運ばれたが、この事故の際の傷が元で5日後に死去した。グラビットは飲酒運転であり、過失致死で有罪となり、40年の重労働が宣告された。

グラビットはタクシー運転手だが、当日は非番で自家用車を運転していたのであり、ミッチェルはタクシーにはねられたのではない。しかし報道はこれをタクシー事故として煽りたて、ジョージア州のハーマン・タルマッジ知事(当時)は、以後タクシー運転手の認可規制強化を発表するまでに至っている。

この事故の目撃者は、ミッチェルが確認せずに道に飛び出したと証言しており、彼女の友人は彼女がしばしばそのような振る舞いをしたとしたため、運転手の有罪についてはいまだ論争となっている。

マーガレット・ミッチェルはアトランタのに埋葬された。生涯で発表した作品は『風と共に去りぬ』のみで、彼女の遺志により未発表の原稿は破棄されたと言われる。

ミッチェルが執筆当時住んでいた家はアトランタの中心部にあり、今日ではThe Margaret Mitchell Houseとして観光名所となっている。アトランタの数マイル北のジョージア州マリエッタには小説と映画を対象にした博物館、Scarlett On the Squareがある。撮影に使われた衣装や台本など、多くの関連物を展示しており、マーガレット・ミッチェル自身が収集した『風と共に去りぬ』の外国語版も陳列されている。

このほか、The Road to Tara博物館がクレイトン・カウンティー(アトランタの南にあり映画ではタラのロケ地となった)、ジョーンズボロの商業地区にある。

著作文献

  • 『風と共に去りぬ』 - Gone With the Wind 大久保康雄・竹内道之助訳で新潮文庫全5巻 
他には単行本で河出書房新社全3巻がある。なお元版は三笠書房
  ※以下は全て版元品切、ないし絶版である。
  • 『ロスト・レイセン』 - Lost Laysen 
 デブラ・フリアー編 、講談社 1996年 作者16歳の作品と多数の写真・手紙。
  • 『明日は明日の風が吹く 女はすべてスカーレット』 - Tomorrow is another day 
 早野依子訳、PHP研究所 2002年
  • 『マーガレット・ミッチェル十九通の手紙』 - A dynamo going to waste
 ジェーン・ボナー・ピーコック編 羽田詩津子訳、潮出版社 1994年
  • 『「風と共に去りぬ」の故郷アトランタに抱かれて マーガレット・ミッチェルの手紙』
Gone with the wind letters 1936~1949
 リチャード・ハーウェル編、大久保康雄訳、三笠書房、1983年

伝記研究

  • 『タラへの道 マーガレット・ミッチェルの生涯』 アン・エドワーズ、大久保康雄訳、文藝春秋 1986年 文春文庫、1992年
  • 『マーガレット ラブ・ストーリー 「風と共に去りぬ」に秘められた真実』
マリアン・ウォーカー、林真理子訳 講談社 1996年、講談社文庫 1999年 
  • 『「風と共に去りぬ」の女たち ミッチェルの生き方とアメリカ南部』 大島良行、専修大学出版局、1996年

作品研究

  • 『「風と共に去りぬ」のアメリカ 南部と人種問題』 青木冨貴子 岩波新書、1996年
  • 『わが青春のスカーレット 「風と共に去りぬ」と女たち』 ヘレン・テイラー 池田比佐子・前田啓子訳 朝日新聞社、1992年
  • 『風と共に去りぬ スカーレットの故郷、アメリカ南部をめぐる』 越智道雄監修・文、吉田隆志写真、求龍堂グラフィックス 1993年

外部リンク

1900年生まれの人物
アーロン・コープランド / アントワーヌ・ド・サン・テグジュペリ / マーガレット・ミッチェル / クルト・ワイル /

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