ユージーン・オニール
オニール
O'Neill, Eugene Gladstone
1888年10月16日 – 1953年11月27日 (65歳没)
ユージーン・オニールの人物情報
アメリカの劇作家。1888年、ニューヨーク・ブロードウェイのホテルの一室で、巡業俳優ジェームズ・オニールの子として生まれた。大学を1年で去って船員などをしながら放浪し、1912年に結核で療養所に入ったのを機に劇作を志した。『地平線の彼方』『アンナ・クリスティ』『奇妙な幕間狂言』でピュリッツァー賞を3度受け、1936年にノーベル文学賞を受けた。死後に発表された自伝的な戯曲『夜への長い旅路』で、4度目のピュリッツァー賞を受けている。
同時代の人物
同じ1888年には、詩人のT・S・エリオット(DB名「トーマス・エリオット」)が20日早く生まれている。エリオットもオニールの12年後、1948年にノーベル文学賞を受けた。日本では、劇作家でもあった菊池寛が同じ年の12月に生まれた。菊池の『父帰る』が新富座で初演されて評判を取った1920年は、オニールの『地平線の彼方』がブロードウェイで初演された年でもある。
年齢で見る生涯
手の震えのため最後の10年はほとんど書けなかった。晩年の傑作は50代前半までに書かれ、そのいくつかは死後に世に出た。
人物のつながり
エピソード
霧と潮が演出した初舞台(27歳・1916年)
オニールの作品が初めて上演されたのは、ケープコッドの漁村プロヴィンスタウンの波止場に建つ、古い倉庫を改造した小屋だった。劇団のスーザン・グラスペルの回想によれば、その夜は脚本の指定どおり霧が出て、港では霧笛が鳴っていた。満ち潮が床下に打ち寄せ、床板の穴からしぶきが上がったという。オニール本人も、台詞がひとつだけの二等航海士の役で舞台に立った。グラスペルは、古い波止場が喝采で揺れたのは比喩ではないと書いている。
愛犬ブレミーの「遺言」(52歳・1940年)
カリフォルニアのタオ・ハウスには、ダルメシアンの「ブレミー」(正式名シルヴァーデン・エンブレム)がいた。特注のベッドで眠り、専用のレインコートを着るほどかわいがられた。1940年12月17日にブレミーが死ぬと、オニールは犬自身が語る形の「ある非常に高名な犬の遺言」を書いた。首輪、引き綱、外套、レインコートは次に来る犬に遺す。「二度と犬を飼わないことは、私への供養にならない」と、新しい犬を迎えるよう頼んでいる。暗い悲劇で知られる劇作家の、珍しく温かい文章である。
暖炉のないホテルで「燃やした」原稿(63〜65歳・1952〜53年頃)
書けなくなったオニールは、ある一族を何代にもわたって描く連作劇の完成をあきらめ、妻カーロッタとボストンのホテルの一室で未完の原稿を破り捨てた。カーロッタは「子どもを引き裂くようだった」と語った。ただし、原稿を暖炉で燃やしたという彼女の話は、ボストン大学の学生が建物に暖炉は一度もなかったと突き止め、管理人に地下の炉で燃やしてもらったと改められた。皮肉なことに、連作の一編『もっと荘厳な館』のタイプ原稿は、「死んだら破棄すること」と書かれたまま残っていた。カーロッタは他人がこれを完成させることを許し、1962年にストックホルムで上演された。オニールは死の3日前、「ホテルの部屋で生まれ、ちくしょう、ホテルの部屋で死ぬのか」とつぶやいたと伝えられる。
出典・参考資料