マイケル・ヴェントリス

マイケル・ヴェントリス

ヴェントリス

Ventris, Michael

1922年7月12日 – 1956年9月6日 (34歳没)

イギリス 人文科学

マイケル・ヴェントリスの人物情報

イギリスの建築家で、線文字Bの解読者。ポーランド人地主の娘を母に持ち、少年期をスイスで過ごし、幼くして数か国語を身につけた。14歳で考古学者エヴァンズに会い、線文字Bが未解読と知って解読を志す。AAスクールで建築を学び、大戦中は空軍の航法士を務めた。1952年、アリス・コーバーらの研究を土台に、線文字Bが古いギリシア語を書き記したものだと突き止め、BBCのラジオで発表した。文献学者チャドウィックと共著を仕上げたが、その刊行の数週間前に交通事故で亡くなった。34歳だった。

同時代の人物

ヴェントリスと同じ1922年には、放浪の画家山下清が生まれている。山下は3月生まれで、ヴェントリスより4か月ほど年上にあたる。三島由紀夫は3歳下である。

前年の1921年9月には、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムが、当時ポーランド領だったルヴフ(いまのウクライナのリヴィウ)に生まれた。母の国の作家と、10か月違いの同世代である。

ヴェントリスが亡くなる26日前の1956年8月11日には、アメリカの画家ジャクソン・ポロックも自動車事故で亡くなっている。44歳だった。

年齢で見る生涯

  • 14歳(1936年秋) 英国アテネ学院の創立50周年展を学校の仲間と訪れ、85歳のエヴァンズから線文字Bの粘土板を見せられる
  • 17〜18歳(1940年) AAスクールに入学。年末には、線文字Bをエトルリア語と結びつけた論文が米国の考古学誌に載る。同じ年に母を亡くす
  • 19〜21歳(1942〜43年) 結婚し、空軍に入る。カナダで訓練を受け、航法士として爆撃機に乗る
  • 25〜26歳(1948年) AAスクールを優等で修了。建築家として働く
  • 27〜28歳(1950年) 各国の研究者にアンケートを送り「世紀半ばの報告」にまとめる。やがて建築の仕事を離れ、解読に専念する
  • 29〜30歳(1952年) 7月1日、BBCラジオで解読を発表。文献学者チャドウィックから協力を申し出る手紙が届く
  • 34歳(1956年9月6日) 深夜、ハットフィールドで駐車中のトラックに衝突して即死。検視審問の評決は事故死。チャドウィックとの共著の刊行は数週間後だった

14歳で抱いた謎を29歳で解き、その4年後に世を去った。研究者として表舞台にいた時間は、わずか4年あまりだった。

人物のつながり

  • アーサー・エヴァンズ:クノッソスで線文字Bの粘土板を掘り出した考古学者。引率の教師の回想によれば、14歳のヴェントリスは「粘土板はまだ解読されていないとおっしゃいましたか」と尋ねた。線文字Bはギリシア語ではないとするエヴァンズの見方を、ヴェントリスも1952年初めまで受け継いでいた。
  • マルセル・ブロイヤー:母子の住まいの内装を手がけた(エピソード参照)。
  • アリス・コーバー:アメリカの古典学者。語尾変化に着目し、記号を表に整理する方法を築いて解読の土台を作ったが、1950年に43歳で亡くなった。
  • ジョン・チャドウィック:ケンブリッジの文献学者で、ヴェントリスの2歳上。放送の後、「一介の文献学者」にできることがあればと手紙を寄せた。ヴェントリスは、道を外れないよう見張る「一介の文献学者」が欲しかったと返した。

エピソード

7歳で買ったドイツ語の象形文字の本(7歳・1929〜30年頃)

父の療養のため、一家は8年ほどスイスで暮らした。グシュタードの学校の授業はフランス語とドイツ語で、土地のスイス・ドイツ語もすぐに覚えた。家では母がよくポーランド語を話し、8歳には流暢に話せたという。ケンブリッジ大学古典学部の紹介によれば、7歳のときには、エジプトの象形文字を解説したドイツ語の本を自分で買っている。いくつもの言葉と文字に囲まれた幼年期だった。

母の住まいの内装はブロイヤー(14歳・1936年)

1935年ごろから、ヴェントリスは母とロンドン北部ハイゲートの集合住宅「ハイポイント」で暮らした。1936年、母はバウハウス出身のブロイヤーに7部屋の住まいの内装を依頼した。シラキュース大学の資料によれば、来客用と私的な空間を草編みのスクリーンで仕切り、居間には蓄音機用の棚と、合板を自由な曲線で切り抜いた椅子とソファを置いた。翌年2月のブロイヤーの手紙には、ヴェントリス夫人が長椅子の張り地に不満を言っているので、近く見に行くと書かれている。のちの建築家は、14歳にしてモダニズムの建物と家具に囲まれて暮らしていたことになる。

「気まぐれな脱線」のはずが(29歳・1952年)

1952年6月1日の日曜日、ヴェントリスは研究メモ「ワークノート」の第20号を書いた。題は「クノッソスとピュロスの粘土板はギリシア語で書かれているか」。ただし本人はこれを「気まぐれな脱線」と呼び、いずれ行き詰まるか、ばかげた結論に終わるだろうと書き添えた。ところが1か月後の7月1日、BBCラジオの20分ほどの番組の終わり近くで、「この数週間で、粘土板はやはりギリシア語で書かれているに違いないという結論に急に達した」と淡々と語った。読めたのは、羊飼いや陶工といった職業付きの人名簿や、「車輪、楡製いくつ、金属製いくつ、柳製いくつ」といった、宮殿のごく地味な帳簿だった。

出典・参考資料

  • Wikipedia(en)「Michael Ventris」、Wikipedia「マイケル・ヴェントリス」、University of Cambridge Faculty of Classics「Michael Ventris, 1922 - 1956: Architect and Decipherer of Linear B」、同 Mycenaean Epigraphy Room「Michael Ventris」「Correspondence」(チャドウィックとの最初の往復書簡)、British School at Athens「1936: Exhibition Season」、Nature 138号(1936年)の展覧会告知(会期10月14日〜11月14日の予定)、Anna P. Judson『The Undeciphered Signs of Linear B』(Cambridge University Press、2020年)第1章(コーバーの表、エヴァンズ説の継承)
  • University of Cambridge Faculty of Classics「Michael Ventris, 1922 - 1956」(7歳で買ったドイツ語の象形文字の本)、Wikipedia(en)「Michael Ventris」(スイス、グシュタードの学校、ポーランド語)
  • Marcel Breuer Digital Archive(Syracuse University Libraries)「Ventris Apartment, Interiors (London, England, 1936)」
  • University of East Anglia, Pritchard Papers「PP/18/7/9/3/24 Letter, Marcel Breuer to Jack Pritchard, 16/2/37」
  • Theodore Nash「Cracking the Code of Linear B」(Antigone、2024年1月)(Work Note 20 の日付・題・本人の言葉の引用)
  • Anna P. Judson『The Undeciphered Signs of Linear B』第1章(1952年7月1日の放送「The Cretan Tablets」の録音からの引用。全文は The Listener 1952年7月10日号、Ventris & Sacconi『Work Notes on Minoan Language Research and Other Unedited Papers』1988年、363〜367頁)