李白

李白

リハク

Li Po

701年 – 762年 (約61歳没)

中国 詩歌

李白の人物情報

中国唐の詩人。字は太白。
奔放で変幻自在な詩風から、杜甫と共に唐代最高の詩人で、後世「詩仙」と称される。
少年時代を四川で過ごし、詩書に通じ、剣術を好み、任侠の徒とも関わったと言われる。
25歳で四川を出てからは、生涯の多くを漂白の徒として過ごした。一時期朝廷に仕え、玄宗に寵愛されたが、その自由奔放さと無礼な態度から宮廷人との軋轢がおき、讒言を受けて長安を去った。その後杜甫と出会い意気投合したと言われる。

同時代の人物

李白が生まれた701年前後は、唐詩の黄金期を担う詩人が続けて生まれた時期である。

  • 12歳上:孟浩然
  • 2歳上:王維。701年生まれとする説もあり、その場合は同い年になる
  • 11歳下:杜甫

李白と王維は同じ時期に長安にいて、ともに玄宗に仕えた。ところが、互いの名を出した詩は一首も残っていない。唐詩の二大スターが同じ都で暮らしながら、記録の上では一度もすれ違っていないのである。

李白の死後に生まれた世代では、韓愈が768年、白居易が772年に生まれている。2人とも、李白を読んで育った世代だ。

年齢で見る生涯

  • 24〜25歳(724〜725年頃) 剣を携えて故郷の蜀(四川)を出る
  • 27歳(727年頃) 安陸(湖北)で、元宰相・許圉師の孫娘と結婚
  • 30歳(730年頃) 黄鶴楼で、揚州へ向かう孟浩然を見送る
  • 42歳(742年) 玄宗に召されて長安に入り、翰林供奉となる
  • 44歳(744年) 宮廷を去る。洛陽で33歳の杜甫と出会う
  • 53〜54歳(753〜754年) 阿倍仲麻呂の遭難を聞き、「哭晁卿衡」を詠む
  • 57〜59歳(757〜759年) 永王李璘の軍に加わった罪で投獄され、夜郎へ流罪となる。流される途中で赦される
  • 62歳(762年) 当塗(安徽)で病没。酔って水面の月を取ろうとして溺れたという話は後世の伝説である

宮廷詩人だった期間は、実質2年ほどにすぎない。李白は62年の生涯のほとんどを旅と浪人暮らしで過ごし、名作の多くもそのなかで生まれた。

人物のつながり

  • 孟浩然:若い李白が慕った先輩詩人。「吾愛孟夫子」(わたしは孟先生が好きだ)で始まる詩「贈孟浩然」を贈った。黄鶴楼での送別詩もよく知られる。
  • 王維:同じ時代、同じ都にいながら、まったく交流の跡がない。安史の乱では、王維は反乱軍に捕らわれて官職を受けさせられ、李白は永王の軍に加わって罪に問われた。2人とも乱後に罪を問われ、その後許されている。
  • 白居易:のちに当塗の采石にある李白の墓を訪ね、詩「李白墓」を詠んだ。「曾有驚天動地文」(かつて天地を揺るがす文章があった)の一句は、「驚天動地」の出典の一つとされる。
  • 阿倍仲麻呂(晁衡):遣唐留学生から唐の高官となった日本人。753年、帰国の船が難破したと聞いた李白は、「明月不歸沈碧海」(明月は帰らず、碧い海に沈んだ)と、友を明月にたとえて悼んだ。実際には仲麻呂は安南(ベトナム)に漂着して生き延びた。長安に戻った後、李白より8年長く生きている。

エピソード

親友の遺骨を背負って歩く(26歳頃・726年頃)

蜀を出て間もないころ、李白は同郷の友・呉指南と楚を旅していた。ところが指南は洞庭湖のほとりで急死してしまう。李白自身の手紙によれば、真夏の暑さのなか遺体に取りすがって泣き続け、涙が尽きると血を流した。虎が近づいても、その場を離れなかったという。いったん湖畔に仮埋葬して旅を続けたが、数年後に戻ってくると、遺骨を刀で洗い清めた。それを包んで背負い、歩いて運ぶと、借金をして鄂城の東に葬り直した。

日本の布で仕立てた毛皮の上着(54歳・754年)

754年、李白を慕う青年・魏萬が各地を訪ね歩いた末に、揚州で本人に会えた。別れに贈った長詩で、李白は魏萬の姿を「身著日本裘」(日本の裘を着ている)と描き、自ら注を付けている。「裘は晁卿が贈ったもので、日本の布で仕立ててある」。晁卿とは阿倍仲麻呂のことである。李白はこのとき自作の詩文をすべて魏萬に託して、詩集の編纂を頼んだ。

命の恩人は郭子儀?(伝承・57〜59歳・757〜759年)

『新唐書』の李白伝には、若いころの李白が并州(山西)でまだ若い軍人だった郭子儀の器量を見抜き、罪を犯した郭子儀を救ったという話がある。やがて永王の一件で李白が死罪に問われると、安史の乱を鎮めた名将となっていた郭子儀が、自分の官職と引き換えに李白の赦免を願い出た。そのおかげで流罪に減刑されたと伝えられる。ただし、この話は『旧唐書』には見えない。中国の研究者の間でも史実性は疑われている。

出典・参考資料

  • Wikipedia「李白」、中文維基百科「李白」「王維」
  • 李白「上安州裴長史書」(『全唐文』巻348)…呉指南の遺骨
  • 李白「送王屋山人魏萬還王屋」(『全唐詩』巻175)、魏顥「李翰林集序」…日本裘
  • 『新唐書』巻202 文芸伝中・李白伝、『旧唐書』巻190下 文苑伝下・李白伝…郭子儀
  • 李白「哭晁卿衡」(『全唐詩』巻184)、「贈孟浩然」(同巻168)、白居易「李白墓」(同巻440)、韓愈「調張籍」
  • 李陽冰「唐李翰林草堂集序」(死因・没年)
  • 月を取ろうとした溺死伝説:清の王琦『李太白年譜』が五代の『唐摭言』から引く形で伝わる(現行の『唐摭言』諸本には見えない)。江油市李白紀念館「簡論李白"捉月騎鯨"故事的傳播和接受」
  • 王維との無交流:中国作家網「李白与王维:同时代大V一生无交集的背后隐情」(2018年)
  • 原文テキストは維基文庫(zh.wikisource.org)で確認