李白
リハク
Li Po
701年 – 762年 (約61歳没)
李白の人物情報
中国唐の詩人。字は太白。
奔放で変幻自在な詩風から、杜甫と共に唐代最高の詩人で、後世「詩仙」と称される。
少年時代を四川で過ごし、詩書に通じ、剣術を好み、任侠の徒とも関わったと言われる。
25歳で四川を出てからは、生涯の多くを漂白の徒として過ごした。一時期朝廷に仕え、玄宗に寵愛されたが、その自由奔放さと無礼な態度から宮廷人との軋轢がおき、讒言を受けて長安を去った。その後杜甫と出会い意気投合したと言われる。
リハク
Li Po
701年 – 762年 (約61歳没)
中国唐の詩人。字は太白。
奔放で変幻自在な詩風から、杜甫と共に唐代最高の詩人で、後世「詩仙」と称される。
少年時代を四川で過ごし、詩書に通じ、剣術を好み、任侠の徒とも関わったと言われる。
25歳で四川を出てからは、生涯の多くを漂白の徒として過ごした。一時期朝廷に仕え、玄宗に寵愛されたが、その自由奔放さと無礼な態度から宮廷人との軋轢がおき、讒言を受けて長安を去った。その後杜甫と出会い意気投合したと言われる。
同時代の人物
李白が生まれた701年前後は、唐詩の黄金期を担う詩人が続けて生まれた時期である。
李白と王維は同じ時期に長安にいて、ともに玄宗に仕えた。ところが、互いの名を出した詩は一首も残っていない。唐詩の二大スターが同じ都で暮らしながら、記録の上では一度もすれ違っていないのである。
李白の死後に生まれた世代では、韓愈が768年、白居易が772年に生まれている。2人とも、李白を読んで育った世代だ。
年齢で見る生涯
宮廷詩人だった期間は、実質2年ほどにすぎない。李白は62年の生涯のほとんどを旅と浪人暮らしで過ごし、名作の多くもそのなかで生まれた。
人物のつながり
エピソード
親友の遺骨を背負って歩く(26歳頃・726年頃)
蜀を出て間もないころ、李白は同郷の友・呉指南と楚を旅していた。ところが指南は洞庭湖のほとりで急死してしまう。李白自身の手紙によれば、真夏の暑さのなか遺体に取りすがって泣き続け、涙が尽きると血を流した。虎が近づいても、その場を離れなかったという。いったん湖畔に仮埋葬して旅を続けたが、数年後に戻ってくると、遺骨を刀で洗い清めた。それを包んで背負い、歩いて運ぶと、借金をして鄂城の東に葬り直した。
日本の布で仕立てた毛皮の上着(54歳・754年)
754年、李白を慕う青年・魏萬が各地を訪ね歩いた末に、揚州で本人に会えた。別れに贈った長詩で、李白は魏萬の姿を「身著日本裘」(日本の裘を着ている)と描き、自ら注を付けている。「裘は晁卿が贈ったもので、日本の布で仕立ててある」。晁卿とは阿倍仲麻呂のことである。李白はこのとき自作の詩文をすべて魏萬に託して、詩集の編纂を頼んだ。
命の恩人は郭子儀?(伝承・57〜59歳・757〜759年)
『新唐書』の李白伝には、若いころの李白が并州(山西)でまだ若い軍人だった郭子儀の器量を見抜き、罪を犯した郭子儀を救ったという話がある。やがて永王の一件で李白が死罪に問われると、安史の乱を鎮めた名将となっていた郭子儀が、自分の官職と引き換えに李白の赦免を願い出た。そのおかげで流罪に減刑されたと伝えられる。ただし、この話は『旧唐書』には見えない。中国の研究者の間でも史実性は疑われている。
出典・参考資料