ロベルト・シューマン
シューマン
Schumann, Robert Alexander
1810年6月8日 – 1856年7月29日 (46歳没)
ロベルト・シューマンの人物情報
ドイツ・ロマン派を代表する作曲家で、音楽評論家でもありました。ピアニストを目指していましたが、指を痛めて作曲に転じました。自ら創刊した「新音楽時報」で、ショパンやブラームスら若い才能を世に紹介したことでも知られます。
シューマン
Schumann, Robert Alexander
1810年6月8日 – 1856年7月29日 (46歳没)
ドイツ・ロマン派を代表する作曲家で、音楽評論家でもありました。ピアニストを目指していましたが、指を痛めて作曲に転じました。自ら創刊した「新音楽時報」で、ショパンやブラームスら若い才能を世に紹介したことでも知られます。
同時代の人物
シューマンが生まれた1810年は、ロマン派音楽の「当たり年」でした。同じ年にショパンが生まれています。前年の1809年にはメンデルスゾーン、翌1811年にはリスト、1813年にはヴァーグナーが生まれました。19世紀のドイツ語圏とパリの音楽界を担った作曲家たちが、わずか4年の間に生まれていることになります。
ジャンルの外に目を向けると、ダーウィンとリンカーンも1809年生まれで、シューマンの1歳年上です。日本では、適塾を開いた緒方洪庵がシューマンと同じ1810年に生まれています。
年齢で見る生涯
メンデルスゾーンは38歳、ショパンは39歳で亡くなっています。同世代の3人のなかで、46歳まで生きたシューマンが最も長命でした。
人物のつながり
エピソード
「テンポはもっと速いよ、テーブル君」(42歳・1853年)
1853年、ヨーロッパで大流行していた降霊遊び「テーブル・ターニング」がシューマン家にも持ち込まれた。すっかり夢中になったシューマンは、翌日すぐ友人ヒラーに手紙を書いている。卓に「ベートーヴェンの交響曲第5番、最初の2小節のリズムは?」と尋ねると、卓はためらいながらゆっくり叩き始めた。そこで「でもテンポはもっと速いよ、テーブル君」と言うと、卓は慌てて正しい速さに直したという。近年の研究では、これを病気の兆しとは見ず、時代の流行への旺盛な好奇心の表れとみている。
新婚夫婦の「秘密の夫婦結社」(30歳・1840年)
裁判までしてクララとの結婚を勝ち取ったシューマンは、結婚式の翌日に夫婦で交換日記を始めた。冒頭には「秘密の夫婦結社」の規約を書き込んでいる。書き手は1週間ごとに交代する。日記を渡すのは毎週日曜の朝、できればコーヒーの時間で、そのときキスを添えてもよい。1週間の記録が1ページに満たなければ罰を科すが、罰の中身は「これから考える」。のちにクララはこの日記に、壁が薄くて夫の作曲中はピアノが弾けないと不満も書いている。
無口なシューマンと饒舌なヴァーグナー(36歳前後・1846年頃)
ドレスデンで同じ時期に暮らしたヴァーグナーとは、まるで話が噛み合わなかった。批評家ハンスリックの回想によれば、シューマンはヴァーグナーについて「才気ある人だが、とにかく休みなくしゃべる。僕には無理だ」と言った。一方のヴァーグナーは「シューマンは何もしゃべらない。付き合えない」とこぼしている。互いに相手を同じ「無理な人(unmöglich)」と呼んでいたわけである。
出典・参考資料