エイブラハム・リンカーン
リンカーン
Lincoln, Abraham
1809年2月12日 – 1865年4月15日 (56歳没)
エイブラハム・リンカーンの人物情報
アメリカの第16代大統領である。ケンタッキーの開拓地の丸太小屋に生まれ、学校に通ったのは合わせて1年足らずだった。独学で法律を学んでイリノイ州の弁護士となり、州議会議員、連邦下院議員を経て、奴隷制の拡大に反対する共和党から1860年の大統領選に勝った。南北戦争で連邦を守り抜き、1863年には奴隷解放宣言を出し、ゲティスバーグ演説を行った。南軍の降伏から5日後の1865年4月14日、ワシントンのフォード劇場で撃たれ、翌朝亡くなった。
同時代の人物
リンカーンが生まれた1809年2月12日は、進化論のダーウィンがイギリスで生まれた日でもある。奴隷制と戦う大統領と、生物観を塗り替える博物学者が、大西洋を挟んで同じ日に生まれたことになる。同じ1809年には作家のポーとゴーゴリ、作曲家のメンデルスゾーン、英首相のグラッドストンも生まれている。
日本では、適塾を開いた蘭方医の緒方洪庵が1歳下の1810年生まれである。洪庵が江戸で亡くなった1863年、リンカーンは奴隷解放宣言を出している。
年齢で見る生涯
州議会に初当選してから大統領になるまで27年かかり、その間に連邦上院選で2度落選している。大統領だった4年余りは、ほぼそのまま南北戦争の期間と重なる。
人物のつながり
エピソード
窓から飛び降りて採決を阻止しようとして失敗(31歳・1840年)
1840年12月、州議会は新議事堂の完成を待つ間、教会を仮の議場にしていた。州立銀行を追い込む法案に反対する少数派ホイッグ党は、欠席して定足数を割らせる作戦に出る。ところが多数派が人数をそろえ、扉も閉ざされた。そこでリンカーンは同僚のギレスピーらと窓を開けて外へ飛び降りた。だが出席はすでに記録され、法案は可決。民主党側は「あの脚なら窓から地面まで届く」とからかった。法律事務所の相棒ハーンドンによれば、本人が忘れたがった過去のひとつである。
剣を選んだ決闘騒ぎ(33歳・1842年)
リンカーンは「レベッカ」の偽名で地元紙に投書し、州の会計検査官シールズを皮肉った。婚約者メアリーらも同じ筆名で続いたため、怒ったシールズは決闘を申し込む。武器を選べたリンカーンは「最大の騎兵刀」を指定した。知人の回想では「拳銃だと撃ち殺されそうだから」。場所は、決闘が違法なイリノイを避けてミシシッピ川の中州。結局、友人たちの仲裁で剣を交えずに和解した。後年この件に触れられると「友人でいたいなら二度と口にしないでくれ」と答えたと伝えられる。
秘書たちのあだ名は「大君(タイクーン)」(52〜54歳・1861〜63年)
若い秘書ヘイとニコレイは、日記や手紙で大統領を「the Tycoon」と呼んだ。徳川将軍の外交上の称号「大君」である。1860年に日本の遣米使節がブキャナン大統領に国書を届け、この言葉がアメリカで広まっていた。ヘイは1863年8月、ニコレイに「大君は絶好調だ。これほど穏やかで忙しそうな姿は見たことがない」と書き送っている。リンカーン自身も1861年、本物の大君に宛てた親書に署名した。
出典・参考資料