ウィリアム・グラッドストン
グラッドストン
Gladstone, William Ewart
1809年12月29日 – 1898年5月19日 (88歳没)
ウィリアム・グラッドストンの人物情報
イギリスの政治家である。リヴァプールに生まれ、22歳で保守党(トーリー)の下院議員となった。財務大臣を務めたのち自由党の指導者に転じ、保守党のディズレーリと激しく争った。1868年から1894年までに4度首相を務め、84歳で辞任したときは英国史上最年長の首相だった。晩年はアイルランド自治の実現に力を注いだが、法案は2度とも退けられた。ホメロス研究の著書もある学者肌の人物で、「大老人(Grand Old Man)」と呼ばれた。
同時代の人物
1809年は「当たり年」である。2月12日の同じ日にダーウィンとリンカーンが生まれ、エドガー・アラン・ポー、メンデルスゾーン、テニソンもこの年の生まれだ。12月29日生まれのグラッドストンはこの顔ぶれの末っ子だが、最後まで生き残ったのも彼だった。
日本では、適塾の緒方洪庵が7か月あまり年下である。洪庵が亡くなった1863年、グラッドストンはまだ財務大臣だった。
年齢で見る生涯
4度の首相のうち、3度は70歳を過ぎてからの就任である。
人物のつながり
エピソード
「森は嘆く」首相の木こり趣味(58歳・1868年ほか)
1868年12月1日、趣味の木の伐採で斧を振るっていたグラッドストンに電報が届いた。組閣の命が来ることを告げる知らせである。居合わせた知人の回想によれば、彼は「重大だ」とだけ言って作業に戻り、やがて斧の柄にもたれて「私の使命はアイルランドを平定することだ」と言った。1884年には、保守党のランドルフ・チャーチルがこの趣味を演説で皮肉った。「森は嘆く、グラッドストン氏が汗をかくために」。見物の労働者は記念に木くずをもらう。この政府が国民に与えたのも木くずだけだ、と。演説は息子のウィンストン・チャーチルが父の伝記に収めている。
ダーウィンと文通した「ホメロスの色覚」論(67歳・1877年)
グラッドストンはホメロスの色の言葉を数え上げた。青を表す言葉がほとんどなく、海は「ワインのような色」と呼ばれる。そこから、当時のギリシア人は色を見分ける力が弱かったと論じたのである。1877年10月、この説を雑誌で改めて論じると、68歳のダーウィンが手紙を寄こした。「ごく幼い子どもは色を見分けるのにとても苦労する」という自分の観察を伝え、関連する論争が載ったドイツの雑誌を送ろうという。グラッドストンは、ホメロスの証拠は決定的だと返した。ダーウィンは「実に興味深い問題だ」と書いて雑誌を送っている。いまでは、変わったのは目ではなく言葉のほうだと考えられている。
手押し車で本を運んだ、は本当か(79〜85歳・1889〜95年)
晩年のグラッドストンは、自分の蔵書をだれでも使える図書館を自宅の近くに作った。現在のグラッドストン図書館である。図書館の沿革によれば、80歳を過ぎた本人が従者と娘1人だけを助手に約1万2千冊を運び、棚に並べる作業もほとんど自分でこなした。よく語られるのは、3万2千冊を自分で紙に包み、手押し車で運んだという話だ。ところが図書館自身のブログはこれを「すてきな神話」と呼び、実際は転ばないかと冷や冷やする使用人たちが控えていたのだろうと書いている。
出典・参考資料