アンリ・ファーブル
ファーブル
Fabre, Jean Henri
1823年12月21日 – 1915年10月11日 (91歳没)
アンリ・ファーブルの人物情報
フランスの博物学者、昆虫学者。南フランスの山村サン・レオンの貧しい農家に生まれ、独学で学位を重ねながら小学校、コルシカ島のアジャクシオ、アヴィニョンで理科を教えた。アヴィニョン時代には染料植物アカネの研究にも打ち込んでいる。1870年に教職を離れ、教科書や啓蒙書の執筆で暮らしを立てた。1879年、南仏セリニャンに荒れ地付きの家「アルマス」を買い、ここで虫を観察し続けた。その記録をまとめた『昆虫記(Souvenirs entomologiques)』全10巻は、科学の正確さと読み物としての面白さを兼ね備え、日本でも広く読まれている。
同時代の人物
ファーブルの1年足らず前、1822年12月にルイ・パスツールが生まれている。同じ1823年生まれには作曲家のエドゥアール・ラロがいる。1828年生まれのジュール・ヴェルヌは、科学の知識を冒険小説に織り込んだ。ファーブルは同じ時代に、虫の観察を読み物に仕立てたことになる。
日本では、4歳下の1828年に画家の狩野芳崖と高橋由一が生まれた。2人とも明治の半ばに世を去ったが、ファーブルは第一次世界大戦のさなか、1915年まで生きた。
年齢で見る生涯
『昆虫記』の第1巻が出たのは55歳のときで、全10巻がそろったのは80代に入ってからだった。教師としての前半生と、書き手としての後半生が、ほぼ半分ずつである。
人物のつながり
エピソード
「ゆでたロブスターの手」を大臣に見せる(43歳・1867年)
アヴィニョン時代のファーブルは、アカネの根から赤い染料アリザリンを取り出す研究に打ち込み、特許も取っていた。ある日、手を真っ赤に染めて大釜を見張っていると、文部大臣デュリュイが予告なしに実験室へ入ってきた。ファーブル自身はこの手を「ゆでたロブスターの脚」と書いている。とっさに背中に隠したが、大臣は「この方々に手を見せなさい。誇りに思う人もいるでしょう」と言い、「職人の手だ」とほめた。ファーブルはその場で、アカネの赤で布を染める試し刷りをして見せたという。
侍従は「カフェオレ色の燕尾服を着た甲虫」(44歳・1868年)
翌1868年、デュリュイはファーブルをパリへ呼び、大臣室で2人きりでレジオン・ドヌール勲章を授けた。続いてチュイルリー宮で皇帝に拝謁する。宮殿の侍従たちは、虫好きの目には「上着の代わりにカフェオレ色の燕尾服をまとった甲虫」に見えたと、本人が書いている。皇帝が尋ねたのは、ファーブルの最新の研究であるツチハンミョウの「過変態」のことだった。博物館の見学を勧められたが「明日帰ります」と断り、翌日にはパリを発った。まもなくアリザリンが化学合成されてアカネ研究は行き詰まり、ファーブルは「染料の釜が拒むものを、インク壺から汲み出そう」と書く道を選んだ。
ダーウィンの「回転箱」実験(56歳・1880年)
1880年1月、ダーウィンは『昆虫記』第1巻を読んで英語の手紙を送った。遠くへ運んでも巣に帰るハチは、箱に入れて高速で回転させても帰れるのかを試してほしい、という提案である。ファーブルは返事で、猫を袋に入れて回してから運ぶと戻ってこないという民間の言い伝えを紹介した。そのうえで5月、印を付けたヌリハナバチを紙の筒に入れて回しながら約3km先まで運んだ。それでも3〜4割ほどのハチが巣に戻ってきた。回転では方向の感覚は狂わなかったのである。
出典・参考資料