ウィンストン・チャーチル

チャーチル

Churchill, Winston

1874年11月30日 – 1965年1月24日 (90歳没)

イギリス 政治家

ウィンストン・チャーチルの人物情報

イギリスの政治家、軍人、作家。第二次世界大戦中の1940年に首相に就き、ドイツへの徹底抗戦を貫いて連合国の勝利に導いた。1951年から55年にも再び首相を務めている。回顧録『第二次世界大戦』などの著作で、1953年にノーベル文学賞を受賞した。

同時代の人物

1874年生まれの同い年には、作家のサマセット・モーム、作曲家のホルスト、米大統領のフーヴァーがいる。日本では俳人の高浜虚子も同じ年に生まれた。モームとは生まれた年だけでなく、亡くなった年(1965年)も同じだ。

第二次世界大戦の指導者たちと比べると、チャーチルは最年長だった。

年齢で見る生涯

  • 24〜25歳(1899年) ボーア戦争に従軍記者として赴く。捕虜になるが収容所を脱走し、一躍有名になる
  • 25歳(1900年) 下院議員に初当選
  • 65歳(1940年) 首相に就任
  • 70歳(1945年2月) ヤルタ会談。同席したルーズベルトは63歳、スターリンは66歳
  • 76〜80歳(1951〜55年) 2度目の首相
  • 78歳(1953年) ノーベル文学賞
  • 90歳(1965年) 死去

戦時の首相に就いたのは、多くの人が引退を考える65歳だった。ヤルタ会談に集まった3人のうち、ルーズベルトは会談の2か月後に亡くなっている。チャーチルはそれから20年近く生きた。

人物のつながり

エピソード

手配書に「Sの発音ができない」と書かれた脱走捕虜(25歳・1899年)

ボーア戦争で捕虜になったチャーチルが収容所を脱走すると、懸賞金25ポンドの「生死を問わず」の手配書が出た。その人相書きがなかなか手厳しい。「さえない体格、少し前かがみに歩く、口ひげはほとんど目立たない、鼻にかかった話し方、Sの音を正しく発音できない」。チャーチルはSを「sh」のように発音する癖を若いころから気にしており、専門医にも相談していた。後に名演説で歴史に残る人物の手配書に、その弱点がしっかり書かれていたのである。

閣僚なのに、れんが職人組合に入ろうとして揉める(53歳・1928年)

財務大臣だったころ、チャーチルは自宅チャートウェルで、娘たちのためのコテージを自られんがを積んで建てていた。首相には「毎日れんが200個と原稿2000語」と書き送っている。1928年には入会金を払って、建設労働者の組合に「成人見習い」として加入した。ところが2年前のゼネストで政府側の先頭に立った人物だったため、組合員が猛反発する。執行委員会は「加入資格なし」と決めた。

愛飲のシャンパンの名を競走馬に(70歳・1944年〜)

シャンパンのポル・ロジェを長年愛飲していたチャーチルは、1944年、解放直後のパリの昼食会でメゾンのオデット・ポル=ロジェと隣り合わせ、生涯の友となった。自分の競走馬に「ポル・ロジェ」と名づけたほどである。チャーチルが亡くなると、同社は英国向けのラベルを黒枠にして喪に服したと伝えられる。

出典・参考資料

  • Wikipedia「ウィンストン・チャーチル」
  • International Churchill Society「The Boer War」「Churchill's Speech Impediment Was Stuttering」「Churchill as Bricklayer」「Churchill's Favorite Champagne: Pol Roger」
  • Bullard『Famous War Correspondents』(手配書の文面)
  • TIME「Great Britain: Bricklayer Expelled」