シャルル・ド・ゴール
ドゴール
de Gaulle, Charles
1890年11月22日 – 1970年11月9日 (79歳没)
シャルル・ド・ゴールの人物情報
フランスの軍人、政治家。1940年6月、フランスがドイツに敗れるとロンドンに渡り、ラジオで抗戦を呼びかけて「自由フランス」を率いた。1944年のパリ解放後は臨時政府の首班となったが、1946年に辞任。アルジェリア問題で政局が行き詰まった1958年に復帰し、大統領の権限を強めた第五共和制の初代大統領となる。アルジェリアの独立を認め、NATO統合軍事機構からの脱退など独自の外交を進めた。1969年に国民投票に敗れて辞任し、翌年79歳で死去した。
同時代の人物
1890年は、のちに国を率いる政治家が続けて生まれた年である。5月にベトナムのホー・チ・ミン、10月にアメリカのアイゼンハワー、11月にド・ゴール。アイゼンハワーは連合軍最高司令官としてパリ解放に関わり、ホー・チ・ミンはフランスが支配の回復をめざしたインドシナで独立を宣言した。3人とも1969年から70年にかけて世を去っている。日本では歌人の土屋文明がド・ゴールより2か月早く生まれ、100歳まで生きている。
1970年には、ド・ゴールの死の16日後に三島由紀夫が45歳で亡くなった。
年齢で見る生涯
無名の49歳の准将として亡命組織を立ち上げ、大統領に就いたのは68歳。65歳で首相になったチャーチルよりさらに遅い。
人物のつながり
エピソード
毒をのんで脱走し、憲兵を叱りとばした捕虜(25〜27歳・1916〜18年)
捕虜のド・ゴールは5回脱走し、5回とも連れ戻された。1916年10月には、母の小包に「しもやけの薬」として忍ばせてあったピクリン酸をのんで黄疸を装い、町の病院へ移ると、私服に着替えて見舞客に紛れ出た。1917年10月の脱走でも列車内で捕まり、三等車に押し込もうとする憲兵に「汚い手で触るな」と一喝。翌年の軍法会議では「本当に汚れていたのだ」と弁明し、侮辱罪で禁錮14日を言い渡された。
「これで、あの子もほかの子と同じになった」(57歳・1948年)
1928年元日に生まれた次女アンヌにはダウン症があった。人前では近寄りがたい将軍が、アンヌには歌や身ぶり芝居をして見せたと伝えられる。1945年には夫妻の発意で、障害のある少女のための財団が設立された。1948年2月6日、アンヌは20歳で気管支肺炎のため亡くなる。財団によれば、ド・ゴールはこのとき「これで、あの子もほかの子と同じになった」と語った。財団はこの年からアンヌの名を冠し、ド・ゴールも22年後、同じ墓に葬られた。
「鶏は無事かしら」(71歳・1962年)
1962年8月22日夜、パリ郊外のプティ=クラマールで、大統領の車がアルジェリア独立に反対する秘密軍事組織OASに銃撃された。弾はおよそ187発、車体に14発が当たったが、夫妻と娘婿ボワシュー大佐は無傷だった。空軍基地に着いたイヴォンヌ夫人が口にしたのが「鶏は無事だったかしら」。トランクに高級食料品店フォションの鶏のゼリー寄せを積んでいたのである。日本では将軍の言葉とされることもあるが、同乗したボワシューの回想録では夫人の言葉だ。
出典・参考資料