フランシスコ・フランコ

フランコ

Franco y Bahamonde, Francisco

1892年12月4日 – 1975年11月20日 (82歳没)

スペイン 政治家

フランシスコ・フランコの人物情報

スペインの軍人・政治家で、1939年から1975年まで独裁者として国を治めた。ガリシア地方フェロルの海軍軍人の家に生まれ、モロッコでの戦功で33歳で将軍となる。1936年7月、第二共和政に対する軍の反乱に加わり、10月に反乱軍側の国家元首に就いた。独伊の支援で内戦に勝ったが、反乱軍側は内戦中から共和派の人々を組織的に殺害し、戦後も約2万人を処刑したとされる。第二次世界大戦では中立を掲げつつ独ソ戦に義勇兵の「青師団」を送り、1953年にはアメリカと協定を結んだ。1969年にフアン・カルロスを後継者に指名し、1975年に在任のまま82歳で死去した。

同時代の人物

1892年生まれの同い年には、トールキン、芥川龍之介、吉川英治がいる。1916年、24歳のトールキンがソンムの塹壕にいたころ、23歳のフランコはモロッコで腹に銃弾を受けていた。芥川が35歳で亡くなった1927年、フランコはすでに将軍である。

20世紀の指導者たちとの年齢差は次のとおり。

年齢で見る生涯

  • 23歳(1916年6月) モロッコのエル・ビウツで腹部を撃たれ、重傷を負う
  • 33歳(1926年2月) 准将に昇進。ヨーロッパ最年少の将軍といわれた
  • 43歳(1936年) 7月に軍の反乱に加わり、10月1日に反乱軍側の国家元首となる
  • 46歳(1939年4月) 内戦が終わる。共和派への処刑と投獄はその後も続いた
  • 47歳(1940年10月) フランス国境のアンダイエでヒトラーと会談
  • 76歳(1969年7月) フアン・カルロスが後継者として議会で承認される
  • 82歳(1975年11月20日) 死去。首相がテレビで「スペイン国民よ、フランコは死んだ」と告げた

国家元首の座には39年あった。遺体が「戦没者の谷」から移されたのは、死から約44年後の2019年だった。

人物のつながり

  • ヒトラー:内戦で支援を受けた。1940年のアンダイエ会談では参戦の見返りにジブラルタルや仏領モロッコを求め、合意に至らなかった。イタリア側に伝わった記録によれば、ヒトラーはのちに、あの会談を繰り返すより歯を抜かれるほうがましだとこぼしたという。
  • マヌエル・アサーニャ:内戦時の共和国大統領。1939年にフランスへ逃れ、翌年亡命先で没した。
  • ピカソ:反乱軍を支援するドイツ空軍の爆撃を受けて《ゲルニカ》を描き、フランコ政権への引き渡しを拒んだ。絵がスペインに渡ったのは2人の死後の1981年である。

エピソード

2度退けられた勲章を、勝者になって受け取る(23〜46歳・1916〜39年)

1916年6月、23歳の大尉フランコは戦闘中に腹を撃たれ、意識を失って後送された。与えられた十字章に不満で国王に直訴し、代わりに少佐への昇進を手にする。さらに最高の武勲章サン・フェルナンド勲章も求めたが、1918年の審査では、彼を運んだ兵士が「中隊で最初に倒れ、指揮を続けられなかった」と証言し、退けられた。内戦に勝った1939年5月19日、国家元首フランコは勝利パレードでこの勲章の大十字章を受ける。政令に署名したのは国防相と副首相だった。2019年の改葬では、棺にこの勲章の紋章入りの旗が掛けられていた。

偽名で書いた映画『ラサ(民族)』(47〜71歳・1940〜64年)

1940年から翌年にかけて、フランコは「ハイメ・デ・アンドラーデ」の筆名で映画の原案を書いた。米西戦争から内戦までを生きるガリシアの一家の物語で、主人公の父はキューバで英雄的に戦死する海軍士官である。現実の父ニコラスは妻子を残して家を出た人物で、歴史家プレストンはこの作品を、完璧な過去を作ろうとする努力の「最も徹底した、自己満足的な表れ」と評した。1942年公開の映画は、1950年にファシスト式敬礼などを削った版に差し替えられ、元の版は破棄を命じられた。作者がフランコだと公式に明かされたのは、1964年に著作権団体への入会を申請したときである。

ヨットからマッコウクジラを撃つ(50〜60代・1950年代)

釣り好きのフランコは、1949年に進水した専用ヨット「アソル」に捕鯨砲まで据えさせた。鯨類学者アレックス・アギラールによれば、毎年1〜2頭のマッコウクジラを「スポーツとして」仕留め、最寄りの港で誇示すると、そのまま腐るにまかせた。のちには捕鯨工場に運ばせ、鯨油の売却益を自分に払うよう求めたという。ある大物は「20トンのクジラ」と発表されたが、写真を見た一部の新聞が「マッコウクジラ」と書き換え、情報省が叱責して「鯨類」に落ち着いたと伝えられる。船上で長い日々をともにした提督は「対話をしたことは一度もない。長い独白を聞いただけだ」と語っている。

出典・参考資料

  • Wikipedia(es)「Francisco Franco」、Wikipedia(en)「Francisco Franco」、elDiario.es「La Academia de la Historia rehabilita el polémico Diccionario Biográfico: Franco ya es "totalitario y filo-fascista"」(2023年3月1日)、Diario de León「«La represión franquista fue un plan de exterminio»」(2011年9月4日、プレストンへのインタビュー)、Paul Preston『El holocausto español』(Debate, 2011)、Wikipedia(es)「Pactos de Madrid de 1953」「División Azul」、Newtral「50 años del juramento de Juan Carlos de Borbón como sucesor de Franco」、Wikipedia(en)「Death and funeral of Francisco Franco」、Wikipedia(en)「Guernica (Picasso)」、Instituto Cervantes「Manuel Azaña」、Tolkien Gateway「Battle of the Somme」
  • elDiario.es(Raúl Rejón)「Un féretro que presume de Cruz Laureada: la condecoración que le negaron a Franco dos veces y se 'regaló' al ganar la guerra」(2019年10月24日)https://www.eldiario.es/sociedad/laureada-franco_1_1293188.html
  • Wikipedia(es)「Juan Salafranca Barrio」(1918年の審査、モハメド・ドゥカリの証言、1917年の昇進)、infoLibre(Matilde Eiroa)「Franco, un dictador cuestionado desde sus hazañas en África」
  • Wikipedia(es)「Raza (película)」、Raúl Angulo Díaz「Dos versiones de Raza」(El Catoblepas 44, 2005)https://www.nodulo.org/ec/2005/n044p14.htm 、Escinéfilo「"Raza", el manifiesto guionizado por Franco」
  • Manuel de la Paz-Sánchez「Franco y Cuba」(Revista Pencopolitana de Estudios Históricos y Sociales 1, 2011)(父の描き方、プレストンの評、ニエト・アントゥネスの言葉)
  • SINC「"Franco cazaba un cachalote o dos cada año"」(アレックス・アギラールへのインタビュー)https://www.agenciasinc.es/Entrevistas/Franco-cazaba-un-cachalote-o-dos-cada-ano
  • elDiario.es「El 'Azor': el símbolo de la dictadura de Franco…」(「20トンのクジラ」と情報省)、Wikipedia(es)「Azor (A-91)」
  • Ciencia Histórica「Prefiero que me saquen las muelas…」(ヒトラーの発言の出どころ)