アンソニー・イーデン
イーデン
Eden, Anthony
1897年6月12日 – 1977年1月14日 (79歳没)
アンソニー・イーデンの人物情報
イギリスの政治家で、保守党の首相(在任1955〜57年)。第一次世界大戦に従軍して戦功十字章を受け、戦後はオックスフォード大学でペルシア語とアラビア語を学んだ。外務大臣を3度務めた。1938年、イタリアへの対応をめぐってチェンバレン首相と対立して辞任し、戦時中はチャーチル内閣の外相を務めた。1955年にチャーチルの後を継いで首相となるが、翌年のスエズ危機でフランス、イスラエルと密約を結んでエジプトに出兵し、米国などの圧力で撤退した。1957年1月、健康の悪化を理由に辞任した。
同時代の人物
同じ1897年の2月に、西ドイツの首相ルートヴィヒ・エアハルトが生まれている。2人の歩みはよく似ている。長く「後継者」と目され、イーデンは80歳のチャーチルから、エアハルトは87歳のアデナウアーから首相の座を継いだが、在任はともに短かった。亡くなったのも同じ1977年である。
日本では、作家の大佛次郎が同じ1897年の10月に生まれている。
年齢で見る生涯
38歳で外相となってから約20年、「次の首相」と目され続けたが、首相の座は1年9か月で終わった。
人物のつながり
エピソード
闇の無人地帯から軍曹を担いで戻る(19歳・1916年)
1916年夏の夜、イーデンはベルギー国境近くの前線で小さな襲撃隊を率いたが、無人地帯で銃撃を受けて動けなくなった。脚に重傷を負った軍曹を、イーデンは部下3人と担いで味方の塹壕へ運んだ。回想録には、ドイツ兵が暗闇で気づかなかったのか、騎士道から撃たなかったのか分からないまま、「背筋が冷える」思いで戻ったとある。この働きで戦功十字章を受けたが、回想録はそのことに触れていない。軍曹は33回の手術を経て回復し、金のペンナイフを贈った。晩年のイーデンは、それがいつも書き物机の上にあると記している。
「統治ではなく、助言でしょう」(57歳・1955年)
1955年2月20日、外相イーデンはカイロの英国大使館でナーセルを夕食に招いた。2人が会ったのは、この一度だけである。イーデンはアラビア語であいさつし、アラブのことわざも引いてみせた。政治学者ボグダナーによれば、ナーセルが「エジプトが長年統治されてきた場所を一度見てみたかった」と言うと、イーデンは「統治ではなく、助言でしょう」と返したという。軍服で来たエジプト側に対し、英国側は平服だった。ナーセルはのちに「こちらが物乞いで、あちらが王侯のようだった」と漏らしたと伝えられる。一方のイーデンは数日後、ナーセルの歓迎ぶりに「うれしい驚きを覚えた」と米国務長官ダレスに語っていた。
「国王は台所のテーブルで手術を受けた」(55歳・1953年)
1953年4月12日、外相イーデンはロンドンで胆嚢の摘出手術を受けた。このとき胆管が傷ついたとみられ、4月29日の再手術でも直らなかった。修復を頼まれたのは、米国ボストンのレイヒー・クリニックの外科医キャテルである。首相チャーチルは、ジョージ6世はバッキンガム宮殿の台所のテーブルで手術を受けたのだと言って、ロンドンでの手術を求めた。しかしキャテルは慣れた手術環境でなければと譲らず、6月10日にボストンで再建手術が行われた。その2週間後、今度はチャーチルが脳卒中で倒れた。イーデンはその後も高熱の発作に悩まされ、スエズ危機の最中にも約41度の熱を出している。
出典・参考資料