フランクリン・ルーズベルト

ルーズベルト

Roosevelt, Franklin Delano

1882年1月30日 – 1945年4月12日 (63歳没)

アメリカ 政治家

フランクリン・ルーズベルトの人物情報

アメリカ合衆国第32代大統領です。ニューヨーク州ハイドパークの名家に生まれ、39歳でポリオにかかって両脚の自由を失いましたが、政界に復帰してニューヨーク州知事を経て1933年に大統領に就任しました。世界恐慌に対してはニューディール政策で雇用と金融の立て直しを図り、ラジオの「炉辺談話」で国民に直接語りかけました。第二次世界大戦では連合国を率いましたが、終戦を目前にした1945年4月、4期目の在任中に急死しました。アメリカ史上ただ一人、4回当選した大統領です。

同時代の人物

ルーズベルトが生まれた1882年は、20世紀の芸術を変えた人々の生まれ年でもあります。3日後には作家のジェームス・ジョイス、6月には作曲家のストラヴィンスキー、7月には同じニューヨーク州出身の画家エドワード・ホッパーが生まれました。ホッパーが大恐慌期のアメリカの孤独な街角を描いていたころ、同い年のルーズベルトはその不況と格闘していたことになります。

同じ年の4月には、ブラジルのヴァルガスも生まれています。ともに1930年代から長く政権を担った同い年の2人は、1943年にブラジルのナタールで会談しました。

日本では、歌人で精神科医の斎藤茂吉と、自由律俳句の種田山頭火が同じ1882年の生まれです。

ルーズベルトが亡くなった1945年4月には、18日後にムッソリーニ、19日後にヒトラーも世を去りました。敵味方の指導者が、同じ月のうちに相次いで亡くなっています。

年齢で見る生涯

  • 23歳(1905年) 遠縁のエレノアと結婚。花嫁の手を引いたのは、エレノアの叔父で現職大統領のセオドア・ルーズベルト
  • 31歳(1913年) ウィルソン政権の海軍次官に就任
  • 38歳(1920年) 民主党の副大統領候補として選挙に出るが敗れる
  • 39歳(1921年) カナダのカンポベロ島の別荘でポリオを発症
  • 46歳(1928年) ニューヨーク州知事に当選
  • 51歳(1933年) 大統領に就任。最初の100日で次々と法案を通す
  • 58歳(1940年) 前例のない3選を果たす
  • 63歳(1945年) ヤルタ会談の2か月後、ジョージア州ウォームスプリングスで脳出血により死去

ポリオの発症から州知事の当選まで7年しかかかっていません。車椅子の生活になってから大統領として過ごした12年あまりのほうが、それまでの政治経歴よりも長くなりました。

人物のつながり

  • セオドア・ルーズベルト:遠い親戚で、妻エレノアの叔父。フランクリンは若いころからこの「テディおじさん」を手本にし、海軍次官からニューヨーク州知事、大統領へと、同じ道筋をたどった。
  • チャーチル、スターリン:ともに連合国を率いた「三巨頭」。1945年2月のヤルタ会談で戦後の枠組みを話し合った。
  • アインシュタイン:1939年、ナチス・ドイツが原子爆弾を開発する危険を警告する手紙に署名し、ルーズベルトに届けられた。のちのマンハッタン計画につながる出来事の一つとされる。
  • トルーマン:4期目の副大統領。就任からわずか82日でルーズベルトが亡くなり、大統領を引き継いだ。

エピソード

投票用紙の職業欄には「樹木農家」(29〜63歳・1911〜45年)

大統領になってからも、ルーズベルトは故郷ハイドパークで投票するたびに、職業欄に「tree farmer(樹木農家)」と書いたという。冗談ではなく、1911年から亡くなるまでの34年間で、地所におよそ50万本の苗木を植えた本物の林業家だった。1930年代にはシラキュース大学の林学教授と組んで植林の実験も行い、多い年には5万本を超える木を植えている。クリスマスツリーも育て、戦時中にはチャーチルに贈っている。本人は「私ほど木を愛している人間は、世界中にいないと思う」と語っている。

「ばかげた慣例」を破って飛行機で党大会へ(50歳・1932年)

当時、大統領候補は党大会には姿を見せず、数週間後に届く正式な通知を待つのが決まりだった。ルーズベルトは指名が決まった翌日、家族とともにオールバニから三発機でシカゴへ飛んだ。強い向かい風で到着は遅れたが、演壇に立つと「遅れて申し訳ない。天の風ばかりはどうにもならず、海軍で鍛えられたことに感謝するばかりだった」と切り出し、候補者が知らないふりをする「ばかげた慣例」を破ったのだと宣言した。この演説で掲げたのが「ニュー・ディール」である。脚の不自由な候補が長旅に耐えられることを示す狙いもあったとされる。

愛犬ファラの「スコットランド魂」(62歳・1944年)

4選を目指す選挙戦のさなか、共和党側から「アリューシャン列島に置き忘れた愛犬ファラを迎えに、国費で駆逐艦を差し向けた」という噂が流された。ルーズベルトは労働組合の夕食会でこれを取り上げ、「私や妻や息子たちへの攻撃は気にしない。だがファラは怒っている。スコティッシュ・テリアだから、国費2000万ドルの話を聞いてスコットランド魂が激怒した。あれ以来、別の犬のようになってしまった」と語った。会場は爆笑に包まれ、劣勢気味だった陣営は勢いを取り戻したと評されている。

出典・参考資料

  • Wikipedia「フランクリン・ルーズベルト」、Miller Center「Franklin D. Roosevelt: Campaigns and Elections」、FDR Presidential Library「FDR Biography」
  • National Park Service, Home of Franklin D. Roosevelt NHS「Franklin D. Roosevelt: Tree Farmer」(https://www.nps.gov/hofr/blogs/franklin-d-roosevelt-tree-farmer.htm)
  • FDR Presidential Library「Democratic Convention Acceptance Speech」(https://www.fdrlibrary.org/dnc-curriculum-hub)
  • 1932年7月2日の指名受諾演説本文(Teaching American History 収録、https://teachingamericanhistory.org/document/acceptance-speech-at-the-democratic-convention-1932/)
  • FDR Presidential Library blog「Defending Fala – A Lesson in Effective Campaigning」(https://fdr.blogs.archives.gov/2015/09/23/defending-fala-a-lesson-in-effective-campaigning/)