オノレ・ド・バルザック
バルザック
Balzac, Honoré de
1799年5月20日 – 1850年8月18日 (51歳没)
オノレ・ド・バルザックの人物情報
フランスの小説家である。トゥールに生まれ、20代で文筆の道に入った。出版業と印刷業に手を出して失敗し、多額の借金を抱えたまま、夜を徹して書き続ける生活を送った。同じ人物を複数の作品に繰り返し登場させる手法で、19世紀前半のフランス社会全体を描こうとし、九十編を超える小説群を『人間喜劇』としてまとめた。代表作に『ゴリオ爺さん』『ウジェニー・グランデ』などがある。1850年、長年文通を続けたポーランド貴族のハンスカ夫人と結婚したが、その5か月後に51歳で亡くなった。
同時代の人物
バルザックが生まれた17日後、1799年6月6日にロシアでプーシキンが生まれている。ロシア近代文学の祖とされる詩人で、1837年に37歳で世を去った。フランスの同世代には、3歳下のヴィクトル・ユゴーとアレクサンドル・デュマ(DB名「アレクサンドル・デュマ(大デュマ)」)、5歳下のジョルジュ・サンドがいて、ロマン主義の世代がそろっている。
日本では、浮世絵師の安藤広重が2歳上である。広重が保永堂版「東海道五十三次」を出した1834年頃、バルザックは『ゴリオ爺さん』に取りかかっていた。
年齢で見る生涯
最初の手紙から結婚まで18年かかり、結婚生活は5か月しか続かなかった。作家として名を上げたのは30歳になってからで、『人間喜劇』の大部分は、それから亡くなるまでの約20年で書かれている。
人物のつながり
エピソード
ツケで買った、偽りの家紋付きステッキ(35歳・1834年)
1834年8月、バルザックは金の握りにトルコ石をちりばめた特注のステッキを受け取った。値段は700フランで、ツケの支払いは翌年4月までかかった。握りには名門バルザック・ダントレーグ家の紋章が付いているが、作家の家とは何の関係もない。父の本来の姓はバルサで、「ド」も生まれつきのものではなかった。それでも本人は得意げに、ハンスカ夫人へ「私の作品のどれよりもフランスで評判をとっている」と書き送った。友人のデルフィーヌ・ド・ジラルダンは、持つと姿が消えるステッキとして小説の題材にしている。現物はパリのバルザックの家に残る。
サルデーニャの銀山で一攫千金を夢見る(38歳・1838年)
1837年、ジェノヴァで商人ペッツィからこんな話を聞いた。サルデーニャ島には古代ローマ人が捨てた鉱滓が山をなし、まだ銀が残っているという。借金に苦しむバルザックは飛びついた。翌1838年3月、コルシカ島を経て、サンゴ漁の小舟で5日かけて島へ渡る。上陸後は検疫で足止めされ、馬で樫の森を越えた。手紙には「アフリカはここから始まる」と書いている。ところが採掘の権利は、すでに他人の手に渡っていた。何も得られないまま、6月にパリへ戻った。
コーヒーの飲み方を自ら指南する(39〜40歳・1839年)
大量のコーヒーで徹夜の執筆を支えた話は日本でも有名だが、本人も1839年の「近代興奮剤考」でその効き目を論じている。量を段階的に増やし、最後は細かく挽いて押し固めた粉を、水なしで空腹のまま口に入れる。頑健な人にしか勧められない方法だと断りつつ、効けば「考えが、戦場の大陸軍の大隊のように動き出す」と書いた。ナポレオンの軍隊を持ち出すところがバルザックらしい。なお「1日50杯」「生涯5万杯」といった数字は、本人の文章には見当たらず、出どころがはっきりしない。
出典・参考資料