ナポレオン・ボナパルト
ナポレオン(別名:ナポレオン1世)
Bonaparte, Napoléon
1769年8月15日 – 1821年5月5日 (51歳没)
ナポレオン・ボナパルトの人物情報
フランスの軍人、政治家で、フランス第一帝政の皇帝(ナポレオン1世)である。コルシカ島の小貴族の家に生まれ、革命後の戦争で頭角を現した。1799年のクーデタで第一統領として実権を握り、1804年に皇帝となる。民法典(ナポレオン法典)の制定など、今のフランスにも残る制度を整えた一方、1802年には植民地で奴隷制を復活させた。ヨーロッパ各地で戦争を続け、数百万人の死者を出している。1815年のワーテルローの戦いに敗れ、南大西洋のセントヘレナ島に流されて、その地で亡くなった。
同時代の人物
1769年は、ナポレオン戦争の主役が2人生まれた年である。ワーテルローでナポレオンを破るウェリントンは、同じ年の春に生まれている。さらに、ナポレオン誕生の8日後には、比較解剖学のキュヴィエが生まれた。
1歳下にはベートーベンがいる。
日本では、『南総里見八犬伝』の滝沢馬琴が2歳上だ。ナポレオンが亡くなった1821年、馬琴はまだ八犬伝を書き継いでおり、完結は20年ほど後だった。
年齢で見る生涯
准将から皇帝まで、わずか11年。亡くなったのは51歳で、同い年のウェリントンはその後31年生き、83歳で世を去っている。
人物のつながり
エピソード
46歳で英語を習い始め、「Englich」と綴る(46歳・1816年)
セントヘレナに着いて3か月後の1816年1月、ナポレオンは側近のラス・カーズを先生にして英語を学び始めた。練習として先生に英語の手紙も書いた。3月7日付の書き出しは「Since sixt week j learn the Englich and j do not any progress」。主語の「I」を、フランス語の「je」につられて「j」と書く癖が抜けなかった。ラス・カーズは文法の飲み込みの早さをほめたが、島の少女ベッツィ・バルカムはその英語を「世界でいちばん奇妙」と評している。
麦わら帽子の庭師になった元皇帝(50歳・1819〜20年)
医師に運動を勧められたナポレオンは、1819年の終わりごろから、住まいのロングウッドの庭づくりに熱中した。島の中国人労働者を使って池を掘らせ、大木を植え、芝土で風よけの壁まで築いた。同行したモントロン伯は妻への手紙に「朝5時から働いている。陛下がシャベルを手にしているのを見たら、君は大笑いするだろう」と書いている。医師アントマルキの回想によれば、麦わら帽子姿を笑われたナポレオンは怒らず、働き手全員に麦わら帽子を贈ったという。ただ熱中は長続きせず、1820年半ばには再び部屋にこもった。
「余の辞書に不可能はない」の元の形(43歳・1813年)
日本で有名なこの言葉は、原文には「辞書」が出てこない。1813年、ドイツのマクデブルクを守るルマロワ将軍が「持ちこたえるのは不可能」と書き送ってきた。ナポレオンの返書の一節「不可能だと君は書いてくる。そんなものはフランス的ではない(cela n'est pas français)」が元とされる。これがフランスで「不可能はフランス語ではない」という成句になり、日本で「余の辞書」と意訳されて広まった。ルマロワは籠城を続け、町を明け渡したのはナポレオン退位後の1814年5月だった。
出典・参考資料