アーサー・ウェルズリー
ウェルズリー(別名:ウェリントン)
Wellesley, Arthur
1769年5月1日 – 1852年9月14日 (83歳没)
アーサー・ウェルズリーの人物情報
イギリスの軍人、政治家で、初代ウェリントン公。アイルランドの貴族の家に生まれた。生年月日と生まれた場所ははっきりせず、家族が誕生日とした1769年5月1日が通説である。インドでマラーター同盟との戦争を指揮したのち、半島戦争(1808〜14年)でフランス軍をイベリア半島から追い出した。1815年にはワーテルローの戦いでナポレオンを破っている。1828〜30年と1834年には首相を務め、カトリック教徒解放法を成立させた。
同時代の人物
1769年生まれの同い年にナポレオンがいる。ウェリントンのほうが3か月半早く生まれた。同じ年の8月には、比較解剖学のキュヴィエも生まれている。
1歳下にはベートーベンとワーズワースがいる。日本では、『東海道中膝栗毛』の十返舎一九が4歳上、滝沢馬琴が2歳上だ。『膝栗毛』の初編が出た1802年、ウェリントンは軍人としてインドに駐在していた。
年齢で見る生涯
軍人としての頂点は46歳だった。そこから37年、ウェリントンは政治家として生きている。同い年のナポレオンは51歳で亡くなっており、ウェリントンはその後31年生きた。
人物のつながり
エピソード
ヴァイオリンを燃やした、は本当か(22〜24歳・1792〜93年頃)
若いウェリントンは、作曲家としても知られた父に似てヴァイオリンを弾いた。のちの妻キティ・パケナムとの結婚を家に断られ、ヴァイオリンを燃やして軍務に打ち込んだという話はよく知られている。ところが伝記作家ミュアは、この話の出どころはどれも後年の又聞きだと指摘する。夢中になりすぎるのを恐れて「しまい込んだ」(燃やしたのではない)という証言もあれば、キティが姪に語ったところでは友人に譲ったという。それでも、手放してから二度と弾かなかったという点では、どの話もおおむね一致する。
「生涯で見たうちで、いちばん際どい勝負だった」(46歳・1815年)
ワーテルローの翌朝、ブリュッセルの政治家クリーヴィーが宿舎の前まで行くと、窓辺のウェリントンが指で招いた。勝利の報告書を書いていた将軍に、喜ぶ様子はまったくなかった。「えらく深刻な仕事だった。ブリュッヘルと私で3万人を失った」と言い、何度も「際どい勝負だった」と繰り返したという。「私がいなかったら、うまくいかなかっただろう」という言葉も出た。クリーヴィーはその日の手紙ではこの一言を省いた。うぬぼれではなく、軍の信頼の話だったのに、誤解されると考えたからだと後年に書いている。
現職の首相が決闘する(59歳・1829年)
1829年、ウェリントン内閣はカトリック教徒解放法を進めた。これに反対する37歳のウィンチルシー伯は新聞で、首相がロンドンのキングス・カレッジ設立を隠れみのに「カトリックを国に持ち込もうとしている」と非難する。謝罪を拒まれたウェリントンは決闘を申し込み、3月21日の朝、テムズ川南岸のバタシーで向き合った。首相の弾は外れ、伯爵は空に向けて撃つ。わざと外したのかどうかは、記録によって食い違う。伯爵は謝罪文を出した。ウェリントンは翌月、「身のまわりの中傷の空気が晴れた」と書いている。
出典・参考資料