ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

ラ・トゥール

La Tour, Georges de

1593年 – 1652年1月30日 (約59歳没)

フランス 絵画

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの人物情報

17世紀前半のロレーヌ公国で活動した画家。ヴィック=シュル=セイユのパン職人の家に生まれ、1617年に貴族の娘ディアヌ・ル・ネルフと結婚して、妻の故郷リュネヴィルに工房を構えた。ろうそくの炎ひとつで闇に人物を浮かび上がらせる「夜の絵」で知られ、1639年の記録には「国王付き画家」の肩書きが見える。没後は名前ごと忘れられ、作品はほかの画家の作とされていたが、1915年にドイツの美術史家ヘルマン・フォスが再発見した。真作とされるのは40点ほどである。

同時代の人物

ラ・トゥールが洗礼を受けた1593年3月の2か月後、フランドルでヤーコブ・ヨルダーンスが生まれている。前年の1592年には同じロレーヌの版画家ジャック・カロ、翌1594年にはニコラ・プッサンが生まれた。スペインのホセ・デ・リベラは2歳上、ディエゴ・ヴェラスケスは6歳下である。忘れられていた時代、ラ・トゥールの絵はスペインの画家の作とされることが多く、作家メリメもナントの「ヴィエル弾き」をベラスケスの作と信じていた。

日本では狩野探幽が9歳下で、ラ・トゥールが亡くなったときには49歳だった。のちに「フランスのフェルメール」とも呼ばれるが、フェルメールはそのときまだ19歳である。

年齢で見る生涯

  • 0歳(1593年3月14日) ヴィック=シュル=セイユで洗礼を受ける。父はパン職人
  • 24歳(1617年7月2日) ディアヌ・ル・ネルフと結婚
  • 26〜27歳(1620年) リュネヴィルに移る。絵画は「それ自体が高貴なもの」と訴え、ロレーヌ公アンリ2世から税の免除を得る
  • 45歳(1638年9月) フランス軍がリュネヴィルを焼く。ラ・トゥールはその前に町を離れ、ナンシーに移っていた
  • 45〜46歳(1639年) ナンシーの洗礼記録に「国王付き画家」と記される
  • 50〜51歳(1644年) リュネヴィルの町が、彼の絵を総督への新年の贈り物にし始める
  • 58歳(1652年1月30日) リュネヴィルで死去。15日前に妻を亡くしており、疫病によるとみられている
  • 没後(1915年) フォスの論文で再発見される。1972年にはパリのオランジュリー美術館で回顧展が開かれた

45歳で住む町を焼かれながら、50代で再びリュネヴィルの名士となった。ルーヴル美術館の「羊飼いの礼拝」も、50歳を過ぎてからの作とみられている。

人物のつながり

  • ルイ13世:8歳下のフランス王。ラ・トゥールは「国王付き画家」の肩書きを得た。王に絵を献上した話はエピソードを参照。
  • ジャック・カロ:1歳上の同郷の版画家。フランス軍に攻め込まれたロレーヌの時代を、1633年刊の連作版画『戦争の惨禍』に刻み、1635年に亡くなった。
  • カラヴァッジオ:強い明暗の対比にその影響が指摘される。ただし、ラ・トゥールがイタリアに行ったかどうかはわかっていない。

エピソード

王の寝室に、この一枚だけ(伝承・年代不詳)

18世紀の修道士ドン・カルメは、1751年刊の『ロレーヌ人物誌』に、ラ・トゥールがルイ13世に夜の場面の「聖セバスティアヌス」を献上したと書いた。王はその絵を「完璧な趣味」と気に入り、寝室からほかの絵をすべて外させて、これだけを残したという。カルメは、同じような絵をすでにロレーヌ公シャルル4世にも贈っていたと付け加えている。フランス軍に国を占領されたロレーヌ公と、占領した側の王の両方に、同じ主題を差し出したことになる。ただし、カルメが書いたのは画家の死から100年ほど後で、王に贈った原画も残っていない。構図は模写で伝わっている。

「領主気取り」の犬と、蹴り出された執行吏(48〜53歳・1642〜46年頃)

晩年のラ・トゥールは、町の人々にとって厄介な隣人だった。1642年頃、家畜にかかる税を取り立てに来た執行吏は、「何も払わない」と言われたと訴えている。差し押さえのため家の奥へ入ろうとすると、思い切り蹴られ、戸を閉められた。画家は「これ以上入ってきた者には拳銃をお見舞いする」と怒鳴ったという。1646年には住民がロレーヌ公への請願書で彼を名指しした。グレーハウンドやスパニエルを何匹も飼い、「まるでこの土地の領主のように」野ウサギを麦畑に追い込んで作物を踏み荒らすので、民衆に憎まれている、というのである。静かな「夜の絵」からは想像しにくい素顔である。

町が払った「絵の年貢」(50〜58歳・1644〜52年)

フランスに占領されたロレーヌで総督となったラ・フェルテ=スネテール元帥は、ラ・トゥールの絵にほれ込んだ。そこでリュネヴィルの町は、総督に納める贈り物を金ではなく絵で払うことにする。1644年から画家が亡くなるまで、ほぼ毎年、町がラ・トゥールに絵を注文し、新年の贈り物(エトレンヌ)として元帥に届けた。ルーヴル美術館の「羊飼いの礼拝」は、1644年に町が元帥に贈った夜の「降誕」にあたるとみられている。代金は町の負担で、住民にはかなりの出費だった。苦情を訴えていた画家の絵に、自分たちのお金が流れていたわけである。

出典・参考資料

  • Wikipédia「Georges de La Tour」、Wikipedia(en)「Georges de La Tour」、Wikipedia「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」、Encyclopædia Universalis「LA TOUR GEORGES DE (1593-1652)」(Robert Fohr執筆。「La notoriété et l'oubli」「Le « mystère La Tour »」)、Musée départemental Georges de La Tour(Moselle)案内冊子、Musée Jacquemart-André「Georges de La Tour. Entre ombre et lumière」(2025〜26年)解説資料、Lempertz「Georges de La Tour」、Art UK(Oxford Dictionary of Art による洗礼日・没日)、Wikipédia「Jacques Callot」、人名辞典DB(ヨルダーンス、リベラ、ヴェラスケス、狩野探幽、フェルメール、ルイ13世の生年月日)
  • Département de la Moselle「Nouvel accrochage au Musée Georges de la Tour」(2024年10月8日、ドン・カルメの逸話と模写の寄託)
  • Larousse『Grand dictionnaire universel du XIXe siècle』第6巻「Ménil La Tour」項(Wikisource、カルメの引用)
  • BaroquiadeS「Georges de La Tour. Entre ombre et lumière」(カルメ『Bibliothèque lorraine』1751年の引用、シャルル4世への献上、1646年の請願)
  • Herodote.net「Georges de La Tour (1593 - 1652) - « La part sereine des ténèbres »」(Isabelle Grégor。執行吏の訴え、犬の苦情、ラ・フェルテへの贈り物、カルメの引用)
  • Apollo Magazine「All eyes on Georges de La Tour」(1642年の執行吏の件、カルメ1751年)
  • Musée du Louvre, collections「L'Adoration des bergers」(RF 2555)(1644年のリュネヴィル市から元帥への贈呈)