ルイ13世
ルイ
Louis XIII
1601年9月27日 – 1643年5月14日 (41歳没)
ルイ13世の人物情報
ブルボン朝第2代のフランス王(在位1610〜43年)。アンリ4世の長男としてフォンテーヌブロー城に生まれ、父の暗殺により8歳で即位した。初めは母マリー・ド・メディシスが摂政として実権を握ったが、15歳で母の寵臣コンチーニを排して自ら政治に乗り出した。1624年からはリシュリューを首席大臣とし、ユグノーの拠点ラ・ロシェルを降伏させ、大貴族の陰謀を厳しく処断し、三十年戦争ではハプスブルク家と戦った。狩猟を好み、のちのヴェルサイユ宮殿の始まりとなる狩りの館を建てたことでも知られる。
同時代の人物
イングランド王チャールズ1世は、ルイより10か月ほど早い1600年11月の生まれである。1625年にルイの妹アンリエット・マリーと結婚し、義兄弟となった。チャールズが処刑されたのは、ルイの死から6年後のことだった。スペインの宮廷画家ヴェラスケスは2歳上で、ルイの王妃アンヌの兄フェリペ4世に仕えている。
日本では、ルイの半年あとに狩野探幽が生まれた。ルイが15歳でコンチーニを倒した1617年、探幽も数え16歳で江戸幕府の御用絵師になっている。
年齢で見る生涯
8歳で王になり、在位33年、41歳で亡くなった。息子のルイ14世も、4歳で王位を継ぐことになる。
人物のつながり
エピソード
お日さまは「黄色と赤を混ぜて」(5歳・1606年)
1606年12月、フォンテーヌブロー城にいた5歳の王太子は、養育係のモングラ夫人に「きれいな天使を描いてあげる」と言った。「お日さまやお月さまは描けないでしょう」とからかわれると、「黄色と赤を混ぜればお日さま。白と黄色を混ぜて、顔を描けばお月さま」と答えたと、侍医エロアールの日記にある。17日には宮廷画家フレミネが来て、手を添えてペンで鳥や横顔を描かせた。王太子は「真ん中の黒い点々は羽だよ」と説明し、お礼に大きな梨を一つ渡している。この日の絵は、エロアールの日記の写本に綴じ込まれて残った。
13歳の王、卵料理で教育係をもてなす(13歳・1614年)
1614年10月2日に成人を宣言した王は、その11日後、野ウサギ狩りの帰りに立ち寄った家の厨房に入り込んだ。エロアールの日記によれば、自分で鶏小屋へ卵を取りに行き、ラ・ロシュギヨン伯を戸口の番に立たせて、落とし卵、焦がしバターの卵、刻んだゆで卵のベーコン和えという「自分で考えた」料理を作った。お供の少年たちに給仕頭や取次役をさせ、自分も最後の皿を持って行列し、待たせておいた教育係スーヴレの前で毒見をしてみせた。王が母に「この男にはもう耐えられない」と、スーヴレを外してほしいと願い出るのは、その半月ほど後である。
「メルレゾン」という言葉が大好き(33歳・1635年)
子どものころの王は、踊りが好きではなかった。6歳で踊ったバレエでは父アンリ4世がうれし泣きしたが、9歳の日の日記には「いやいや踊る。生まれつき踊りが好きではない」とある。その王が33歳の1635年3月、クロウタドリ(merle)狩りを題材にしたバレエ『メルレゾン』を作り、シャンティイ城とロワイヨモンで自ら踊った。残っている器楽曲は、すべて王の作曲とされる。タルマンによると、出演者のある貴族が詩人ゴドーに歌詞を頼み、「陛下がお好きなので、メルレゾンという言葉をたくさん入れてください」と書き送った。ゴドーは、いまだにその詩を書いていないという。デュマ『三銃士』の舞踏会で踊られるのも、このバレエである。
出典・参考資料