ジェームズ1世

ジェームズ(別名:ジェームズ6世)

James I

1566年6月19日 – 1625年3月27日 (58歳没)

イギリス 王侯

ジェームズ1世の人物情報

スコットランド王ジェームズ6世(在位1567〜1625年)で、1603年からはイングランド王ジェームズ1世を兼ねた。母はスコットランド女王メアリー・ステュアートで、母の退位により1歳で即位した。エリザベス1世が跡継ぎなく亡くなると、テューダー家の血を引く者としてイングランドの王位を継ぎ、ステュアート朝を開いた。王権は神から授かったものとする考えを説いて議会としばしば対立した。一方で、のちに「欽定訳聖書」と呼ばれる英訳聖書の事業を後押しし、魔女論やたばこ批判の本を自ら書いた、学問好きの王でもあった。

同時代の人物

2歳上にはウィリアム・シェイクスピアとガリレオ・ガリレイがいる。5歳下のヨハネス・ケプラーは、1619年の『世界の調和』をジェームズに献呈した。

ガリレオが望遠鏡を空に向けたのは1609年である。その4年後、ジェームズの国書を携えて来日したジョン・セーリスの献上品には、望遠鏡も含まれていたとされる。日本では、書や工芸で知られる本阿弥光悦がジェームズより8歳ほど年上で、ジェームズが亡くなったときもまだ健在だった。

年齢で見る生涯

日付はDBと同じく当時のユリウス暦による(グレゴリオ暦では誕生日が1566年6月29日、没日が1625年4月6日)。

  • 1歳(1567年7月) 父ダーンリー卿が殺された5か月後、母メアリーが退位させられ、スターリングで戴冠する
  • 20歳(1587年) イングランドに亡命していた母が、エリザベス1世の命で処刑される
  • 23歳(1589年) デンマーク王女アンとノルウェーのオスロで結婚
  • 24歳(1590〜91年) ノース・ベリックの魔女裁判に自ら関わる
  • 36歳(1603年) エリザベス1世の死去によりイングランド王を兼ねる
  • 39歳(1605年) 議会爆破を狙った火薬陰謀事件が発覚
  • 44〜45歳(1611年) 欽定訳聖書が刊行される
  • 58歳(1625年) ロンドン近郊のシオボールズで死去

スコットランド王としての在位は57年あまりに及んだ。

人物のつながり

  • エリザベス1世:母メアリーを処刑した女王。ジェームズはその女王の跡を継いだ。
  • チャールズ1世:次男。兄ヘンリーが1612年に亡くなったため跡継ぎとなり、父の死とともに即位した。
  • ウィリアム・シェイクスピア:ジェームズはロンドンに着いて間もない1603年5月19日、シェイクスピアの劇団に特許状を与え、「国王一座」とした。
  • 徳川家康(DB未登録):1613年、イギリス東インド会社のセーリスが平戸に来航し、駿府で家康にジェームズの国書を渡した。家康は返書と朱印状を与え、平戸にイギリス商館が開かれた。

エピソード

「何もできないロバ」と言われたくない(23歳・1589年)

1589年秋、デンマークから嫁いでくるはずの王女アンの船団が嵐に遭い、ノルウェーに足止めされた。10月22日の夜、ジェームズは約300人の供を連れてひそかにリースから船出する。翌朝、枢密院では王の自筆の声明が読み上げられた。「父も母も、兄弟も姉妹もなく、ひとりだった」と半生を振り返り、結婚が遅れたせいで「子のできない木の株」のように疑われたと書いている。そのうえで、この船出は自分ひとりで決めたことで、大法官に入れ知恵されたわけではないと念を押した。「自分では何もできない優柔不断なロバ」と陰口をたたかれたくなかったのである。11月19日にオスロに着いたジェームズは、23日にアンと結婚した。

魔女裁判に立ち会う王(24歳・1590〜91年)

帰りの航海の嵐は、魔女の仕業だとされた。1590年から始まったノース・ベリックの魔女裁判では、70人以上が罪に問われた。ジェームズは自ら尋問に立ち会っている。当時のパンフレット『スコットランドからの知らせ』によれば、王は被告のアグネス・サンプソンを「みな大嘘つきだ」と退けた。ところが、彼女がオスロでの新婚初夜に王と王妃が交わした言葉を耳打ちしたため、王は驚いて自白を信じたという。サンプソンは1591年1月28日、絞殺されたうえで焼かれた。同じパンフレットは、校長ジョン・フィアンへの拷問も記している。王は1597年に『悪魔学』を出し、魔女は厳しく罰すべきだと説いた。スコットランドでは1736年までに3,800人以上が魔女として訴えられており、2022年、スコットランド政府の首相が初めて公式に謝罪した。

「ここに一人、好まない王がいる」(39歳・1605年)

ジェームズは1604年、匿名で『たばこへの反論』を出し、喫煙を「目に忌まわしく、鼻に不快で、脳に害があり、肺に危険な習慣」とこき下ろした。翌1605年8月29日、オックスフォード大学を訪れた王は学生の公開討論を聴いた。ある学生が「王も貴族も騎士も、あらゆる国の紳士がたばこを好むのだから、たばこは良いものに決まっている」と論じた。王は即座に「たばこを好みもせず、気に入りもしない王が一人いる」と言い返した。立ち会ったケンブリッジ大学の職員フィリップ・ストリンジャーの記録によれば、会場は大いに沸いたという。

出典・参考資料

  • Wikipedia「ジェームズ1世 (イングランド王)」、Wikipedia(en)「James VI and I」「Anne of Denmark」「North Berwick witch trials」「John Saris」「King's Men (playing company)」、コトバンク「セーリス」「イギリス商館」、Folger Shakespeare Library「Shakespeare Documented」(国王一座の特許状)、University College Oxford「Kepler's Harmonices Mundi」
  • 『The Register of the Privy Council of Scotland』第4巻(David Masson編、1881年)423〜430頁と序文 xlvi〜xlviii頁(1589年10月22日の船出と、王の自筆の声明)
  • 『Newes from Scotland』(1591年頃。Project Gutenberg #25929『Daemonologie』所収)
  • University of Edinburgh「The Survey of Scottish Witchcraft」(アグネス・サンプソンの裁判記録 T/LA/934、訴えられた人数)
  • James VI『Daemonologie』(1597年)序文
  • James I『A Counterblaste to Tobacco』(1604年。Project Gutenberg #17008)
  • John Nichols『The Progresses, Processions, and Magnificent Festivities of King James the First』第1巻(1828年)550〜551頁(Philip Stringer の記録。大英図書館 Harley MS 7044)