アントニー・トロロープ

アントニー・トロロープ

トロロープ

Trollope, Anthony

1815年4月24日 – 1882年12月6日 (67歳没)

イギリス 作家

アントニー・トロロープの人物情報

イギリスの小説家。ロンドンに生まれ、ハロー校で貧しさからいじめられる少年時代を送った。19歳で郵便局の事務員となり、26歳からアイルランドで郵便路線の監督に携わる。そのかたわら小説を書き、架空の州を舞台にした『慈善院長』に始まる「バーセットシャー」シリーズと、政界を描く「パリサー」シリーズで人気を得た。郵便局では街頭の郵便ポストの導入を進めたことでも知られる。生涯に長編47作を残したが、死後に出た『自伝』で執筆を勤め仕事のように語ったため、評価を落とした。

同時代の人物

同じ1815年生まれには、ドイツのビスマルク(DB名「オットー・フォン・ビスマルク」)がいる。誕生日はトロロープより23日早いだけで、鉄血宰相と郵便局員の作家は、ほぼ同い年である。

同じイギリスの小説家では、ディケンズ(DB名「チャールズ・ディケンズ」)が3歳上、サッカレー(DB名「ウィリアム・サッカレー」)が4歳上、シャーロット・ブロンテが1歳下。ヴィクトリア女王(→20110210000)も4歳下で、まさにヴィクトリア朝とともに歩んだ世代である。

日本では、適塾の緒方洪庵が5歳上。トロロープが亡くなった1882年、正岡子規と夏目漱石はまだ15歳だった。

年齢で見る生涯

  • 19歳(1834年秋) ロンドンの郵便本局に事務員として入る
  • 26歳(1841年) アイルランドの郵便監督官の事務員となり、シャノン川沿いのバナハーに赴任。狩猟を覚え、生涯の楽しみとする
  • 39〜40歳(1855年) 『慈善院長』刊行。その年の末までの印税は9ポンド余りだった
  • 44歳(1859年) イングランド東部の郵便監督官となり、ロンドン北郊のウォルサム・クロスに移る
  • 52歳(1867年秋) 郵便局を辞める
  • 53歳(1868年11月) 自由党から下院選挙に立つが、4人中最下位で落選
  • 56歳(1871年) オーストラリアで牧羊を営む息子を訪ねる
  • 67歳(1882年12月6日) 11月に発作で倒れ、そのまま死去

本格的な作家生活のほとんどは、郵便局勤めと並行していた。役人を辞めたのは、すでに50代に入ってからである。

人物のつながり

  • サッカレー:1859年10月、新雑誌『コーンヒル・マガジン』の編集長だったサッカレーに短編を売り込むと、版元から1,000ポンドで長編の依頼が来た。こうして書いた『フラムリーの牧師館』が出世作となった。トロロープは完成前に連載を始めない主義だったが、この作品だけは例外だった。のちに伝記『サッカレー』(1879年)を書いている。
  • ローランド・ヒル:郵便制度の改革者で、郵便局の上司。トロロープは『自伝』で、国のために働く勤勉な人だが、部下を機械のように扱う「厳しい親方」だったと評している。

エピソード

街角の郵便ポストは、作家の提案から(37歳・1852年)

トロロープは郵便局の仕事で、英仏海峡のチャンネル諸島へ配達改善の調査に送られた。そこで提案したのが、街角に鋳鉄の柱を立て、いつでも手紙を投函できるようにする案である。パリで見た仕組みを参考にしたともいわれる。1852年11月23日、ジャージー島のセント・ヘリアに4本のポストが置かれ、これがイギリスで最初に使われた郵便ポストとなった。当時の地元紙によれば、色は赤だった。ただし最初の4本は1本も残っていない。トロロープは『自伝』で、自分がポストの「発案者」だと誇らしげに書いた。一方、小説『彼は正しいと知っていた』(1868〜69年)には、ポストを「鉄の切り株」と呼んで信用せず、自分の家の手紙を入れることを禁じる老婦人を登場させている。

「今週中に彼女を殺してきます」(50〜51歳・1866年)

1866年のある朝、トロロープはロンドンの会員制クラブ、アシニーアムの広間で小説を書いていた。すぐ横の暖炉の両側に2人の牧師が座り、雑誌を手に彼の小説をけなし始める。同じ人物ばかり出てくる、新しい人物を考えつけないなら小説など書くな、という。やがて話題が司教夫人プラウディに及ぶと、彼は立ち上がって2人の間に立ち、作者だと名乗った。そして「プラウディ夫人なら、家に帰って今週中に殺します」と言い、本当にそうしたと『自伝』に書いている。牧師たちはすっかりうろたえたという。ただし、同じ批判はすでに書評誌でも受けており、夫人の死はそれ以前から考えていたとみる研究者もいる。トロロープは後年、この殺害を悔やんだこともあると書いた。

朝5時半のコーヒーと「15分で250語」(44〜56歳・1859〜71年)

ウォルサム・クロスに住んだ12年間、トロロープは毎朝5時半に机に向かった。起こす役目の年老いた馬丁には、そのために年5ポンドを上乗せして払っていた。馬丁は一度もコーヒーを遅らせたことがなく、トロロープは「成功について、ほかの誰よりもこの男に恩があるのではないか」とまで書いている。執筆は時計を前に置いて15分で250語。まず前日の分を30分読み返し、朝食前に書き終えて郵便局に出勤した。この習慣と、作品ごとの原稿料の一覧(総額約6万9千ポンド)を載せた『自伝』は死後の1883年に出版され、「霊感でなく機械で書く作家」という印象を広めた。評価が持ち直したのは、20世紀半ばになってからである。

出典・参考資料

  • Anthony Trollope『An Autobiography』(1883年、Project Gutenberg #5978。息子ヘンリーの序文を含む)、Wikipedia(en)「Anthony Trollope」「Pillar box」「The Last Chronicle of Barset」、Wikipedia「アンソニー・トロロープ」
  • Government of Jersey「Historic Post Boxes in Jersey」(2014年)https://www.gov.je/SiteCollectionDocuments/Government%20and%20administration/Historic%20Post%20Boxes%20in%20Jersey%20report%202014.pdf
  • The Trollope Society「Pillar boxes」https://trollopesociety.org/trollope/post-office-career/pillar-boxes
  • Anthony Trollope『He Knew He Was Right』第8章(Project Gutenberg #5140)
  • Anthony Trollope『An Autobiography』第3・7・15・20章
  • The Trollope Society(Victorian Web 転載)「The Last Chronicle of Barset」https://victorianweb.org/authors/trollope/tsociety/last.html
  • George Mason University Trollope archive「Written 1866 (20 January - 15 September)」https://mars.gmu.edu/bitstream/handle/1920/1004/pictures.LastChronicle.1866.html