エドワード・ジェンナー
ジェンナー
Jenner, Edward
1749年5月17日 – 1823年1月26日 (73歳没)
エドワード・ジェンナーの人物情報
イギリスの医師、博物学者。グロスターシャーの町バークリーで牧師の家に生まれ、ロンドンで外科医ジョン・ハンターに学んだのち、故郷で開業医として生涯を送った。牛痘にかかった乳しぼりは天然痘にかからないという土地の言い伝えに目をつけ、1796年、牛痘の膿を少年に植えて天然痘を防げることを確かめた。1798年に結果を本にまとめると、この「種痘」は数年で各国へ広まった。博物学では、カッコウのひなが巣の仲間を外へ押し出す習性を初めて報告している。
同時代の人物
ジェンナーが生まれた1749年には、ゲーテも生まれている。ゲーテのほうが3か月あまり年下である。前年には画家のダヴィド、翌年には作曲家のサリエリが生まれた。日本では、蘭画の司馬江漢が2歳上、喜多川歌麿が4歳下にあたる。
ジェンナーが少年に牛痘を植えた1796年の11月、ロシアのエカチェリーナ2世が亡くなった。28年前、イギリス人医師を招いて自ら人痘接種を受けた女帝である。
年齢で見る生涯
歴史に残る実験は47歳の誕生日の3日前だった。30代のジェンナーは気球やカッコウに夢中な田舎の博物学者で、王立協会に迎えられたのも鳥の研究によってだった。
人物のつながり
エピソード
水素気球を飛ばし、降りた先の娘と結婚(35歳・1784年)
前年にフランスで気球が空を飛ぶと、ジェンナーも水素気球を自作した。1784年9月2日の午後2時、バークリー城から放たれた気球は丘を越え、十数キロ先の畑に降りた。当時の地元紙によれば、刈り入れ中の農夫たちは怯えて、しばらく近づこうとしなかったという。気球は地主キングスコート家の地所で再びふくらまされ、友人の詩を下げて飛び立った。この家の娘キャサリンが、4年後にジェンナーの妻となる。地元では、気球を追って馬を走らせたのが二人の出会いだったと伝えられる。
「この町じゃ1冊も売らせないよ」(49歳〜・1798年〜)
種痘の本を出したジェンナーを、地元の人々は冷ややかに迎えた。友人の医師バロンの回想によれば、町の有力な婦人がジェンナーを呼び止め、土地のなまりで「本が出たそうだね。この町じゃ1冊も売れちゃいないし、売らせもしないよ」と言い放った。種痘の失敗のうわさを聞くと、同じ婦人が「じゃあ、また人痘の一斉接種をやるんだろうね」と勢い込んで尋ねてきた。ジェンナーはこの2つの話を、いつも上機嫌で人に語った。家の馬車小屋には、実験の牛痘の出どころになった牛の皮が吊るしてあった。「どうしたものかね」と聞かれたバロンは「大英博物館へ」と答えたが、皮はいまロンドンのセント・ジョージズ大学にある。
「かわいそうなフィップス」に家を建てる(46歳・1796年/69歳・1818年)
1796年5月14日、ジェンナーは乳しぼりのサラ・ネルムズの手の水疱から膿を取り、庭師の息子で8歳のジェームズ・フィップスの腕に浅い傷を2本つけて植えた。7月1日に天然痘の膿を植えても、少年は発病しなかった。戦前の日本の修身教科書は「自分の息子で試した」と書いたが、これは誤りとされる。1789年に生後10か月の長男へ「豚痘」の膿を植えたことがあり、これと混同されたらしい。その後も天然痘を植えられ続けたフィップスについて、晩年のジェンナーは「たしか20回目だが、まるで効かなかった」と語っている。結核を患ったフィップスのため、ジェンナーは1818年に家を用意した。庭には、自分の植え込みから移したバラが植えられたという。
出典・参考資料